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あなたの手を、自分の最良の相棒にしよう

手に下ろして決めた改名譚、その「ワーク篇」だ。
こちらの記事の続編なので、未読の方はまずこちらからどうぞ。

いささか踏み込んだことを書いているため、有料またはメンバーシップ「龍之洞穴」参加者以外は一部公開にさせてもらっている。


今回はいよいよ、「手が導く」ということを
「感覚的には知っている」状態から
「意図的に手とコミュニケーションを取っていく」状態へ
どのように、実地訓練がなされたかについて。



 

「あんたの手に決めさせたらええんや」の一言で始まった

 

結果をお伝えすると、その時に決めた新しい画号は
「彩光」と書いて「あやこ」と読ませる
というもの。

名のみ、姓はつけない。

当時、ほどなく年末に入るということで、区切りよく2012年の新年と共に変えることになった。
そして、2014年の夏まで使った。
(2014年夏にほんの一時だけ別の名にし、その後11月に現在の「緋呂」に落ち着いて、改名遍歴終了。どうやって「緋呂」になったかは、また別の機会に。)

 

ホウ師が指示した手順

その通りに記す。

1:白無地の紙とペンを用意
2:思い浮かぶ文字なり言葉なりを、考えずに、どんどん書き出していく
3:ある程度書いたら、紙を裏返して小休止
4:新しい紙に、今度は「5個」だけ、思いついた順に書く

白い紙はA4コピー用紙をいただいた。
ペンは、自分の筆ペン。

A5の方眼ノートを持っていたが、却下された。
少し狭い+罫線もドットも何もない白紙でないとだめだ、ということで。
(今ならそれ、よくわかる)

この手順だけ見ると、特別なことをしているわけではない。
ポイントがあるとしたら「何も考えずに」なのだが。

わたしはもともとが「頭ではなく手が先導する」というスタイルに、すでに落ち着いていた。
だから、この作業に入る前に、「意識の上で」設定することが、あった。

「自分が、こう在りたいと思う名前」を決める

ということが、この時のテーマだ。

しかし。
わたし自身の意識は、「仕事をする手および作るモノ」から、かなり離れた位置にいた。

距離が、遠かった。

今でも「いやあ、手と自分、別人格なんで~」というのは、変わってない。
ただし、あの頃と比べたら「並んでいる」意識がある。
さらに、「融合していこう」という意識も、持っている。

 

2011年頃のわたしは、自分から「絵描きです」と名乗れないでいた。

自分の中の無価値感に負け続けていて。
お金をいただいていることも詐欺っぽいように感じていた。
(ホウ師には初見で見抜かれ、「〇万円以下では絶対に売ったらあかんでぇ」と、釘をさされまくった)


自分が描くモノ作るモノを必要とする人なんかいない。
今のお客様たちは、みなさん、天使とか神様とかが好きな方達だから、「だから」お客様でいてくださるだけで、誰も「わたしの絵だから」で買ってない。

と、とにかく強固に信じていた。


いや、確かに、そういう面は当然ある。
誰も、好きでもないものが描かれた絵なんて、どれほど高名な人の作品でも欲しがらないだろう。

わたしだって、心の師匠たる北斎翁の落款が入っていても、まるで興味のないモチーフならそこまでそそられない。
(たぶん)


当時は、そういうレベルの状態ではなかったのだ。
いわゆる「自己価値感最底辺」だったのだ。

その意識状態での「望む自分」なんて、一つもアテにならない。

 

まずイメージトレーニングから

紙に書き出しを始める前に、イメージトレーニングをした。

表層意識レベルを、下げるため。

そして、

【今の自分】を離れて、【手】と、同調を強める。

【手が繋がっている、その先】へ、同調を、強める。

「本来、立っているべき場」へ立っている状態を、手に、呼び込む。


今の自分の顕在意識は、その邪魔しかしない。
だから、横へ置いておく。

黙って見てろ、というやつだ。


ホウ師が見て、「いい感じになった」というところで。

手順2:思い浮かぶ文字なり言葉なりを、考えずに、どんどん書き出していく

開始。


書くモノは、なんでもいい。
記号や絵でもいい。
文字である必要もない。

その上で、わたしの手は、最初から、漢字を一文字ずつ書き始めていた。

わたしは、漢字表現が、すごく好きなのだ。
漢字に強いというわけではなくて、漢字という存在が好き。
字形だったり、一文字にいろんな意味を含むところとか。

次から次へ、漢字をひたすら書いていく。
数分で、A4が埋まっていった。

 

そこで、小休止。
紙は裏返して視界から外し。
お茶とお菓子が出されて、ホウ師と雑談をする。

小休止は、「負荷の解放」のためだった。

その後、今度は最初のイメトレなしで、新しい紙に書く。
5つだけ。
5つで止めるを守れば、文字でなくてもなんでもいい。

すると、今度も漢字が出てきて。
5文字と言われたけれど、3文字書いたところで、ピタッと手が止まった。

「彩」「光」「輝」

順番も、この通り。

一枚目の用紙を見たホウ師が、それをわたしに差し出す。

すると。
一枚目の紙も、最初に出てきてるのは、順番も同じで、この三文字だった。

「決まりやな」


では、この三文字を、どう使うか。
順番や、全文字使うのか否か。

意味あいは違うとはいえ、「光」と「輝」は、重なりすぎる。
どちらかを外そう。

となったら、やはり順当に、書いた順番=重要な順番ということで、使うのは「彩」「光」となる。
(漢字としてどっちが好きかって言うと、「輝」の方)


さて。
「この手が、その先の対象と繋がって導き出した必要な文字」
が、決まった。

ここに、音をあてて、読ませ方を決めていく。

ホウ師もわたしも「サイコ」って思ったが。
これは、わたしが、却下させていただいた。

わたしは、中学生あたりからすでに、自分はサイコパスの一員だと思っていたので。
それに、「サイコ」って自動的に、往年のモノクロホラー映画の傑作、シャワーカーテンの映像が自動再生される脳内だったし。

名前がそれとなったら、さすがにシャレにならん...と。
(今だったら、逆にそれオモロイやん、って思うけどな。あの頃は真面目だったな。つまらん、とも言うよね)

「あやみつ」てのも出たのだが。
それは確かにカッコイイのだけど、なんとなく武士っぽい響きが...

わたしには、戦国と江戸の「いわゆる過去生記憶」がある。
丁度、このワークをした時期、かなりその記憶だかなんだかに接近する機会があって、武士風の響きを使いたくなかった。
(これも今だったら気にしない。当時は禁忌ラインに近いところにあると全部避けてたから、選択肢狭かったな)


最後に、ホウ師が
「あやこ、やな。キレイやし」
と、決定打を打った。

こうして、新たな「絵師名」が、決まった。


そして。
この時のこの一連の手順が、その後
「手と相談して、何かを決める」時の基本形になった。

紙に書き出すかどうかは、その時の内容や状況による。

この方法は後に、ブログ文章などを書く時に自動操縦でできるようになった。


わたし自身の能力的に、憑依対象は限られる。
どんな存在でも引っ張ってこられるわけではないので、大したことはできない。

今、護符作成なども、基本的にはこうした手段で「おろして」くる。

これが、「手と意図的にコミュニケーションを図る」という行為の、最初の実地訓練の流れ。


三つの文字は、人生を共にしてきた文字達だった


ここからは、余談だ。

このとき、手が出してきた三つの漢字。
このうち、不採用となった「輝」という文字なのだが。

実はこの文字、中3から30才まで15年近く名乗ったペンネームに、入れていたのだった。

命名者は、当時ずっと一緒に活動していた人。
わたしは、彼女を「相棒」と思っていた。

加えて。

「彩」は、Web制作のフリーランスとして活動していた時代の屋号やキャッチフレーズとして、使っていた。

「光」は、高校から書き続けていた小説の主人公の一人の名前でもあった。

漢字は、何文字あるのか正確には知らないが。
あんな数があるにも関わらず、この三つの文字はずーーーーーっと長期間、自分で選んで使っていたのだった。

いやはや。

「彩」の文字は、その後、護符印になった。
とある密教の尼僧さんの指導によるもの。

彼女自身、自分に与えられた一文字を護符印にしていて。
そこから、「彩」をわたし用の崩し文字印に構成してくれた。
それは、今でも用いている。

 

手に書かせる、のススメ

あなたも、何か、現状の自分自身を少し超えたところからのインスピレーションがほしい時は、「手に書かせる」を試してみられたらいかがだろう。

面白い結果になるかもしれない。

現実に、それを「使えるもの」に整えるという工程は必要になると思うけれど。
アイデアの元を出す、というフェーズなら、誰でもできるのではないかな。

それを、もっと深めて磨いていくと、「自動書記」っていうものへ化ける。

こういうのは、能力というより技術なのだから。
「その気になって、突き詰める」ことが、一番大事だと思うのだ。

 

 

集いし皆に、幸アレ。


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緋呂@ひとりからはじめる天下泰平
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