小松宏子

フードジャーナリスト。祖母が料理研究家の家庭に生まれ、幼い頃から料理に親しむ。雑誌, …

小松宏子

フードジャーナリスト。祖母が料理研究家の家庭に生まれ、幼い頃から料理に親しむ。雑誌, Web、料理書を通して、日本の食文化を伝え残すことがライフワーク。不定期に料理教室を開催(hiroko_mainichi_gohan)

最近の記事

お金持ちの狭間で

なんの因果か、小学校から、世間ではお嬢様学校といわれている、聖心女子学院に入学した。校風もシスターも今でも苦手だが、上皇后さまは誇りだ。学年には首相のお孫さんやら、某ホテル創業者の一族やら、大使の娘やら、そんな人が多かった。普通のサラリーマンの娘でも、おじいちゃまがエライ方というのが定石で、まあ私も、多少はその口だったが、父親(正直、勤勉、真面目が、人間の皮をかぶっているみたいな人)が、平のサラリーマンのままだったから、兄弟3人(妹、弟が一人ずつ)私立に行ったうちはいつも火の

    • オートクチュール

      令和の今の時代は、ラグジュアリーブランドであろうが、ファストファッションであろうが、プレタボルテ(出来合いの製品)を購入するのがあたりまえ。オートクチュールをオーダーするなど、アカデミー賞でレッドカーペットを歩くセレブくらいのもの。ところが、昭和の50年代くらいまでは、オーダーして作ってもらうことが、今でいう、贅沢品としてのオートクチュールではなく、ビジネスの規模上、あたりまえのことだった。祖母は、吉祥寺にあった「マグノリア」という洋品店で、さまざま素敵なドレスを作っていた。

      • 祖母・小田切道子という存在

        私がここまで欲深く、着ることにこだわり続けている根源には、祖母である料理研究家・小田切道子の存在が大きくある。今の仕事に行き着いたのも、もちろんながら祖母の影響を受けてのこと。 とにかく、ぱっと人目を惹く華やかさを持ち合わせた洒落者で、75歳を過ぎても、年取るほど派手にしなければとフューシャピンクのコートを粋に着こなし、豹の毛皮のコートもさらりとはおり、ヨーロッパのマダムのように似合っていた。 ブランドものも大好き、グッチやルイヴィトンを、当時輸入していた「サンモトヤマ」で買

        • 「三愛」と「SUZUYA」

          小学校6年、中学1年くらいになると、いわゆる思春期、誰しもぐっと大人びてくるものだ。発育の早い子だと、もう、十分に、大人のサイズの服が着られようになる。当時、ファッション業界を牽引していたブティックといえば、銀座4丁目の「三愛」と新宿の「SUZUYA」。母に銀ブラ(懐かしい言葉ですねえ。銀座をぶらぶらしながら、ウィンドウショッピングを楽しむこと)をねだって、おそるおそる店に入ってみるものの、極端にチビで小学校4年生みたいな体型だった私では、どうにもなりません。買える服なし。ど

        お金持ちの狭間で

          着こなしの美意識

          小学校2年の学芸会での英語劇。歌も踊りもからきしダメな私はその他大勢のあひるの子供役。衣装はクリームイエローのカーディガン。確か、それは自前で揃えたものだった。それを家で着てみせたとき、叔母(父の妹。初の姪っ子である私をこよなく可愛がってくれて、昭和の大家族のご多分にもれず一緒に暮らしていた)が、「カーディガンはね、第一ボタンだけ留めて、あとは開けてひらりと着るのが洒落ているのよ」と。私はいたく影響をうけ、そうか、その方が素敵なんだと、当日、第一ボタンだけを留めて本番に臨んだ

          着こなしの美意識

          魔法使いの夢

          小学校1年のとき、大きくなったら何になりたいかと絵と文章を描かされたことがある。担任の玉井先生の授業のときに。私は魔法使いと書いた。今、思えばなんと幼いことか。今の子だったら、年少さんの答えだよね。で、理由がふるっている。洋服がたくさん買えるから、だと。ここが妙にリアル。決して夢見る夢子さんではなく、むしろ、生まれついてのリアリストである私がそう答えたということは、本当に洋服がほしかったに違いない。 そんな話を聞くと、ふりふりとした、お姫さまのような洋服を思い浮かべるかもしれ

          魔法使いの夢

          はじめに

          一応食の専門家である私が、なぜファッションについて書くのか? それは、食べることと、着ることが、人生にとって同じくらいに大事なことであり、どちらか一つでも欠けては生きていけないほどだからなのです。お金がなくなったらどちらをとるかと問われても、恥ずかしながら、食とは答えられない。なけなしのお金を半分にして、食と衣服に使うでしょう。 それほど、着ることも好きなんです。 63年の人生を思い返すと、はっきりと、洋服のことを意識した記憶は小学校1年生。以来、服にまつわる思い出――あの時