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長銀団地という生き方 その12
長銀団地という生き方 その11 よりつづく
兄は父の位牌と共に葬送の車に乗り、悟天は母をゆとり庵に送ったため夫の車にはハナさんとにゃんこちゃん、従兄の昭ちゃんと私、のちょうど5人が乗った。
制服姿の高校生を見かけて、昭ちゃんが云う。「ああ、ちょうど、こっちも期末テストの時期なんじゃね」「あぁそうか、それで部活もないから、来れたんだね!」「そういうこっちゃ」。
昭平ちゃんは地元で高校の教師をしている。バスケ部の顧問としても忙しくしており、自分の父親の葬儀も「夏休みの間に!」と手際良く済ませていた。
欅、トウカエデ、銀杏の並木が美しく色づいている。
迎攝院のご住職の読経が始まる。
手を合わせていると、不思議なことに、すーっと心の中が無になる。
このところ、私の日常はこの題名と共に、起こること全てが文章として頭の中に流れ込んできて、脳が休まることがほとんどなくなっていた。
その思考が、ピタッと止まった。
お骨になるのを待つ間お昼をいただく。この頃にようやく悟天が戻ってきて、会話に加わる。
あちらの席では、にゃんこちゃんの宿題のレポートのテーマについて、兄がレクチャーしている。ベートーベンについてのレポートで、にゃんこちゃんとしては交響曲3番の「英雄」にちなんでベートーベンとフランス革命、ドイツ音楽へのフランスの革命の影響、・・・の3本立てで書く予定らしいのだが、二つ目の・・・はエビデンスに欠けるので、・・・・・にした方が良いのでは?などど、話している。
兄の博識を、私は高校の古典のテストのヤマをかけてもらうぐらいにしか活用しなかったが、にゃんこちゃんとハナさんはこれを日常としているのか、とびっくりした。
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兄は幼稚園の頃に母の短大で使っていた化学の教科書を読んでいるのを見た当時大学生の従兄が、流石にそれはむずかしかろう、と高校の化学の教科書を買い与えたら、これはよくわかる、と喜び、小学校の1−2年生の頃には家にあった計算尺というもので遊んでいる間に使い方を発見してしまった。3−4年生の頃には当時発刊された「ジャポニカ百科事典」を買ってほしい、と両親に懇願し、半年後に「人名以外は大体読んだ」とのことだった。
高校時代にはその文章能力を国語の先生方から高く評価され、彼が理系に進むと聞くと、大層ガッカリされた、という話を聞いた。大学では途中で文転し、それを引き受けるか悩んだ、作家でもある担当教授の方は、それでエッセイを一本書いておられた。ご縁があってその後竹橋学園で教鞭を取っているが、頼まれて書いたものと、いくつかの翻訳があるくらいで、彼はその文章で広く世に出てくることはなかった。
「お兄ちゃんは書かないの?」と尋ねると、「書きたいことが思い浮かばないんだ」とちょっと悲しそうに答えるのだった。
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「間もなく『拾骨』を行わせていただきます。お手洗い等を済まされて、ご移動のご準備をお願いいたします」と声がかかる。
一旦焼き上がったものを拝見した後、「この台が大変熱くて危険ですので」と、係の方が一旦、ステンレス製のワゴンに部分ごとに移し替えてくれるのを待つ。
兄が、「あれは『青磁』とは言わないよね?」とこっそり云う。骨壷の色を、「青磁」と白のウェーブ模様で悩んだのだが、最終的に二人とも、「青磁がいい」ということで落ち着いたのだった。が、ワゴンに置かれているそれは普通の青緑色だった。
「橋渡しと申しまして、」と二人で一つのお骨を拾って骨壷に移すのを、兄と私、ハナさんとにゃんこちゃん、夫と息子のペアで行う。「越谷市では全てのお骨を入れないといけないので、骨壷が大きいんです」と聞いてはいたが、それでも、とても入りそうにない。係の方が、すまなさそうに、「なので、お骨を押させていただきます」と言い、白い布をかけた上から、両手を重ねてググッと押していく。
お骨の砕ける音がする。
それが2回ほど繰り返され、その都度箒で掃かれたステンレスの台にはちり
一つない。
最後に顔の部分の骨の説明があり、喉仏、そして、頭骨と収まっていく。
すっかり骨壷におさまった父と、埋葬許可書が桐箱に収められ、骨壷覆いの袋にすっぽりと隠れて家への帰途につく。
家の前に停められた夫の車はすぐに帰るという。それに息子がそしてにゃんこちゃんとハナさんも駅まで同乗する事になり、みんな慌ただしく帰り支度をしている。
父の写真をスライドショーにして映していただいたモニターの両側にあった二つの可愛らしい花籠は、一つは義姉に持って帰ってもらおうと両方頂いてきてあった。電車で帰る義姉は小ぶりな方を選び「お疲れ様でした」の声を掛け合い、また兄と二人になった。
もう一つの花籠は、あのあどけない兄弟と若い夫婦が住むお向かいさんに届けた。