落ちている「つめ」を拾って思うあれこれを取り留めも無く
表題の画像は猫を飼ったことがある人には馴染みであろう、あの剥離した爪だ。爪とぎ用の段ボールや麻縄を巻いた柱のそばによく落ちている。片側だけの薄いものが見つかることが多いので、これくらいしっかりした形状のものが見つかると、つい嬉しくて取っておきたくなる。多頭飼いの場合は爪や髭が落ちていてもどちらの物か不明な場合が多いと思うが、我が家の場合は2匹のうちどちらのものか、一目瞭然である。
画像の左、大きく厚いのがトラ♂で、右の小さめで薄いのがミケ♀の爪。私がいままで飼ってきた他の猫たちもミケくらいのサイズの爪だったから、トラのは標準よりもかなり大きい気がする。
3年前に生後7~8か月で保護猫を譲り受けたとき、トラのほうが少し小さかったものの手足のサイズは大きくて「この仔は大きくなりそうだなぁ」と思ったら案の定、瞬く間にビッグサイズに育った。
ちなみに二匹に血のつながりは無く、トラはお母さんや兄弟たちと一緒に保護され、ミケは山道をひとりでいるところを保護されたそうだ。ひとりは心細いだろうし仲良しなので、一緒に譲渡して頂いた。
二匹ともまだ若く新陳代謝も活発なせいか、爪が落ちているのをよく見かける。前に飼っていた猫たちは老いるにしたがって見かける頻度が落ちたから、猫も人も年を取ると爪や髪の伸びる速度が遅くなるのだろう。
先月、久しぶりに里帰りした際に母の足の爪がかなりのびているのに気付き、人生で初めて「親のつめを切る」という体験をした。「ずいぶん伸びちゃっているけれど、前に切ったのはいつ?」と尋ねると忘れるくらい前だと笑うが、90代になった母は目も悪くなり、手の爪は自分で切れても足の爪は切るのが怖いらしく、それ以前に切らなければならないほど伸びているのにも気付かなかったらしい。「切ってあげるよ、爪切りは?」と尋ねると、「よりどりみどり」と亡父のものを出してきた。晩年の父は爪切りが気に入らず、母に頼んで色々買っては試していたから、やはり足の爪など切り辛くなっていたのかもしれない。
母の爪を切りながら、二十年前に初めて生まれた子の爪を切った日を思い出した。予定日よりも数日早く生まれたもののお腹のなかでしっかりと育っていたようで、生まれた翌日には初めての爪切りをした。ちっちゃな手にちっちゃな爪、傷つけないようおっかなびっくり切ったのは懐かしい思い出だ。息子の爪をいつまで切ってあげていたのかは定かではないが、初めて自分で爪切りをしたときのことは記憶している。幼稚園時代、2歳違いの姉が自分でしているのを見て自分が赤ちゃんのように思え、私も自分でやりたいと無理を言い、深爪してしまったのだ。失敗してしまった経験ではあるが、おかげで半世紀以上たっても思い出せるのがありがたい。
爪や毛髪には魂が宿るとされて、夜に切ることはタブーとされていた時代もあった。「夜につめを切ると親の死に目に会えない」と聞かなくなったのはいつからだろう・・・
爪を切る、切ってもらうという行為について色々と考えたが、私の中では大げさに言うなら「保護対象である」証なのかもしれない。
うちのミケは好奇心旺盛で甘えん坊、隙あらば膝に乗ってくるくせに、野良の経験がある故なのか警戒心も強く、抱き上げられることと手足を押さえられることは嫌がるので、爪を切るのも一苦労。膝の上でぐっすり眠っている隙に数本ずつ切らせてもらう。対してトラは呑気なもので、いつでもどうぞとなすがまま。
人と違って彼らとの関係は変化することはないので、一生この子たちの爪を切り続ける=保護してあげなければと思うと、あらためて愛おしい命である。
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最後まで読んで頂きありがとう御座います。
今回は仕事とは関係のない投稿でした。
ガラス工芸作家 林 裕子
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