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長銀団地という生き方 その7

長銀団地という生き方 その6 よりつづく

お昼ご飯にはご飯を炊くこととした。お米は兄が買ってきてくれた。
この家では母が具合が悪くなっても、ご飯を炊くことは炊けたのだが、それをしまうことができなくなり、私が来ると炊飯器の中で傷んでしまっている。ということが続いた。お弁当を届けていただくようになっても、母は自分の出来ることをしたい気持ちになった時に、やはり大量にご飯を炊いてしまう。そういうわけで、お米というものが家から取り除かれて、皆が集まり手巻き寿司をやろう!というような特別な時には、必要な分だけ持ってくるようになっていた。

炊けたご飯を父の茶碗に盛る。

一膳飯というこれもお通夜に備えるものらしく、こんもりと綺麗な山形になるようしゃもじで形を整える。どこからみてもバランスの取れた、丸みの取れた山形。艶々に仕上がるよう、団扇で仰ぐ。

さて、父のお箸は?とみると、一本しかない。食器棚の引き出しの中身を全部出して兄とチェックしたのだがやはりない。父の箸はシンプルな塗りの八角箸で、我が家のお箸では唯一の無地である。母の箸は堆朱。その他の箸はちょっとずつ箔があったり、螺鈿があったり、二色の塗り分けだったりするのだが、その箸が見当たらない。

兄は、似たような八角箸に一部グレーの塗りがあり、そこに銀の蒔絵の箸を示して、「お父さんはこれもよく使っていたよ」という。

正直私は、この家の箸は父と母のもの以外は誰のものか全く覚えられず、母は、「これは、誰の」、とイメージして買うからか、これは誰の、こっちは誰の、と食事の際に並べてくれるのだが、次の時にはまたわからない。兄がそれを覚えていたのが、意外で、
「やっぱりこういう時は二人いると強いね〜。」と感心した。

残りのごはんを兄と私の茶碗に盛り、簡単なお汁を作ってお昼をいただいた。ご飯の香りがまだわからず、美味しいのか、まずいのかがわからないが、水加減は大丈夫なようである。

一膳飯とお団子を乗せる適当なお盆が見当たらず、夫にメッセージを送る。パントリーの隙間にちょうど良いサイズの長方形の黒と赤のお盆があるのの、黒いのを一枚持ってきてくれるよう頼んだ。ギリギリまで家にいるのはこういう時のためだった。

その後喪服を着る。
着物を広げて、半衿を入れて、帯板と帯締めと伊達締めを忘れてしまったのは母のタンスから調達する。
髪を整え、化粧をする。ところが髪をまとめるかんざしが見つからない。兄にも協力して探してもらうが、見つからない。
仕方ない、このままだとご遺体の運び出しに葬儀会社の方が来るのに間に合わない。

「鶴の恩返し入りま〜す」と言って、着替えを始めるが、母の鏡台の鏡は曇っていて何も映らない。仕方なく洗面所で衿合わせをしていると、兄が、二階から姿見を持ってきてくれた、がこれにも何も映らない。鶴はリビングと洗面所を往復して、なんとか帯結びまで漕ぎ着ける。お太鼓は久しぶりで、帯締めを通す位置を間違えたのか、たれからズルズル落ちてくる。そんなかやであたふたしていると、夫と、次男が到着した。

ご遺体を運び入れる時は、担当者の方と兄と私の、3人がかりのお姫様抱っこであったので、出る時も、と力仕事要員として手配してあったのだ。

夫にかんざしの探索を頼むとなんと1分で探してきた。流石に私の行動と、性格を熟知している。「ありがとう」と手を出すと、お預けされた。夫の目がクルクルしている。「そんなんじゃあげないよ〜」とふざけているのだ。私は、「明さま、ありがとうございます。」と頭を下げ、ようやくかんざしを返してもらって身支度を終えた。

そこへ、ピンポン、と葬儀社の方が見えた。今回は二人づれだった。運び出しは流石に家族の手とはいかないのと、あとは後の祭壇の設置もあり、お二人で来てくださったのだ。


玄関の空いた戸から、斜向かいの田所さんの息子さんの姿が見える。その家の柿が全部綺麗に袋がけがされていたのを、先ほど到着した夫が褒めていたので、
「田所さ〜ん。柿が今年は素晴らしい出来ですね!もう父は梱包されちゃってるんですが、よかったら、上がって、顔を見てやってください」と声をかけると、「母が上がれないので、こちらでお見送りをさせていただこうと。」とおっしゃる。
父と同い年の昭和5年生まれのおばさんが外で待っていてくださったのだ。

担当さんが「わかりました、お顔のところを出せるようにしておきますね。」と言って、二人がかりで家の外のストレッチャーに乗せたところで田所さんのおばさんと息子さんが父に対面し、手を合わせてくれた。

私たちがこの家に引っ越してきた日からのお付き合いのお二人だった。

ご遺体を車に収めたところで、担当さんが、こう口を切った。運転手と一緒に一礼をお願いします。車が角を曲がるまで見送る事から「角送り」と申します。

目を上げると、団地の道を挟んだ向こう側からも何人かの方が姿を現してくださっている。

父の「角送り」に参加してくださっているのだ。

手を合わせて車を見送り、そろそろ、私たちも出かける支度をしよう。

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