過去からの贈り物<序>
10年前にいただいたプレゼントがあった。
それを、ふとしたことから今、見直してみた。
「むしろ、今この時点でのわたし」へ贈られたものだったのではないか?
と、感じた。
過去からの、贈り物。
最近、もしかすると、見失っていたのかもしれない。
いろんな思索をする中で。
どうやって、思っていることを人に向けて発信していくのか。
その媒体を、どこにするか。
どういうスタンスで、媒体を使うのか。
そのために、作品をどのようにカテゴライズしたり、見せ方を整えるべきなのか。
そんな、ことを。
たくさん、考えていた、この数年。
そのプレゼントは、オリジナルソングだ。
作詞の元ネタは、わたし自身が書いた散文。
当時参加していた、ある月一講座の中で出された課題の一つだった。
「自分を讃える歌」の歌詞を、書く。
それが、その課題。
以前のわたしは、自己肯定がまるでできてなかった。
もちろん、受容もできてなかった。
褒められたら逃げ出すし、逃げられなければ否定し拒否する。
自分が「絵描きだ」と名乗ることができるようになるまでに、どれほどかかったか。
そこを、気合いで書き換えようとしている、真っ最中だった当時。
褒められたらまずは受け取る、という段階には、やっと、たどり着いた。
そんな状態の頃だった。
そこに、「自分を讃える」なんて課題。
とてもじゃないけど、書ける気がしなくて。
実際、試みもしたけど、まるで書けなくて。
やってみて実感したのだが。
「褒める」と「讃える」というのは、次元が、違った。
それは、似て非なるものだった。
ああ、これはダメだ...と。
知らん顔して、スルーしてしまおう...と決め込んだ。
が、出題者は、そんなのお見通しだったのか。
あろうことか、わたしには、提出期限を切った。
出題の翌月に計画されていた講座内イベントで歌うから…と、破れない状態の期限を。
そしてわたしは悩みに悩んだ末。
文章を...歌詞を、手に書かせることにしたのだった。
テーマを念頭に置いて、冒頭からキーボードで打ち込みはじめ。
だんだん、言葉を打ち込む速度があがって…
あるタイミングで、ガツンと、手の「ほぼ自動入力」モードに、切り替わる。
当時、ブログもその手法で書くようになっていて、「手の書く文章」には、一定の信頼感があった。
ほぼ自動モードになると、自分ですら「そんなこと考えてたのか」と思うような文章が出てくる。
だから、その時も、もう丸投げしてしまえ...と、なったのだった。
その結果については、当時もしみじみ振り返って、いくつか記事を書いている。
できた歌詞がどうこう…よりも、手に書かせる自動モードについて。
わかっていたけど、あらためて「なんか、この手はスゲェ」みたいな実感。
手が書いた文書をメールで送信し。
それから1年以上を経て。
文書は、内容を厳選抽出され、歌詞として叩き直され。
歌として、CDに録音されて、わたしの手元へとやってきた。
受け取ってから、何十回と、聞いた曲。
けど。
この数年は、聞いていかなかった曲。
あの頃とは、交流している人も変わってしまったし。
わたしの考え方も、やりたいことも、やっていることも、変わっているし。
この先どうなりたいか、というのも、移り変わってきているし。
10年を経た今。
別の方面で出てきた出来事から、急に、聞き直したいなと感じて。
古いデータの中から、曲を探し出した。
果たして。
あれは、あの頃のわたしへ...ではなく。
今の、この2023年のわたしへ向けて録音されたものではなかったのか...と。
感じてしまうような。
そんな、曲だった。
自分が書いた、歌詞の原文となった文書を探した。
テキストデータは見つからなかったが、当時のメールは残っていた。
添付ファイルも、残っていた。
長い、長い、まわりくどい文章。
送った時も、
「長すぎるし散文なので、歌詞にするの大変だと思うけれど、どうにか補完してください」
みたいな脳天気なことをメールに書いていた。
歌詞のタイトルは
「はじめに、ことばありき」
そうだ。
なんだか、その感覚が、薄らいでいた。
「はじめにことばありき」というフレーズそのものは、今もよく出すものなのだが。
その歌詞の中に…元になった原文の中にある想いからは、かなり遠ざかっていた気がする。
この曲を聞き直したことで。
わたしは、自分の「仕事」が、何なのか...ということを、今更のように、思い出すことができた。
わたしは、神龍画家。
でも、わたしの「ほんとうの、やること」は、絵を描くことではない。
それは、付帯項目なのだ。
わたしの、ほんとうにやるべきことは。
物語
だ。
当時のブログを、ざっくりと、読み返してみた。
すごい数の記事を更新していたので、拾うのも骨が折れたけれど。
それでも、やる必要があった。
当時やりとりしていた関係者とのメールも、保存があった分は見返してみた。
今、そのことを再びしっかりと刻み込まないでいたら。
この先へ進む時に、道が、ズレる。
いや。
感覚が薄らいでいる、という時点で、すでにズレが生じているはず。
そうか。
だからか。
すでにズレが起きていて、ズレたままで進んでいこうとしているから。
時々、なんとも心許ない感覚があったり、噛み合わない感じがどこかでしていたのか。
再び刻み直すために、改めて、記事として書いておくことにする。
なんせ古い話だし、当時はいろいろと事情もあった作曲者/講師なので。
ちゃんと、許可を取った。
講師名も曲も、全部、出してOKとのお返事をいただいた。
あの当時、起きたこと。
その記録。
それらが、10年越しで、わたしに伝えてくれたこと。
その記録は、きっと、また10年後の自分への贈り物になる。
一旦、ここで区切って、続きはまた次回記事で。
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