パパのホットケーキ3

「長銀団地という生き方」番外編

シュタイナーの学びの中で「アンカヴァリング・ザ・ヴォイス」という歌唱法がある。

やはり声を失った歌手の方が同僚の方に「一つだけ良い響きの音がある」ことを指摘されて、その響きを突き詰め、他の音にもその響きでの発声ができないか、を追求したところ、以前より素晴らしい声が出るようになった。というのが発端であるらしい。

声は肉体の振動であるから、人間を生かしもするし、殺しもする。

私は、かねてから白血病で亡くなったとある歌手の方の歌声に対する周囲の賛辞の声と私の感じる違和感について考えていたことがあった。
あの体からあの声が出る、ということについて調べる限り「驚異的」としか語られていないのだけれど、私には、「無理」とか「凄惨」というふうに聞こえて、病名を聞いたときに、ああ、やはり、と思ったことがあったのだ。

だから、その「声」の講習会で、先生や周囲の方々に私の「失われた声」の話をすると、それは「あなたを生かすために神様が取り上げられたもので、ラッキーなこどだったのではないか?」という答えが返ってきて、綺麗に話が繋がった感がした。

ライアーという楽器は不思議な楽器で、自分の半身に沿わせて、音と共に生まれる振動を自らの体で感じ、増幅させ、そして共に歌うことで歌声とライアンーの響きが重なり合うという、全身が楽器となるという、そういう喜びがある。言葉にできないことも、音で、響で伝え、感じ取り、また秘めやかな音であるから、聴覚や神経の繊細さゆえに自らを閉ざしがちになる魂も心の扉を開いて自由に羽ばたいて行くことができる。
そう意味で治療教育の分野で使われている、というか、元々、その目的で作られた楽器であった。

そのライアーのコンサートで、さまざまな楽器がハーモニーを奏で、また他の楽器の音と共にある事で、自らの楽器も一層の響きを放つ。
声も同様で、ライアーと共にあることで、そして、他のメンバーの声と重なり合うことで整い、響きが増していく。

かつて幼い私が切望した、自らの力だけで光り輝く、そういう声では無く、周囲の光を受け、それを反射しつつ増幅していく、そういう声が自然と出るようになっていた。そして、その声は、私を生かしてくれる。そういう声だった。

そしてその活動の中で、次第に「自分だけは」「自分だけが」という姿勢だったのが、周囲を頼って良い。仲間に任せて良い。自分はいなくても大丈夫。という態度にシフトして行くことができ、人生の選択肢が増えることとなった。

今はその声を使って子供達に語りかけている。授業をするのであるが、あるときはお話を読み、あるときは説教をする。うまくいかなくて悩んだこともあったのだが、父の死を経験し、父の考え、態度に触れるうちに私の中に大きな変化が生じた。

「いつも笑顔で、誰も取り残さない。」

この決意を持って、子供達の前に立つと、これまで「どうしてこんなことがわからないのか?」と思っていたことは、きちんとみんなで確認して進む事となり、質問をしてくれた子には「良い質問をありがとう!」と感謝する。すると、恥ずかしいと思って遠慮していた子達も、「これは良い事なんだ!」と色々質問してくる。これまでより、イントロダクションとディスカッションの時間が長くなり、実際の制作の時間が減ってしまったのだが、早く始めたいと言う気持ちがマックスに高まり、なおかつ、どうして、こういうことをするのか?という目的と、どのようにするのか?という方法がより明らかになった子供たちはゴールまでの道筋を自分なりの方法で、より楽しんでたどっているように見える。

私の歌っていたもう一つの時期についても、最後に記しておこうと思う。

大学3年生の時に学祭の時に3年生になると少々というか完全に暇になる、ということがあって、当時の友人と、「フォーク研」というサークルに入った。そこで2年以上ぶりに歌を歌うことになり、私の声質が合うという事で、ユーミンの曲を中心にしたグループが一つできた。そして、その年の文化祭にフォーク喫茶を出店し、そこで、ホットケーキと、クレープを出すことになった。

実家は元料理旅館をやっていた、というメンバーの家には広い厨房があり、そこでみんなでホットケーキ作りの特訓をする。私は、当時母が作るようなホットケーキを提案したが、男子が、「絶対無理」と言って、ホットケーキミクスのホットケーキを出すことになった。
クレープはオレンジバターを挟みオレンジジュースで煮た、クレープシュゼットである。

うちの大学は学祭が5日間続き、その間1、2年生は全クラス料理店をやるので、メニュウが二つだけなら、「その程度」なのである。

そして、学祭当日、父が教室に入ってきた。黙って座り、私たちの演奏を聞きながら、一言も言わすにホットケーキを食べて帰っていった。

私の親友が、「今来てたの、Kokotoちゃんのパパだよね?」と、驚いて言う。

「うん。」

父が何を聞きに、何をしにきたのかは聞かずじまいだった。


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