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続ければ100までいく。やめても、そこまでの積み重ねは残る。

昨日までの「時点」は、そこで、過去の記録になる。
今日は、また、0ではじめる。

昨日やり残したことがあっても、それを、「今日のマイナス」にしない。
昨日までの段階は、昨日までの段階。
100で完成するもののうち、昨日は10までしかできてないとしても。
今日は、「あと90やらねば」から始めるのではなくて、「今日から90」と、思う。

そういう風に思うことを続けてきて、私は、自分がマイナス領域に生きているという思い込みから、少しずつ抜け出していけた。

その考え方を、ずっと継続してきている。


けれど、時には、何か大きな感情の揺れを引き起こす状況になって、そこまで積み重ねてきたものが無意味に感じられたり、逆戻りしてしまったような感覚になったり、無力感に引っ張られてしまうこともある。


現実に、自分が「今は自分はここまで来れた」と思っていたことが崩れてくると、実際には全く何も進んでなどいなかったのだ…とか、ただ、同じ深みをグルグルと回ってるだけの徒労だったのではないか…とか。
思えてくることもあって。

そんな時は、ちょっとでも進んできてる感覚があればあった程、ガッカリ感が強く出てくる。

なんのことはない。
全て、幻想だったのだ…。

そんな風に、思う瞬間。

けど、それでも。
自分の「今」は、マイナスの領域にある、とは、思わない自分もいる。

今はガッカリ感満載でやる気減退であっても、その状態は「ゆらぎ」の一つに過ぎない。
それが、わかっている自分。

全てが幻想だったとしても、自分のやってきたことは、やってきたこととして、確かに後方に道として残っている。


「今」は、常に、「ゼロ」

そしてまた、明日も、「ゼロ」から始まる。

日々、仕切り直し。

その基本を、「ゆらぎ」は、意識させてくれる。

堪えるけど、でも。
我が身の足下がおろそかになっている警鐘でもあるから、堪えるのは当然。

まだ、そこに自分で気づけるから、大丈夫。

アメブロ“手が知っている異界の彩”より
「そして、また、0からはじまる」ほぼ全文
投稿日/2012-09-21 15:27:06


この投稿から12年経った今でも、
「今日からカウント」
の姿勢を続けている。

全体の工程が100あるのに、昨日は90までしかいってない。

そんなことは今もしょっちゅうある。

「ああ、できなかった。全然できてない」
どんよりとして、続きにとりかかる。

…よりも
「昨日までは10だから、今日から90工程やるんだな、うん!」
って思っていた方が、取りかかる時のテンションが違う。


昨日までの10が、予定している工期のうち50くらい過ぎた段階だ...としたら、残り90はけっこうハードになるけれど。
それでも、まだ10しかできてないと消沈しながら取りかかる残り行程よりも、ここから90やったら終わるって気分を上げながらのほうが楽に進められる。


わたしはもうすぐ、50代最後の一年に突入する。
アラカンだ!
わーお。
いや、それは別にいいんだが。

これまで消化した時間が、寿命全体のどこらへんまで来ているのか...ってのは、少しは気になる年齢だ。

単純にいって、動ける時間は、これまでの密度とはまるで違うはず。

もしかしたら1年とか5年とか程度しか残りがない可能性だってあるし。
なんなら明日までかもしれないわけだ。

まあ、そんなのは、今10才だったとしても90才だったとしても同じだけども。

過ごす1日の「中身」は、10才と90才では、全然違う。


だから。

消沈で始まる一日なんて、選んでる場合ではない。

もし、何らかの理由で残り行程100がこなしきれずに、80とかで終わりが来てしまったとして。
それでも、80まではやった、っていう積み重ねたことは、残る。


まあね。
そう思ってないとやってられん...ってことも、多々あるってことで。


ともあれ、みんなー!
幸アレ!!

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緋呂@ひとりからはじめる天下泰平
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