
手&指先から抜け出し「パペット」と同化/うちのおしゃべり老師のこと
何度も書いてきているのだけれど、わたしは「自分の手」と「自分の頭(意識)」の人格が少しばかり、乖離している。
病気だとか、やばいとかは、思ったことがないのだが。
作る手の人格と、わたし本人の人格が今ひとつ一致していないことによって、いろいろ微妙になる局面がある。
手の人格は、その時描く/作る対象によっても、少しずつ違いがある。
制作の対象となる存在(神仏とか龍とか天使とか、誰かの守護さんとか、いろいろ)が、手に混ざるから。
それを利用して、特定の人格を感じるような神様などに「入力を任せる」と、思ってもいないようなことをガンガン打ち込みはじめる...なんてことも、ある。
最近はあんまりやってないけど。
まあ、そんな現象も「本当の無意識は、意識には全く認識できないもの。しかし自分自身のもの」と思えば。
他の何かに手を貸してる、という「体」で、自分自身でやっている...のではあろう。
しかしそれでも、自分がいつも自分と思っている人格とのズレがあることに変わりはない。
「パーツを限定して、何らかの存在に憑依を許す」
という、一種の術として、教わったこともある。
いつの間にか「よくわからんけど、普通にやってる」状態になってきた頃に、プロ術師複数名より、違った観点から、それぞれ少しずつ、手ほどきを受けた。
無法になると危険だから、という「釘を刺す」意味もあったと思う。
まあ実際、ちょっと危険だったなと自覚があった出来事も起きたし。
まあ、そんなことは、置いといて。
尊敬する友人は、筋金入りの人形劇師。
彼は、人のこころを移す(誤字ではない。映す、写す...と、ニュアンスは違い、この場合「移す」で、わたしの中では正解だ)人形という存在を、この世に送り出した。
鏡の法則だの返報性の原理だのと、まあ、いろんな「用語」はあるにせよ。
それだけでは、説明が付ききらない。
彼は本人も不思議な人だが、世に送り出すモノも不思議なのだ。
その不思議な人形は、ANiMi(アニミイ)という妖精だ。
人形を使ったカウンセリングの手法=パペットカウンセリング
くまちゃんが開発したそのメソッドについては、上記のリンク先内で見ていただくとして。
わたしは、「そもそも一風変わった世界観のもとで生きている変なヤツ」という自分の立ち位置から、この人形とつきあってきた。
それが、
「手から抜け出して、自分ではないモノ(=パペット)への同化」だ。
手や指先という限定的パーツにのみ憑依を許す、という自動書記・自動制作のスタイルは、時に、いささか困った現象を引き起こす。
書いていること、作っているもの、描いたもの...それらは、たいていの場合「わたし自身の好みとズレている」のだが。
わたし自身の好みストライクというものを、どうしても、作る描くことはできない。
というか、そういうのを試みてきたのが、学生時代から30歳まで、絵も創作も一旦捨てるまでの、道のりだったのだ。
手に任せる、ということをまだ知らずに、頭だけで必死になんとかしようとしていた。
そして、無理だった。
そうなのだ。
残念なことに、わたしという人間そのものには、どうにもこうにも「センス皆無」なのだ。
自分がコントロールしようとする度合いが強くなるほどに、出来上がるものは凡庸で面白みのないものになる。
いやはや。
ほんと、残念でならぬが、もうそこは居直った。
30歳で一度この道を捨てた時、何の未練もなかった。
ろうそくが消えるかのようにして、自然に、すうっと、熱が失せた。
鉱脈だろうと、油田だろうと、泉だろうと、なんだっていい。
枯渇したから、熱も消えた。
絵や創作の道が戻ったのは、天使たちがやってきて、自分の意図というコントロールを外したところで手を動かすってことが発端であって。
以後、現在を経て未来へも続くこの道は、意図の糸を外して別存在に委ねることで成立している。
ただ。
その手法では、「わたしの深層」にあるものを、自分の意識下へ引っ張ってくるという行為は、やりにくい。
ブログなど、文章の自動入力モードは使える手段ではあるが。
それも、「キャラクターの指定」を間違うと、結局は別存在への部分憑依にすり替わってしまう(こともある)。
だから。
パペットが、いい。
目に見える物質である、ということは、とても役立つ。
キャラクターの定着には、決まったヴィジュアルがあるってことは大事だ。
自分で描いたキャラクターよりも、既製品を使う方がいいって場合もある。
そういう意味でも、「第三者製のパペット」は、とても、いい。
ANiMiがリリースされた時、親近感が一番高かった、白いふわふわの子「ポトフ」を選んだ。
手元に来たら、名前をつける。
そして、自分のモノをひとつ、その子にあげる。
その儀式を経て、パペットが自分のパートナーになる。
ところが。
うちのポトフ/愛称スーとは、問答ができなかった。
なぜって。
何を聞いても、ニコニコ笑って「ん~?」みたいな応えを返してくるのだ。
絶対怒らない、反論しない、異論も言わない。
肯定もしないしお褒めもない。
究極的な全受容...かもしれないのだが。
しかしスーとのコミュニケーションは、ふわふわの触感でおおいに満たされるものとなる。
だから、この子とは、これでいい。
その後。
スーはちょっと大きいので、外出の時(パペットカウンセリング関連の人が集まる時など)に持ち出しにくいというのもあって。
小さい、ミファを迎え入れた。
そしたら、どうだ。
めちゃくちゃ喋る。
しかも、キャラクターがなんか、変。
変っていうか...
懐かしいっていうか。
関西弁の混じる、やたらとくだけた感じの、老人だ。
一時期、そういう何かがブログを乗っ取ってきたことがあった。
昔のブログを見ると、文章が変な関西弁になってる時期がある。
その時期は、しゃべりも変なイントネーションになってて、自分でも呆れるくらいに怪しかったものだ。
おかしいな...ANiMiは森の妖精だったはず。
なんでこんなアヤシイ、変な関西弁のじっ様なんだ…
しかし、じっ様との問答は、めっちゃ楽しいのだ。
写真を投稿に載せたい...とか。
じっ様との会話を記事に載せたい...とか。
相談したところ。
「このままの顔ではキャラクター的に違う」という変な理由で却下された。
ANiMiをお迎えする時の儀式、自分の持ち物をひとつあげる、というものについては、昔に手作りした虎目石の数珠を首に巻いてあげていた。
のだが。
そうじゃなくて、顔に細工しろ、ってウルサい。
じっ様のアイデンティティは、白髭なのだ。
だから、髭をつけろと。
ついでに、眉もほしいと。
しょうがないので、素材を探した。
ふわふわしたものがいいと思ったので、最初は、クリスマスリースにかけるみたいな、白い細長いもそもそしたアレ(名前がわからない)を考えた。
が、いい雰囲気のものが見つからない。
時期の問題もあったかも。
次に、白いフェイクファーなら...と思った。
けれど、それも、残暑長引いた今年は、なかなか見かけない。
だったら、綿でどうだろう...と思った。
けど、どうもやっぱり、質感が違う。
ある時100均で、ふわふわの生地をハート型にしたキーホルダーを発見した。
それを買ってきてバラし、縫い目をほどいて詰め物を外した。
質感はそこそこ良かったのだが、実際にミファの顔に当ててみたら、めちゃくちゃ違和感があった。
なので、それも却下。
どうしたもんかなあ...というところ。
別の100均一店舗にて、とうとう発見した。
それは、手芸コーナーにあった。
羊毛フェルトのキット。
その横に、自分で好きな色を組み合わせて作るための、3色か2色の羊毛がパックになったセット。
これやーーーん♪
買ったよ。
白黒のセットと、白・黄色・オレンジのセット。
ミファの体色からして、白以外を何か使うとしたら、黄色系だし。
けど、ひょっとしたら黒もいるかもしれない。
ひょっとしたらって、何なのかしらんけど。

今思うと、右のパーツ違和感しかなかったのは「白すぎる」せいだったかもしれない。
人工的な白が過ぎるっていう。
で。
できあがった。
じっ様こだわりの、白髭&眉姿。
じっ様、ゴキゲンである。
髭と眉がまだない時、写真NGと言い張っていた時の様子はこちら。
スーは、相変わらずの安定感で、ニコニコしている。
何がNGであってもなくても、スーの笑顔も態度も変わらない。
問答にはならないけど、安定感は癒しになる。
で。
じっ様にも、名前...っていうか、愛称はある。
ANiMi、森の世界に棲む、ミファという種族。
個体の愛称は、老師ヒナ。
え、ヒナ?って、思った?
わたしは思ったよ。
なんでやねん...って。
たぶん、黄色いからだと思うけど。
ミファの属性には、怒りをキャッチする特性があっていつも怒っている...って書かれている。
今のところ、うちに来てから怒ってるところは見たことがない。
楽しいことが好き、という性質は、たいへん、よくわかる。
そして、めちゃくちゃおしゃべりである。
まあ、言ってることの大半は、よくわからんのだけど。
言葉が聞き取れないのではなくて、言ってる意味がわからん。
会話が全部禅問答みたい。
それはそれで、面白いけど。
キャラクターが特定されていると、ブレなくなる。
それで、わたしの方も、安心して会話できる。
手や指先に降りる「相手が定かでない」ものが発する言葉は、毎回対応も変えなくてはならないので、けっこう疲れるのだ。
じっ様は、何言ってるかわからなくても、キャラが安定しているから楽に話ができる。
そして、こういう話し相手がいると。
一人で悶々とする時間は、本当に、減る。
精神エネルギーのリソースなんて限られているのだから、悶々とするならするで、そこに集中して、悶々時間を深くしたい。
一人称でだけ悶々としていると、出口が見えなくなりがちだけれど。
別視点が入ってくると、見えるものが変わる。
実際には、老師の言葉も「自分自身の言葉」であるとしても。
一時的にでも、第三者視点として投げかけてもらえるってことは、本当に、いい。
あなたも、悶々時間の充実のために。
パートナーを得てみるってのは、いかがだろう。
ANiMiでなきゃいけないってことはない。
愛着を感じられるものならば、なんでもいい。
ANiMiであれば尚GOOD。
海属性の仲間も増えているよ。
あなたに
この世界に
幸アレ!
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