長銀団地という生き方 その2

長銀団地という生き方 その1よりつづく

 途中でケアマネさんが見えて、リビングの片隅で座ってその光景を眺めておられた。

 嵐が引けるように人が去り後には、お隣さんと、ケアマネさんと私達兄妹が残った。

 私はお隣さんに「これは・・・祭りですよね?」と素直に感想を述べた。

 初めてそこでお茶を入れ、腰掛けると、ケアマネさんが「ご人徳ですよ」とおっしゃった。

 「人徳」と言われても我々にはピンとこない。
お隣さんが色々なエピソードを話してくださる。
いろいろあってここには書かないが、
「そういえば、父は綺麗なことが好きでした。」で締めくくられることだった。

 両親の最後の生活を支えてくれたお二人と、記念写真を撮った。

 そしてお二人がお帰りになられる頃に葬儀の担当の方が見えた。

 相談はまずは参列者の人数、日程、そして遺影は、と進む。昨年父が伯母と一緒に移った非常に可愛らしい笑顔の写真があった。トレードマークのハンチングもかぶっている。
 兄が、「帽子をかぶっていても大丈夫ですか?」と伺うと、大丈夫です、とのこと。

 この頃から私の中に明らかに異変が起きていた。

 祭りの波及効果である。
 
 「背景はどうされますか?」とカタログページのサンプルを見せてくださると、すぐさま「マーガレット!」と答えていた。担当者の方は落ち着いて、他にも、無地のデザイン、季節のさまざまなお花、胡蝶蘭も人気です。などと紹介してくれる。兄はこういう場合大変鷹揚な人で「こういうのは妹の方が、」と譲ってくれる。額縁はイエローパール、祭壇のお花は明るい紫をベースにと楽しい気分になってくる。

 そしてお料理の選定と云う頃に最初の変事が起きた。

 電話が鳴ったのだ。

 この時間は、打ち合わせの時間だと事前にお伝えしておいたので幾分遠慮げにお隣さんが、
 
 「あのー地区会長がいろいろわかんないっていうんでお宅に伺ってもいいですか?っていうんだけど・・」
・・どこかで作戦会議でもしているのだろうか?

「ハイ、どうぞ」と答えた。

 まもなくピンポンがなり、ワクワクしたビーグル犬の子犬のような方(多分/間違いなく80歳↑)がいらした。
「あのー場所はどこですか?時間は?」


「あのー、一応 家族葬で、ということでお願いしているんですが」

「お父さんの葬式じゃそういう訳にはいきません。」

 満面の笑みで。

 駅前の赤山街道に面した場所と時間を伝えると、一旦撤収され、
すぐさままたのピンポンで
「えーどうやって行けばいいんでしょうね?住所は?すみませんね一度で事足りなくて」

ー多分、私達よりあなたの方がご存じなのでは・・・?とその時気づくべきであった。

ーーー私は担当の方の名刺を断りもなくお渡ししてしまったのである。ーー

「いいんですか?」「ハイ、今は打ち合わせ中ですからご遠慮いただきたいのですがまた必要であれば頂きますから」

ーーーー今から思えばその時に勝負が決したのだと思う。ーーーー

 担当の方の電話がなった。
 「申し訳ありません。会長さんから、お父様のご葬儀の詳細を、町会の皆さんにお知らせする用紙を作って欲しいということで、よろしいですか?」

 「ですから、家族葬なので、そのために地区会の皆さんには今日家に来ていただいたのですが。」 
 とは言えなかった。切り札を渡してしまったのは、私なのだから。

 担当の方に謝り「これ幸い、という感じでしょうか?」とそっとお聞きすると
ちょっと諦観した様子で「ハイ、そのような感じで」とおっしゃった。

 会社の方と、葬儀の告知の文章作成の打ち合わせをされている間にお食事のカタログを見せていただく。

そのカタログにはあった。
昔懐かしい
コロナ禍ですっかり消えてしまった

30人分とかそういう物が。

 兄と何気に私はこれ以上は食べられない、お兄さんは?うん僕もこれくらいで良い。人数はまあ、親族全部で10人かな。

 担当者の方の電話がなり
「ハイ、ただいま、社の方で制作をしておりますので 出来上がりましたら・・・」

 お料理が選び終わり大体の金額が出て、

 すぐさままた、担当者の方の電話が鳴る。
 「ファックスをお送りしたか?ですか?今原稿を確認していただいています。今しばらくお待ちください。」
ーなにかすごいプレスだ。

 「ご香典・御供物は辞退でお願いします。」の兄の言葉に再び訂正が入る。

ーまたプレスが来る。

 とうとう、兄が全てを理解した表情に、唖然とした表情になり、

「これは無理だね」と言った。

 私にはとうに解っていたが、チェックメイトだった。

 その後、合計30人分のお料理を頼み、
御会葬御礼のお品も選び、その数の話になると、
「若干多めにご準備いたしておきます。お代金はお使いいただいた分だけで大丈夫ですので」

ーあぁ、なんとできた人だ、もちろん会社のポリシーなのだがご葬儀の営業さんは、特にこの会社の場合、会社全体を背負っていることがよく察せられた。

 兄はまだのんきに(ごめん)「まあ、足りなかったら親族の分を回せば良いわけですから。」などと言っている。

ーーーだ・か・ら・そういう問題じゃないと思うよーーー

 「御会葬お礼の文面はどういたしましょうか?」と先日担当された方のものを参考に見せてくださる。
何か私はもうワクワクだから「自分たちで考えます」。
担当の方はほんのかすかに意外な顔をされたが
兄はこの件に関して全く意論はない。

 8月に亡くなった伯父の葬儀の弔電、で私たちはGoogle Meetで打ち合わせをする兄妹である。画面共有ができれば離れていても今はなんとでもなる。

 それを会場で目にした親族が「良いご弔電でした」と言ってくれ、
告別式の最後の最後で喪主の従兄を号泣させたペアである。

「二人とも文筆業ですので」としれっというと、ひらっとした表情をされる。

「では、明日の朝までに文面をご用意いただけますか?」
「承知しました。一応参考までにそちらの文章もいただけますか?」

個人の部分をホワイトで消した文面を送っていただく。

びっくりするのだが、彼はこれだけのことをスマホ一つでやっている。

一旦喪服を取りに帰る兄に
「文面どうする?」
「原案作って送っておいて、後で見るから」

今回はレイアウトはお願いできるので、Lineを数回往復して出来上がったのが以下の文章である。

故 [父の名前] 儀

儀葬儀の際はご多用中にもかかわらずご会葬を賜り、また温かいお言葉を遺族にたまわりましたこと、誠にありがたく厚く御礼申し上げます。

生前、皆様方のお力添えとご厚情のおかげで、充実した人生を送ることができましたことを、故人に代わり深く感謝申し上げます。

故人が最も望んでおりましたのは、皆様がますますご健康で、好奇心に満ちた日々をお過ごしになることです。この願いを胸に、それぞれの日々を豊かに過ごされることをお祈り申し上げます。

略儀ながら書中をもって御礼申し上げます。

令和○年○月○日

喪主 [兄の名前]
親族一同




いいなと思ったら応援しよう!