長銀団地という生き方 その9
長銀団地という生き方 その8 よりつづく
ここで一つ大事なことを書き残しておこうと思う。
父の病状が良くないこと、長くて2週間であることを聞いた私は、葬儀のことを考えないといけないと思って、お菊さんの元を訪ねた。お菊さんはあみちゃん同様、私の職場の大事な話し相手で、二人とも悩める両親を持つお年頃で、この話題で会話ができる唯一の相手なのだ。
数日前にドクターに呼ばれたことを知っているお菊さんは私の顔を見るなり、「大丈夫ですか?」と尋ねる。「うーん、葬式のことも考えないといけないんだけど、本当は、自治会館で皆さんと食べて飲んで、カラオケ歌ってもらって、というのをやりたいんだよね〜」
「そこはこれまでもご葬儀で使われているんですか」「多分ないと思う」
ーこれまでに亡くなった、団地のお歴々のご葬儀は近くの葬儀場で行われていたのを、なんとなく知っていた。
「団地の方とは相談されたんですか」「まだ」
そうか、そこからか、と思いつつ、私は皆さんのカラオケで送ってもらうのが一番ふさわしい、と思っていたから、なんとも諦めきれずにいると、
「まずはお兄さんとご相談ですね」と、ともに兄を持つお菊さんがしめくくった。
近くで話を聞いていた男性のスタッフの方が、「お通夜でカラオケですか?」とびっくりしたように聞いてくる。「うん、楽しいこと考えないと、気が滅入ってしょうがないから、ねぇ。どうやったら、より楽しくなるか考えてると、気分が上がるんですよね。」
いよいよという時になって、兄とご葬儀をどうするか、という段になって、上記の話をすると、お菊さんと全く同じ質問が繰り返され、じゃあ、自宅で葬儀をしようか?でもどこでやる?お坊さんはどうする?という話になった。お坊さんは、以前に父と、「あそこのお坊さんは声がいいから」と実家の近くの同じ真言宗の「迎攝院」さんに父からのご指名がかかっていたが、それにはまず檀家の山口の大島の「西長寺」さんにご相談しないといけない。それに葬儀場も決めないといけない。施設の方にこっそり聞いてみるが特段のお勧めのはないとのこと。その時に兄が「ケアマネさんに聞こう!」と思いついて、Lineを送るとすぐさまお返事が来た。(いずれも原文ママ)
「ご無沙汰しております。
お父様、もう少し頑張っていただきたいですが、こればかりは・・・
お母様、お元気で何よりです。
葬儀ですが
私が、存知あげているのは、家族葬です。
家族葬ではないですよね?
お力になれなくて、申し訳ありません。」
こちらもすぐ返す。
「こんにちは、お返事ありがとうございます。
家族葬で自宅で行えればと考えています。」
「自宅では、どうかわかりませんが、
越谷駅西口にある、【アートエンディング】には、何度かお世話になっております。
ホームページもありますので、資料請求や問い合わせも可能だと思います。」
との返信をいただいた。
すぐさまスマホでアクセスして、見積もりを頼む。担当の方からお電話があり、「自宅での葬儀には室内の場所だけでなく、準備のための車・トラックを含めた車を停めるところが必要で、お経を挙げて頂くお導師様の車も停められませんと、」とのことで、自宅の選択肢は消えた。お電話で話すうちに、ああ、こちらにお願いしよう、という気持ちになり、「ぜひお願いします」というこちらの言葉に「できれば、こちらの会場をご覧いただいて、ご納得いただければ、」との返事だった。
今日の午前中には、おそらくと言われた父は、青森から駆けつけてくれた義姉のハルさんの到着を待って、夕方6時少し前に息を引き取ったのだった。
そこから、ドクターの死亡診断が8時から、ということで、私たちには「会場を確認」するゆとりはなかった。
夜の9時に遺体を引き取りに来てくださった根本さんと初めてお会いして、根本さんと兄と私の3人で父を部屋に抱き入れ、では明日ご相談に、というそういう流れで、冒頭の運びとなったのだが、
父の祭壇は横に長いL字型の部屋のLの字を書き始めるところにあり、Lの字の書き終わりのところから、あまり見えないところにあった。
通夜の日に我々より先に送り出された父は、納棺師さんたちによってすっかり生前の顔色を取り戻していた。その顔を見た私が、開口一番「わー、私の塗り塗りしていたしていた保湿クリーム効きました?」と声を上げると、それを聞いた納棺師さんたちも嬉しそうに「バッチリです!ニベアとか塗ってしまう方もあるのですが、そうすると、のらなくて」「ファンデーションがですか?」「ファンデーションは使っていません。そうするといかにも塗りました!っていう感じになってしまって。」
ふーん、緑や黄色が立ってしまった肌を赤みを足していくことで、自然に見せるのだという。これは油絵も同じで、そういえば、人物の肌には最初にテール・ヴェルト(大地の緑と言えばいいのか?)というくすんだ色を入れて、その上に他の色をのせていく。彼女たちは、優れた画家でもあるわけだ。そして入れ歯も無事収まったということで、とても自然な、ちょっと痩せただけの父の姿だった。
父の葬儀が行われたのは、かつてのスナックで、父の棺があるのは、かつてのカラオケのステージ。期せずして、というか、初めに思い描いた通りのご葬儀だった。
私はこういう偶然を「ご縁」として特に尊ぶ心もちがあるのだが、今回はこういった「ご縁」ーというか英語の「coincidence」という言葉が一番しっくりくる現象ーに特に恵まれた感がある。