長銀団地という生き方 その5

長銀団地という行く生き方 その4よりつづく

話は前後するのだが、打ち合わせの後、お通夜までの間、ほんの少しだが自分の家に帰ることにした。まずは喪服を持ってくる。できれば、もう限界を超えている喉と鼻の治療をしに病院へも行きたい。そして学校に立ち寄ることである。

学校というのは私の職場で、小さな私学である。
小さい、といっても3歳から18歳まで15学年になるので、生徒数は300人くらいになる。

学校に到着すると、すぐさまあみちゃんがが私を見つけて、ベランダ越しにムギュウッ、とハグしてくれた。すぐさま他のスタッフもKotoko、大丈夫?と ギュッとしてくれたり、隣から全身を寄せてくれる。体同士の触れ合いが本当に心地よくて、普段はボディタッチ一切お断り、のSamさえ、通りすがりに腕をさっ、と撫でてくれる。

これまで全く涙が出なかったのだが、心のバリアーがスッと緩むのがわかる。

2階に上がるとまとめ役のウーリーが非常に良い感じの嬉しそうな笑顔で迎えてくれた。校長もそこにいたので、これまでのお礼と、あらましにこんな顛末があって、コロナ以後ほとんど見られなくなった、振る舞い付きのお通夜をするんです。などと話していた。するとウッディが、Peaceがきているんだよ。Kotokoに逢えないと聞いてとても残念がっていて、と話してくれた。

 Peaceは他の学校の先生なのだけど、とても素敵で、とても独特で、で時々うちの学校にも職員の『研修』の講師としてきてくれている。彼女が初めてうちの学校に来てくれた時、彼女は『学習空間の整え方』の担当で、私は当初他の講師の方のクラスに出るようになっていたのを、「私にはPeaceが必要なの!」Peaceの方でも「そうね、Kotoko と Kotokoの教室には私が不可欠だわ」といって、クラス替えが認められた相思相愛なのだ。これまで「こうあるべきだ」と、「これまで、そうやっていたその『なぜ?』を考えずに固定観念にとらわれていた」り、「自分の勝手な解釈」で選択肢を狭めていたり、といったいらないものを排除することで、シンプルに必要なものが見えたり、不必要なものが見えてきたり、といろんなことをすごく楽にしてくれた人だった。

Peaceは私を見つけると両手でブンブンハグしてくれて、「教室見たわ、アートの展示もすっごく素敵!」「この前の時もKotokoがいなかったらすごいガッカリしたのよ!」と目を覗き込むようにいってくれた。

そうなのである。
去年は『研修』となると父の用事があって、もう全然出られなかったのよ、と伝えると、ふう〜ん、じゃあ、あなたのStaff Focus Day職員研修日は、Dad Focus Day パパ専用だったのね、それはそれでよかったんじゃない?、と、イタズラっぽくニッと笑った。

Peaceがそういってくれて、彼女のセンスと思いやりにまた心と体が軽くなった気がした。

別れ際にPeaceに
「私の席のあたりから、ガラス越しに外を見てみて!」とお願いした。

                                   

2週間前、新しく父の担当になったドクターが、できるだけ早く私と話をしたがっている、ということで看護師のサトさんに呼ばれた。
その時の父の状況としては、消化管が栄養を受け付けない。点滴を入れるのに使える血管も残り少ない。栄養を入れるなら、手術を伴う別の方法が必要になる。その時は病院に最低1日入院しないといけないが、体力への負担も大きい、等であった。

父に直接意思を確認しないといけない。その日はそういう日だった。

点滴を外せる、がそのためには手術になる。再度の移動がある。

父は、目だけで頷いた。万が一のために3回同じ事を聞いてみた。そして、いずれも同じ反応だった。
父に、どこか痛いところはない?と聞くと微かに首を横にふる。しかし、点滴があの我慢強い父ですら、耐え難いほど痛いのだ。

その週は、父を動かすのか、動かさないのか?そして果たして動かせるのか?のやりとりが続き、初めて、兄と私の意見が分かれる事となった。

私はかすかな「回復」の望みがある。と信じていた。
でもそれは私だけだった。

ようやく現実を悟り、
・今ある胃瘻と点滴が使えなくなったら、    それ以上は望まない。

兄と二人でそう決めた。

私はものすごい虚脱感に襲われ、何も手につかない。二日間かけて、チューブ状のボトルに固まってしまった絵の具を洗って、最後には水の冷たさで手の感覚がなくなり、肘から下が、固まってしまった。そして笑った。
ーパパのヘラブナ釣りと一緒だ、

そして別のクラスの作りかけの、場所塞ぎな作品を仕上げることにした。この時期の私のお気に入りのトランスパレントスター。今年は特大の紙を準備して、個々の作品の終わった生徒に一つずつ折ってもらったものだ。三色の紙を用意していたのだが、桃色のピースが15個まで出来上がっていた。

完成させるのに必要な最後のピースを私が折り、丁寧に、正確にのりで繋げていく。
単純作業の繰り返しには、心を沈め、癒す作用がある。私の中で、そう位置付けられている、この時期のスペシャル。
ああ、今の私にはこの作業が必要だったんだ。そして、作業だけでなく色や光というものがどのように自分の中に染み渡っていくのか、数十年前、初めて自分が体験し感動した事を、今度は、自分のために。

出来上がった大きな星を私は自分の席から最もよく見える位置に張ることにした。

スティックのりをぐるぐる、中心部分につけ、手のひらに載せた肩まで届く星を、窓ガラスの真ん中目掛けてエイヤッとはり、先端部分にまた糊をつけて貼っていく。・・単純作業の繰り返し。

席に戻って外を眺める。

夕方の日差しの光に桃色の星が輝く。

折った重なりによってできる、幾何学模様の正確なリズム。

その中に、紙が部分的に日焼けしていたせいで、複雑な色のゆらめきが見られる。

いつまでみていても見飽きることがなく、さまざまな桃色の光のゆらめきが私を満たす。

ようやく人心地つくことができた。


その星を、是非、Peaceにも見てもらいたかったのだ。

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