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ドレス選びに親を連れてくるのはダサいこと? /77日note:18日目

親に何かを決めてもらう。
小学校のときは当たり前にしていたことをダサく感じ始めたのはいつからだろう。

いつまでも親に甘えているみたいだし、自分の意思がないみたいで恥ずかしい。特に結婚式は、これから親の元をはなれて自立して生きていきますという意味合いが強いと思っているので尚更だ。

そう思っていた私が「親にドレスを選んでもらおう」と思った理由を残そうと思った。

ドレス選びこそ、親に来てほしくなかった

私の母親は、昔から私の服を選んでは「ほら、私のセンスがいいからね」と言っていた。私に服のセンスがなさすぎるのも原因なのだが、私が悩んだ時間とか、私の意思や選ぶ過程が全部なかったことになるみたいでとても嫌だった。

成人式の着物だって、私自身が赤が好きで選んだのにまるで母が選択したみたいだ。いまだって成人式の写真を見るたびに「ほら、私のセンスが良かったから似合っている」と言う。

選んだのは私なのに。この着物にするためにたくさん悩んだのに。私の悩んだ時間も気持ちも全部なかったことにされて、さも「私のおかげでしょ」と言われているみたいでとても嫌だった。

親から届いたLINE


コロナ禍の結婚で悩む私達も、結婚式場を決めた。結婚式場を決めたら、次はドレス選びだ。

結婚式場選びについてのnoteはこちら↓

成人式のこともあり、結婚式で着るドレスは自分1人(もしくは友達にみてもらう)で決めようと思ってた。そう思っていたときに、母からこんなLINEが届いた。ちなみにお色直しはしないので、選ぶドレスは1着だ。

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「うわ、またか」このLINEをもらったときの正直な感想だ。きっと母がドレス選びに来たら、結婚式の写真を見るたびに、結婚式の話をするたびに「私が選んであげたのよ。母親は子どもの似合うものが分かるから」と何度も何度も言うんだろうなと思った。

きっと私もたくさん悩むのに。パンフレットをみて、インスタで#卒花 をたくさん検索して、事前にリサーチして、友達にも相談して、決めた後もこのドレスで良かったのかな?とか、たくさんたくさん悩むのに、全部母親が決めたことになってしまうのだ。

母にとっては人生最後のお祝いごと

「人生最後のお祝いごと」という母の言葉が残った。確かに、私は次女で遅生まれなので母はもう65歳だ。今2歳の姪の結婚式には出れるか分からない。そう考えると身内の晴れ舞台は最後なのかもしれないな、そう思った。

そう思うと悲しくなった。
私はこれからの人生、まだまだお祝いごともあるだろうし、たくさん悩んで決めることができる。でも母親は私の結婚式が「人生最後のお祝いごと」なのだ。

人生最後のお祝いごとなら、選んでもらうかと思った

成人式の着物を一緒にみに行った時、とても嬉しそうだった。
成人式の着物を「私が選んだのよ」という母もとても嬉しそうだった。
心のよりどころになっているようにも見えた。

きっと結婚式のドレスも選んでもらったら、結婚式当日も「私が選んだの」と言うだろうし、生きている限りずっと言うんだと思う。(姉のドレスのことも未だに言っている)

きっと娘のドレスを選ぶのは、母にとっては大事で、嬉しくて、自慢したくなることなのだと思う。

そして、私は2人姉妹の次女なので、母にとっては最後のドレス選び。
母が全部決めたことになるのは悔しいけれど、娘のドレスを選んだことがいつまでも「嬉しかった思い出」になるなら、選んでもらうのも悪くないなと思った。

きっと、いざドレスを選ぶときは言い争うんでしょうけどね!

おわり

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