学生起業から10年を振り返る。ROXX COOとして最後の振り返り
はじめに
株式会社ROXXの山田です。表題の通り、株式会社ROXXは10期目が終わり、創業して10年が経ちました。何者でもなかった学生が集まって始まったROXXが10年を経て、従業員200名を超える会社として成長を続けられていること改めて関わっていただいた皆様に感謝申し上げます。ROXXのサービスを使い続けてくれる取引先の皆様、ROXXを信じて投資していただいた株主の皆様、何も知らない我々にたくさんの経営のアドバイスをくれた経営の先輩の皆様、そしてROXXで一緒に働くメンバーとメンバーを支えてくれている家族の皆様。皆様のご支援とご協力があり、ROXXはここまで来れました。本当にありがとうございます。そしてこれからも引き続きよろしくお願いいたします。
さて、本日はROXXの10周年を振り返っていければと思います。最初にお伝えしておきますが、10年を振り返るとなると、とても長くなります。1年単位で振り返っていきますので、気になるところだけ読んでいただくのを推奨いたします。
もう一つ表題で気になったかもしれません。本振り返りはCOOとして最後の振り返りとなります。決して山田がROXXを辞めるわけではございません。実はしれっと、今年の8月に「COO」という役割を中途入社1人目の植木大介に交代しており、現在山田は管理領域を管掌しております。この10年はある種、意図的にCOOという名前にこだわってきた10年でした。それを別の者に渡すということもまた、ROXXの大きな変化の一つだと思っております。こちらについては本振り返りの10年目で詳細振り返っていければと思いますので、気になる方は10年目へと遷移ください。従ってCOOという目線での振り返りは今回が最後になります。役割が異なれば、目線は異なります。同じ人間でも役割が異なったら異なる振り返りになります。COO山田として最後のnoteが少しでも世の中のCOOの方々、学生起業の若者たち、そしてROXXの若きメンバーたちにお役に立てたら幸いです。
それではROXX10年の振り返りにどうぞお付き合いください。
1年目:創業最初の大失敗から得たROXXの原点
2013年11月1日にROXX(当時は株式会社RENO)は創業しました。遡ること半年前。2013年の5月ごろに山田は代表の中嶋に誘われております。当時は青山学院大学の3年生。たまたま中嶋とはクラスメイトで、授業では一緒になるが、特段仲の良い友達ではない。そんな関係性でした。そんな中嶋から授業が始まる前に突然、「会社やりたいんだけど一緒にやってくれない?」と誘われたことから始まります。当時の山田はいつか共同創業をしたいが、自分は社長業をやりたくなかったので、社長業に向いてそうな人から誘われたらやりたいなというそんな心持ちだったため、その場で「いいよ」と回答したと記憶しております。今では二人の相性が良いですねとか、よく言われますが、当時中嶋が山田を誘うという感覚は率直にすごい感覚だなと思いますし、それがROXXの今のバリューの一つ「BAND」のコアに繋がっています。中嶋が山田を誘った理由、そして山田が中嶋の誘いを受けた理由。そして、10年やり続けられた理由。それは二人が真逆の価値観・スタイル・能力を持っており、それをお互いに必要としており、その真逆であることに極めて大きな価値をお互いに見出しているからだと思います。中嶋はよくバンドに例えて言います。「バンドにギター二人はいらない。他の楽器が弾ける人が必要だ」と。それまで音楽を、バンドをやっていた中嶋にとっては、それが当たり前の感覚でした。自分と違う人だから誘う。違う人だからできることが増える。ROXXのバリューである「BAND」は創業から続く、組織の基本思想でした。
そんな創業から始まったROXXですが、1年目は大失敗から始まります。当時の最初の事業アイディアは新卒領域の人材マッチングサービス。新卒のダイレクトリクルーティングサービス(当時はそんな表現してなかったですが)を作ろうというようなものでした。一方で創業メンバーにはエンジニアは不在。誰もプログラミングはできず、最初にやったことは外注してプロダクトを作るというものでした。当時は本当に何も知らなかったんだなと笑い話になっておりますが、資本金の大半を外注に使い、結果は完成せず(そりゃ、金額的に完成するはずがないのですが)。資本金の大半がなくなり、中嶋が渋谷のガストで途方に暮れていたこと今でもよく覚えています。この経験からプロダクトは全て内製で創るということを決め、その後の全てのプロダクトは内製するようになりました。さて、中嶋はガストで途方に暮れながらもその場で「プロダクトでマッチングするのではなく、自分たちで直接マッチングしよう」と切り替え、そこからは日々身の回りの就活生と面談を行い、就活相談を受けるように。同時並行で企業に営業をかけ、アナログにマッチングを行う日々が始まりました。当時の自分たちからすればプロダクトを作って、それがどんどん広まっていき、ものすごい勢いで成長していく。そんなことを想像して始めたわけで、これほどまでに地道なことをやるというのは、なかなかに想定外だったのだと思います。それでも今振り返ればこの日々こそがROXXの原点であり、今のROXXを形成した最も重要な時間だったと思います。日々の就活相談を通してのユーザーの悩み、人材紹介業を営むことの大変さ、人材業界の課題、地道だが積み上げていく仕事の重要性。その後のROXXを形成していく要素をこの1年目で得られたことは、当時は生きていくために必死で何も意図的ではありませんでしたが、今となっては大事な1年目だったなと思います。
COOとして1年目を振り返る
学生起業で始めると何もわからないところから始まります。代表がいわゆる代表らしい人材であるほど、代表にはピュアに事業のことだけを考えてもらった方が良いでしょう。そのためにCOOはその他全ての会社として成立するために必要なことをやるのは重要な役割だと思います(もちろんそれだけが仕事ではないですが)。ROXXも創業当初から管理領域は山田がやっておりました。中嶋が好まない仕事だったということもありますが、山田としてはこういう仕事を代表がやるのは違うだろうとも思っていたので、彼に管理仕事を依頼したことはありません。代表が余計なことを考えずに仕事ができる環境を創るのは創業当初においてはCOOの重要な役割かなと思います。また創業1年目はまだ何もないので、とにかく代表がこれと思ったことを最速、最短で実行していくことも重要だったと思います。一番良くないのはずっと議論してること。何かが存在している中で議論をするのは悪いことではないですが、事業が何もない中で議論するのはあまり意味がないと思います。成功するか失敗するかは誰もわからないので、まずはやってみて、その結果に対して議論を進める。そのためにもまずはスピード重視で事業を形にしていくことにCOOは注力した方が良いかなと思います。
2年目:ROXXが"会社"になった2年目
2年目にはROXXが最低限の会社の機能を持つようになっていきます。1年目の絶望的な状況から始めたアナログのマッチングですが、何とか軌道に乗ってきて、自分達が面談した学生たちが内定をもらい、就職していく姿は今でも一人一人記憶に残ってます。自分の支援がその人の人生に大きく影響を与えることを身体に刷り込まれた大切な期間でした。何も仕事・経営というものがわからなかったところから少しずつ、営業ってこうやるんだ。経理ってこうやるんだ。給与ってこう払うんだ。契約書ってこんな感じなんだ。弁護士ってみんな優しいな。そんな感じで色んなことを学びながら、毎月少しずつ売上が立ち、その中から給与を払うという状況へと変化していきました。この頃には同年代の学生をインターン生として雇うということも始まっております。最初は自分達だけだったところから、自分達以外に給与を払う。この感覚の変化は当時とても大きかったと思います。給与の支給日が来るのが毎月怖く、会社の口座残高を見て、計算して。そんなことを繰り返しながらも、毎日学生との面談、企業への営業の日々を繰り返してました。あの当時、何も実績もない我々の話を聞いて、うちに紹介しても良いよと言ってくれた企業の人事の皆様には本当に感謝しかありません。そしてこの頃、初めてのオフィスを借りることになります(創業当初はレンタルオフィスでした)。青学出身でずっと渋谷で仕事をしてたので、どうしても渋谷がよく、でも払える家賃には限りがある中で、神山町の奥の方にできた新しいアパートを借りました。2DKで40平米くらいのところに10人以上が常にいるという光景は今でも忘れませんね。そんな感じで少しずつ会社になっていき、2期目の売上は1,000万円を超えました(先程数字を見に行ったのですが、思ったより売上ありましたね)。
COOとして2年目を振り返る
2年目は会社として成立させ、創業者以外の人に給与を払うという観点で何でもやった時期でした。このなんでもやる時期というのはCOOとして非常に重要な時期だと思います。役割分担を早期にしすぎて、部分的な領域しか仕事をしないと長期的に見て部分最適な経営者になってしまうのであまりオススメしません。もちろん業務単位で好き嫌い・得意不得意があるので、そこは役割分担して良いですが、特にCOOは全てに絡んでおいた方が良いかと思います。売上を上げること、管理を回すこと、組織・メンバーと向き合うこと。プロダクトを持ってなかった当時はこの三つに対してとにかくなんでもやるというスタンスでやったことで意外と営業もできるかもとか、そんな発見はたくさんありました(もともと営業はできるとも思ってなかったですし、一番やりたくない仕事でした)。難しいことを考えず、メンバーみんなに給与を払うためになんでもする。経営者としての幅も広がりますし、シンプルに仕事ができるようになります。一方でこの幅の広さに対して、最短で仕事を形にしていく必要があります。創業当初はやることはたくさん、当然人的リソースは非常に少ない時期です。その時に悩んでる時間も、深く考える時間もありません。その時に最も重要なのは正解を知ってる人に教えてもらうことです。創業当初の論点なんてものは、ほぼ全て答えが存在します。一方で当事者たちにはとても難しい問題のように思えます。またそれに対して考えること、調べることがとてもかっこよく思えて自己陶酔になりがちです。ただこれ普通に考えて無駄なんです。最速で答えを知り、その答えの意味を振り返りながら思考した方がよっぽど会社の前進と自身の成長を加速させます。とにかくこの時期は周りを頼った方が良い時期ですし、山田も中嶋もめちゃくちゃ頼らせていただきました。山田はこの時期に管理仕事のほぼ全てを教わってます(正解を全て教わってるので、一度も悩まずに仕事をしてました)。誰に何を教わるか。ROXXを振り返ればこれが大正解だったからこそ、この時期をなんとか乗り越えることができたのだと思います
3年目:スタートアップへの大転換
3年目にROXXは大きな転換を迎えます。当時はまだ零細企業だったところから、外部資本を入れてスタートアップへと転換していきます。そしてリリースするROXX最初のプロダクトが「SCOUTER」です。いつかはプロダクトを創って世の中に大きな影響を与えたいと思いながらも2年やってきた中で、中嶋がSCOUTERのアイデアを思いつき、これをやると宣言した時、ROXXはスタートアップ企業へと転身しました。しかし、当時の意思決定にはなかなか驚いたものがあります。当時新卒のマッチング事業の事業計画を山田は作ってる真っ最中でした。2期目が売上1,000万円で、3期目は4,000万円くらいは目指せるかなという計画だったと思います。そのくらいあると、かなり安定するなと思っていた矢先に、中嶋から「新卒マッチング事業は終わらせ、SCOUTER一本にする。全ての力を注がないと立ち上がるものも立ち上がらなくなる」と言われました。この発言はこの10年で個人的に最も驚いた発言かもしれません。今振り返るとすごく正しいなと思いますし、もし新卒マッチングも並行してやっていたら、きっとROXXはスタートアップとしてプロダクトを創り続ける会社になっていなかったのではないかと思います。一方で当時の山田からしたら、なぜ安定的に収益を生める新卒マッチング事業を終わらせるのか、一瞬理解ができませんでした。それでも続けて中嶋はこう言いました。「お金は俺が集めるから心配するな」と。2年中嶋と一緒に仕事をしていく中で、有言実行することは理解していたので、じゃあやってみるかということで、新卒マッチング事業を終わらせ、SCOUTERのプロダクト開発・リリースに集中する時期へと移行しました。SCOUTERは世の中の誰でも人材エージェントになれるというコンセプトのソーシャルヘッドハンティングサービスです。今振り返っても、なかなかハードルが高いサービスで、プロダクト要件もなかなか多いですし、求人も当時新卒でやっていたところを中途領域に切り替えるため0から営業をやらなければいけない状況でした。そして何よりも法的論点がとても多く、なかなかにサービス設計そのものが難しいサービスでした。この時にROXXの基本所作である「できる方法を考える」が大変に鍛えられたなと思います。創業メンバーたちの多くは今もROXXに残っており、この基本所作が当たり前になってるのですが、それはSCOUTERがあまりにも色んな観点で難しい要素があり、その中でもできる方法を考え続けたからだと思います。未だに一番難しいお題だったなと思います(笑)。それでもなんとかできる方法を考え、最終的には会うこともないユーザー個人全員とオンライン上で雇用契約を結ぶというなんともな解決策に行きつき、それを実行・運用するに至ります。当時リリースされたばかりのクラウドサインを使ってユーザー登録のプロセスの中で雇用契約を結び、数千人の給与払いを管理体制1.5人くらいの時に行うという時期は山田の管理能力を大変鍛えてくれた時期でした。そんな大変さもありながらも、2016年2月29日にSCOUTERをローンチ。初日に100名以上のユーザー登録があったあの日は今でも鮮明に覚えています。中嶋はあの日「勝った」と言ってました。その後の大変さを当時の我々は誰も知る由もなかったのです(笑)
COOとして3年目を振り返る
スタートアップへの転換、プロダクト創り、初めてのVCからのファイナンスとかなりの転換期になった3年目でした。この転換を生み出したのは紛れもなく代表の中嶋です。彼の想いと熱量と行動力で一気に転換を図りました。COOとして思うことは、代表が会社を転換させようとしてる時、絶対にそれを阻害してはいけないということです。その転換は代表にしか意思決定できないことです。そして何かを予期してその転換をしようとしてるわけです。これはCOOと言っても、わからない感覚もあると思います。当時の山田もわかりきらない部分はありました。でも今となっては正解であったと言い切れます。だからこそ、わからない部分があっても阻害せず、その転換をできる方法をとにかく考え、実行することが重要だと思います。また長い目で見ると最初の方に難しいことにチャレンジするのは非常に費用対効果が高い経験だなと思います。当時のSCOUTERは当時の自分達からすると大変に難しい事業でした。ここで難しいという理由でやらないのは簡単ですが、それでも自分達の身の丈を超えることにチャレンジするのは若い人の特権です。仮にそれが上手くいかなかったとしても、難しいことにチャレンジすると必ず成長します。山田もこの時期に管理領域(特に法務・労務あたり)、プロダクト領域等の知見が広がり、それが後々に活きておりますし、一番の効用は、その後の仕事がなんでも難しく感じなくなるということです。あれより難しい仕事はないよねと思えるようになると、その後のメンタリティが大変に安定しますので、ぜひ創業当初に難しい事業や仕事にチャレンジしておくと数年後の自分を楽にすると思います。
4年目:SOUTERの挫折
4年目はおそらくROXXの歴史上で最も上手くいかなかった1年間だと思います。当時いたメンバーたち全員があの時が一番苦しかったと言います。そう。初日に大きな反響で成功を確信したSCOUTERが上手くいかなかったのです。SCOUTERには売上創出までに多くのプロセスがありました。エージェント活動をするスカウターと呼んでいたユーザーを集め、そのユーザーが転職を希望する求職者に求人を紹介し、選考を行った上で入社に至る。このプロセスにおける最初のスカウター獲得には成功しましたが、その後のプロセスに上手く転換していかない。当時はとにかくプロダクトをもっと良くすれば変わるのだと、色んな機能を作りましたが、特に大きな変化は生まれず。一方でスカウターはROXXと雇用契約を結んでいるユーザーです。彼らが活動すると時給を支払うというモデルだったため、ユーザー数増加とともに費用は膨らんでいきます。売上は増えないのに支出だけはどんどん増える。売上を上げるためにもっとスカウターを増やさなければという悪循環に陥ってました。その中でどんどん銀行口座のお金は減っていきます。資金調達活動に追われ、資金が底を突くかもしれないというプレッシャーの中で日々仕事をしていました。当時を振り返ればもう少し冷静に悪循環の構造に気がついていれば、もう少し早く対処ができたかもしれませんが、当時はそんな余裕はなく、必死に資金調達をしては、支出を増加させてバーンレートがどんどん上がっていく。そんな時期でした。どんな手を打っても売上は増えない。まさしくROXXにおける挫折であり、ROXXにおいて一番苦しかった1年となりました。
COOとして4年目を振り返る
今振り返るともっとできることがたくさんあったかもなと思う4年目になります。この時は構造的な難しさが存在していました。自分達の努力だけでは解決できない構造的な課題がある中で、それでも自分達の努力だけでどうにかしようとしていた。これをCOOとして冷静に指摘することができていたら、もう少し早くこの時期を早く脱却することができたかもしれません。一方で一つだけ良かったなと思うのはこの4年目、代表はとても焦っていたのですが(そりゃそうですね)、意外にも山田はあんまり悲観的じゃなかったのです。なんでかは、あまり定かではないのですが、まぁ最後はどうにかなるだろうと思ってました。なので創業者2人がどちらもメンタルが崩れるという時期はありませんでした。中嶋が良くない時は山田は意外と楽天的。この後、逆の時期もありましたが、お互いにバイオリズムが違うのか、これが当時はとても良かったと思います。代表と同じ時期に崩れない。これはCOOとして非常に重要なことだと思います。
5年目:agent bankへのピポット、そしてSCOUTERの撤退
SCOUTERの試行錯誤を何度も繰り返しましたが、それでも上手くいく兆しが見えなかった中で、SCOUTERの事業コンセプトが崩れていく時期がありました。足元の売上を作るにはどうすれば良いかという議論の中で、もはやこれはSCOUTERの原型をとどめていないもの、SCOUTERが目指すものとは遠くかけ離れたものになっていく。そんな感覚が漂う日々が続いてました。そんなある時、ある若手社員がこんな一言を言いました。「中嶋さん、これってSCOUTERでやりたいことなんですか?コンセプトブレブレじゃないですか?」と。社内に衝撃が走ったのを今でも覚えています(笑)。そしてCOOとしてこのタイミングしかないと思い「足元の売上は別の事業でどうにかするから、SCOUTERは長期目線でコンセプトブラさずにやったらどう?」と言いました。この話をする前から少しずつ頭の中にはこの構想はありました。会社として生存していくことを考えた時に、SCOUTERのみで担保することが難しいのではと考えていた時期でした。一方でこの判断はSCOUTERのビジョンで集まった会社メンバーにとっては極めて大きな影響を与えます。そんな思考を巡らせていた最中での若手メンバーの一言。このタイミングだと確信し、「山田が足元はどうにかするから、中嶋はSCOUTERの可能性を納得するまでやりきって」と伝え、山田は社内メンバー2人とスモールチームを創り、新しいプロダクト創りに着手します。それが現在のagent bankになります。agent bankは今もROXXのメイン事業であり成長を続けています。ただ正直、この時はここまで大きくなるなんて想像もしていませんでした。当時は会社を生存させるために、とにかく会社の今あるアセットを使い、最短でストックの安定的な売上を作ることができるものは何かを考え、創ったプロダクトでした。それまでの山田はどちらかというと管理領域をメインにやりながら、SCOUTER事業には適宜関わる、部分的に関わるという状況でした。それが一気に事業立ち上げの全責任を持つことになるのですが(管理領域は引き続き継続で見てました)、不思議とできそうだなと自信を持っており、不安等は特にありませんでした。きっとメンバー2人を自分で選んだというのが大きかったんだと思います。自分ができないことをできるメンバーを自分で選んだので、3人それぞれで立ち上げの全てをカバーできると思っていたのだと思います(これも思えばBANDの思想でした)。この時の事業立ち上げは思い返しても大変でしたが、楽しかったなと思います。ビジネスモデルを描いた後は、すぐにプロダクト創りに着手し、1年くらいは自分でデザインを創っては、それをエンジニアメンバーに見せながらその場で説明して開発し、もう1人のビジネスメンバーとはお客さまのところにいってプロダクト完成していないのに営業してみたいな日々の繰り返し。とにかく時間がなかったので先に営業して申込書回収して、それに合わせて3ヶ月くらいでプロダクトのα版をローンチして。そんな感じで進んでいったと思います。資金調達に関しても途中からはagent bankの立ち上がりを訴求してなんとかファイナンスすることができ、会社として生存する道筋が立ったのが5年目でした。
そしてこの年、ROXXとしては大きな意思決定をしています。それはSCOUTER事業からの完全撤退です。agent bankが成長していく中でも引き続きSCOUTER事業は継続し試行錯誤を続けていました。元々SCOUTERでの試行錯誤を続けるためのagent bank立ち上げでもあったのでしたが、agent bankの成長が続く中で人的リソースは分散していたので、もっとagent bankに集中するべきであると判断しました。プロダクトの撤退経験はこれが初めてであり、きっと中嶋は大変に苦しかった意思決定だったと思います。合理的に考えたら正しい判断です。それでも、起業家として、プロダクトの産みの親として3年以上向き合ったプロダクトを閉じるのは感情的に難しい作業だったと思います。SCOUTERの撤退時期に関しては特に山田から言い出すことはありませんでした。中嶋が納得して意思決定することがこの先の長い経営者人生を後悔なく歩むために一番大切なことだと考えていたからです。そしてある時、電話がかかってきて「SCOUTERを閉じようと思うけど、どう思う?」と言われました。その声はどこか寂しさがありながらも、何か未来に大きな希望を持ってるような話し振りでもあった気がします。それを聞いて「良いと思うよ」とだけ答えた気がします。ROXXの当時のメンバーはSCOUTERというビジョンによって集まったメンバーだったので、SCOUTERの撤退でメンバーが去ってしまうのではないかという恐怖はずっとありました。ただSCOUTERから撤退し、agent bankに集中すると社内に説明した時に全てのメンバーが納得し、誰もこれが理由で辞めずに続けてくれたことは本当に感謝しかありません。ROXXは創業時からいるメンバーが今でもたくさん残ってくれています。彼らは一つのプロダクトで繋がっているのではなく、ROXXという存在そのもので繋がっているんだと感じさせてくれる存在であり、ROXXの組織としての目指すべき姿を教えてくれました。
COOとして5年目を振り返る
COOとして振り返ると1年目から振り返ってますが、実は4年目くらいまではあまりCOOという自覚はなく、COOという肩書きも使ってなかったと思います(笑)。COOを意図的に使うようになったのは、やはりこの事業立ち上げの経験がとても大きかったと思います。この時、山田が考えていたことは、会社が大成功しなかったら社長の責任。会社が潰れたらNo.2の責任ということです。会社の生存の責任は自分が持っていると思っていたので、まさしく生存させるための方法をずっと考えていたから、agent bankの立ち上げを自分がやることにしました。個人的に会社が大成功するためのアプローチと会社を殺さないアプローチというのは、なかなか思考のアプローチが異なり、1人の人間がやるのは難しいなと思ってます。もちろん大成功軌道に乗れば会社が死ぬことはないのですが、一方でスタートアップが(しかも学生起業の我々が)、そんな簡単に大成功軌道に乗れるはずはありません。その中で社長が会社を死なないようにと大成功軌道を考えなくなると、その軌道に乗る可能性は断たれます。なので社長は上手くいかないかもしれないが大成功する可能性があることを考えて続けて欲しいわけです。そのため死なないように会社をマネジメントするのはNO.2の役割であり、COOの役割だと思っていました。会社のステージが変わるとまたこの役割分担も変化するかもしれませんが、会社がここまで来ればそんな簡単に死なないぞと思える規模まで行くまではそんな感じの発想の分担はした方が良いかなと思います。後は死なない範囲であればやはり会社の意思決定は社長が納得する意思決定をするべきかなと思います。SCOUTERの撤退も合理的に考えればもっと早く意思決定することもできたとは思いますし、経済合理性だけを考えたらそうするべきでした。でも、今振り返ってもあまりそれを早くから山田から言い出すべきだったとはあまり思えません。中嶋が納得して意思決定したからこそ、会社として気持ちよく次に進めたと思っていますし、そういう精神的な状態というのは組織に大きな影響を与えると思っているので、自分で意思決定しきってもらうことが大切だと思ってます。その社長としての意思決定の積み重ねが経営者としての経験となり、学びになり、成長に繋がります。特に学生起業の場合には経験が圧倒的に不足しています。足元の多少の経済合理性よりも、中長期で社長が経営者として大きくなっていくことの方が圧倒的に重要ではないかなと思います。
6年目:back check立ち上げ
agent bankが安定的に成長する兆しが見えてきた6年目でしたが、6年目にもROXXにとって大きな意思決定をしてます。SCOUTERの撤退を意思決定し、諸々の撤退対応が完了したその数ヶ月後、中嶋からこんな一言を言われます。「リファレンスチェックサービスやりたいんだけど、プロダクト創って良い?」と。これもなかなかに衝撃でしたね(笑)。ついこの前SCOUTERを撤退してagent bankに集中するようになったばかりなんだけどなーと。山田の頭の中ではあと1~2年はagent bankに集中して、安定したタイミングでかなと思っていたところでした。さすがですね。その数倍も早く言い出してくる、この生き急いでる感じ。これが大成功する社長には必要な必須要件ではないでしょうか。ということで、「やってみれば」と回答したら、彼はすぐに社内のエンジニアを何人かとすぐにプロトタイプを創り、ティザーサイトを公開して、事前申込を集めてました。あの時のスピード感は自分の基準にもなってます。このスピード感だったら、そりゃ人の何倍も挑戦できるよなと。あれよあれよと2ヶ月くらいで「山田これいけるぞ」と言われた気がします。ということでROXXはagent bankとback checkの二事業体制になりました。この時、山田は既にagent bankの事業責任者を引き継いでおりagent bankには事業責任者がいて、back checkは中嶋が立ち上げを行うというなんとも不思議な状況でした。一瞬自分は何やろうかなーと手持ち無沙汰になり、たくさんブログを書いてたと思います(笑)。この時は少し遠目からそれぞれの事業の状況を見たり、組織の状況を見たり、少し長期的な視点で思考をしたりとCOOっぽいことをしており、その中でback checkの立ち上げの様子を見てて、これagent bankの立ち上げの時に失敗したことと同じことになりそうと思い、それをback checkメンバーに伝えるための資料を作ったことがありました。その資料を共有した後、また中嶋からさすがの一言をもらいます。「じゃあ、山田がやって」と(笑)。ということで、プロトタイプができて事業として立ち上げるぞというタイミングで山田が立ち上げの責任者の形でback checkの立ち上げにコミットし、中嶋は両事業を見るという形へと変化しました(まぁこっちの方が正しい形ですね)。安定的に成長するagent bankと、立ち上げ期のback check。更なるフェーズの事業を二つ抱えて経営をする難しさにこの先ぶつかっていきます。
COOとして6年目を振り返る
back checkの立ち上げについてあの時期にやることが本当に正しかったのか。今振り返ってもなかなか難しい意思決定だなと思います。おそらくこれはどんな会社を目指すのか次第で変わるのかなと思います。今のROXXは「時代の転換点を創る」というミッションのもと、事業を連続的に立ち上げていくことを目指しております。ここから考えると正しい意思決定なんだったと思います。確かに当時二つ目の立ち上げを行うことはリソースも分散しますし、財務的にも厳しさはありました。ただあのタイミングでやらなかったら、二つ目を立ち上げるタイミングを逸してたかもしれないなと思うこともあります。メイン事業の事業が大きくなりすぎると、その規模に対しての比較が必ず社内で生まれます。立ち上げ時期の不確実性に会社としても耐えられず、新しい事業を生み出すという文化や感覚を失う可能性があるなと思います。ROXXの場合、agent bankがそこまで大きくなかったタイミングでback checkの立ち上げをおこなったため、あまりそういう感覚に阻害されずに事業は複数あるものである、立ち上げは連続的に行うものであるという感覚を組織内に共有できたかなと思います。また7年目で出てきますが単一事業の経営と複数事業の経営はまるで経営のあり方が異なり、また複数事業特有の難しさが存在します。そのため経営者として早くこの難しさに慣れることができたのも今となっては良かったなと思います。当時は意思決定間違ったかな?と思った時期もありましたが、今振り返るとこの意思決定で良かったなと振り返ってます。
7年目:コロナ禍と育児休暇
急に趣の異なる見出しとなりましたね(笑)。ROXXは創業7年目にコロナ禍に入っています。当時としてはagent bankは安定的な成長はしていたものの、まさしく10億の壁にぶつかっていたころ。10億で成長が止まるのではないかという頭打ち感をどう乗り越えるのかという時期でした。back checkはあまりにも当時、高い目標を掲げてスタートしたので、当事者たちは全く上手くいってる感を持っていませんでしたが(これは完全に目標設定の失敗でしたね)、振り返るとSaaSとして悪くないスタートを切っているような状況でした。そんな中で日本で初めての緊急事態宣言を迎えます。そしてそれと同時に山田は2ヶ月の育児休暇に入ります。本当に同時です。山田は2020年の4月から育児休暇に入りました。なのでこの見出しとなります(笑)。当時から子どもが産まれたら山田は育児休暇を長期で取ろうということは自分の中で決めてました。理由はいくつもありますが、端的に言えば長期で見れば会社にとってもプラスになるだろうと思っていました。ただまさかタイミングが日本で初めて緊急事態宣言に入るタイミングになるとは想像もしてませんでした。一方で個人的にはそこまで不安はなく、これもまたいつものように楽観的な感覚でした。緊急事態宣言に入る前にコロナに対する経営方針は一定早期に決めることができておりましたし、むしろみんながリモートに移行するのであれば山田がいないこともあんまり気にならないだろうと。なかなか周りからすると不安になるタイミングだったと思いますが、その中でも最後は気持ちよく休暇に入らせてもらい、周りのメンバーには感謝しております。ということで、休暇に入る前にはback checkの責任者も移譲を完了し、戻った時にはCOOとしてどちらかの事業を見るという状況ではなく、全体を見るという状況で戻りました。6月に戻ってからの7年目最後の4ヶ月間くらいはROXX全体の課題感の整理をしていた気がします。なんとなくみんなが感じているが言語化されていない課題を言語化し、時間軸を伸ばした時に本当に経営が向き合うべきこととは何なのか。事業の課題ではなく経営としての課題は何なのかを特定し、向き合うための準備をしていました。当時は二つの事業と従業員数も100名弱まで増えており、単純に中嶋・山田の2人ではどうにも対応しきれなくなっていたというのを率直に感じていました。これまでは日々必死に目の前の課題を潰すというそういう感覚でしたが、その限界を感じ、これは経営チームを作らないともうこれ以上大きくなるのは無理だなと、そんなことを育児休暇に入ってから、社内を観察し、思考し、整理をつけていきました。経営チームを創る、強い組織を創る、ROXXらしさを創る、ROXXの経営方針を創る。このような少しこれまでとは異なる時間軸で物事を考え始めたのがこの時期だったと思います。
COOとして7年目を振り返る
100人の壁って本当にあるんだなと思います。だいたい事業規模で言うと10億くらいでしょうか。事業も組織も桁を一つ上げるというのは本当に異なるゲームをする感覚です。10億までは、100人までは、創業者個人のパワーでなんとかなる規模だと思います。ただ、そこから先は個人のパワーではどうにもなりません。市場・事業構造・強い組織・ファイナンスによるレバレッジ。まさしく経営というものと向き合うことが求められる時期だと思います。起業家から経営者へ。これが多くの起業家の一番難しくまた葛藤する部分だと思います。起業家はプロダクトが好きで、自分が手を動かすのが好きです。ただそれを続けることが難しくなったり、それではもっと遠いところまでいけなくなる。そんな折り合いをつけながら、経営という仕事に集中していくことが求められます。この変化を意図的に生み出し、10億・100人の壁を予期しながら解決するための経営ができた時、一気に100億まで行けるのだと思います。COOとしてその変化を主導することができたら、そんなに素晴らしいことはないかと思います。
8年目:100人の壁。組織に向き合う1年間
8年目は今振り返ってもとにかく難しい1年でした。まさしくROXXは10億の壁、100人の壁にぶつかっていました。8年目最初に山田は人事領域に注力することを決めます。経営チームを創ること、そして事業成長に伴って組織を急拡大させる必要があったこと。その中で人事領域はそれまで優先順位を上げることができてなかったこともあり、一気に採用強化を行いながら組織課題に対しての施策を打っていこうという主旨でした。採用に関しては一気にスピードアップを図り、年間の採用人数は30名から70名くらいに増加します。経営レイヤーの採用も進み、一見とても上手く進んでいるようにも見えました。しかし8年目の後半は組織課題が大きく顕在化します。それぞれの事業は別会社かのように交わらず、経営に対しての信頼も薄らぎ、事業方針の転換が目まぐるしく起き、責任者レイヤーの退職も発生。事業と組織の悪循環が生まれておりました。正直8年目中に組織課題を解消することはできませんでした。どう解決すべきかも暗中模索という状況でした。ただ試行錯誤する中で、「時代の転換点を創る」というミッションは生まれ、バリューも刷新されていき、今のROXXという組織の要素が徐々に形になっていきました。8年目の終わりはSCOUTERの時以来の悪い状態で迎えることになります。ただ今振り返るとこの時期に組織と向き合うことできたことは本当に良かったと思ってます。もっと大きくなってからだったら立て直せなかったかもしれない。そんなギリギリの規模だったと思います。そして何よりも中嶋が組織と向き合い続ける姿勢が一番大きかったと思います。自分の何が悪いのか、自分は何を変えるべきなのか。自問自答し続けるその姿を見た時、この課題は乗り越えることができる。大きな会社になれると確信したのもこの時期だったと思います。
COOとして8年目を振り返る
事業が成長する最大のドライバーが時として組織そのものになるということを痛感させられる8年目でした。事業成長は外部環境、事業状況によって何が成長ドライバーなのか変化し続けます。事業を伸ばすために事業戦略を変える、新たな打ち手を連続的に打つ、ファイナンスを行う、組織を良くする。あらゆる手がある中でCOOとしてどこにレバレッジをかけるべきか、冷静に見極め自分の時間をそこに投下することが正しくできたら素晴らしいCOOなんだと思います。今振り返っても、自分の手で組織課題を解決できたという感覚はありません。9年目には組織課題が残る中で、異なるアプローチを取ります。ただ会社として組織課題に向き合うそんな準備ができた8年目だったのかなと思います。
9年目:事業戦略の大転換。社会と向き合う会社に
8年目の終わりは解決されずの組織課題が顕在化しながら、事業としても成長の頭打ち感が出ていた時期でした。特にback checkは明確な成長の停滞が生まれていました。そのため山田はback checkの事業責任者に戻ることを決め、戦略の大転換を図ります。その一部始終については以下の記事を読んでもらればと思います。
実はこのタイミングと同時期にagent bankも戦略の大転換を図っておりました。agent bankも安定した成長はあったものの100億の規模になれるかと言われると難しいねという状況でした。その中で戦略転換のきっかけになったのは「時代の転換点を創る」というミッションでした。このミッションは8年目の後半に生まれた言葉です。そして代表の中嶋はこれをあらゆるシーンで何度も繰り返しました。「それって時代の転換点になるの?」「どんな時代の転換点を創りたいの?」。この問いが戦略転換のきっかけを創りました。そして今振り返るとなんでそんなに思考を狭めていたのだろうと不思議なほど自分達に制約を設けていました。その制約とはきっと「スタートアップとしてのかっこつけ」「スタートアップの時流」なんだったのかなと思う。きっと勝手にこれはスタートアップらしくない、今の主流から外れる。そんな風に選択肢を排除していたのではないかと思います。その制約を外したのが「時代の転換点を創る」という言葉でした。時代の転換点を創るにはそんな制約どうでも良いという発想に変わり、そして社会の課題に向き合うように変わりました。100億の事業を創るには社会の課題を解決しないと絶対に行けない。中嶋とそう会話するようになりました。10億という規模は強い営業力でどうにかいけてしまうという感覚があったのです(事実ROXXはそれでここまで来たのだと思います)。ただ100億、そしてさらにその先の1,000億、時代の転換点と考えると社会のど真ん中の課題と向き合い、それを解決できるならどんな手段でも、どんな事業でも検討すべきという感覚へと変わっていったのです。それまではagent bankはこう、back checkはこうと、事業それぞれを説明してその総体としてROXXという思考でしたが、この時からROXXはどんな社会課題を解決するのかが先にきて、そのためにこういう事業があるという思考に変わってきた。まさしくROXXとしての存在意義を思考し、生み出し、紡ぎ出すようになっていきました。この時からROXXの成長は当面止まらないという自信が湧くようになりました。中嶋はこの頃からこう言うようになります。「自分達は正しい市場と正しい社会課題と向き合ってる。だから100億で成長が止まるわけがない。止まるとしたら自分達のやり方が間違ってるだけだ。それを修正すれば良いだけ」と。きっと昔は中嶋自身も本当に成長し続けるのか疑い、悩み続けながらも、もっと行けるという言葉を発していたと思います(そう言い続けるのが社長の仕事ですからね)。ただこの時から本当に確信を持って、この言葉を言うようになったと思います。agent bank、back check共に戦略の大転換を図り、その成果が見え始めたのが9年目でした。これはいけるのではないか。そう思いながら10年目を迎えることになります。
COOとして9年目を振り返る
9年目は一年を通してback checkの事業責任者として活動していました。率直にCOOとして全体最適な意思決定と事業責任者として個別最適な意思決定を両立することはほぼ不可能に近いと思います(笑)。なのでどちらかを捨てるしかないと思います。山田はこの時全体最適は一旦捨てました。全てをback check目線から、back checkを再び成長軌道に乗せるために思考し、実行していきました。全体で見た時にはagent bankの方が売上は大きく、なぜそこまでと思ってるメンバーもいたかもしれません。一方で山田としては一つの確信めいた感覚がありました。もしここでback checkが成長軌道に乗らなかったら、きっとこの会社は新しい事業を創ることを今後数年間ためらうだろうと。back checkはagent bankというメイン事業が立ち上がった後の二つ目です。この二つ目の成否は極めて重要なように感じます。会社の流れと文化を決めるものだと感じています。もし二つ目が成長すれば、三つ目・四つ目といき、その中で失敗があってもまた挑戦する会社になっていくと思います。しかし、もし二つ目が上手くいかないと挑戦する文化は失われ、それこそミッションと会社としての継続的な成長実現が困難になると思ってます。なので、back checkの再成長はROXXのこの先10年において必須だと考えていており、その感覚で間違ってなかったかなと思っております。
10年目:COOの交代。そしてROXXは次の10年へ
創業して10年目。会社としては一つの区切りのように感じる一年でした。7年目に感じた経営チームと強い組織を創らなければという課題は着実に解消されつつあることを感じていました。昔は兼務ばかりだった部長レイヤーも素晴らしいメンバーの採用・社内からの登用が進み解消されていきました。back checkもどうにか戦略転換を成功させ、再度の成長軌道には乗り、agent bankは100億を目指せる方向性を見出し成長が加速していきました。まさしく会社のフェーズが変わる瞬間だと感じました。学生起業で創業し、「中嶋・山田」という固有名詞で経営してきたところから、強い経営チームが生まれ、長期で取り組むべき市場・テーマと向き合い、ROXXという総体で価値と成長を生み出している。そんな変化を感じるようになった時に、COOの引き継ぎを意識しました。「COO」は実に興味深い肩書きです。驚くほどその具体的役割が規定されておらず、また世の中的な共通認識もなく、そして日本ではあまり当該肩書きで発信している経営者がいないという状況でした。山田が意識してこの肩書きを使ったのはこの状況があったからに他なりません。社内では「COO=No.2」という解釈で使われていた感覚がありますし、自分としても自覚的にそうしていました。一方で世の中的にはCOOというポジショニングが空いており、発信に対してのポジション獲得のリターンがとても大きい状況でした。そのため社内的にはNo.2という意味、対外的にはポジショニング獲得という観点で非常に有効な肩書きだったのです。一方で山田は事業創りが専門家の人間ではありません。どっちかというスタートは管理領域から始まった人間です。そして、ROXXは管理領域を強化したいタイミングに入っていました。中嶋・山田という2人の経営体制からチームでの経営体制に名実ともに切り替えるタイミングであり、次の10年を誰がCOOとして事業を引っ張るべきかを考えた時に浮かび上がったのが中途入社1人目の植木大介でした。彼は山田よりも常に顧客の解像度が高く、事業アイデアを試すスピードが速く、そして適切な議論を生み出し統合する力を持ってます。次の10年ROXXが新しい領域にチャレンジすること、次々と事業を生み出すこと、そして多くの事業責任者が誕生し、その中で全体最適な意思決定をすることは植木の方が上手くできるため、COOを植木に引き継ぐことを決めました。そして彼はCOOという役割をしっかりと果たし、これまでのROXXで最も素晴らしい状態で10年目の最後を迎えることができたと思います。
COOとして10年目を振り返る
どんな人でも自らの役割が終わりを迎える時は来るものであり、それを常に意識しながら仕事をすることは極めて重要なことだと思います。COOとして自ら名乗った時から、COOをどう次に引き継ぐかを考えながら仕事をしてきました。1人の人間が同じ役割をし続けることはなかなかに不健全だと思います。長期過ぎると硬直化を生み出し、その人間がボトルネックになる可能性を上げてしまう。そしてその人自身の成長が止まってしまう。役割が流動的であること、流動性を生み出すことは経営者自身においても、組織創りにおいてもとても重要な要素なのかなと思います。長年やると自分が一番上手くやれると思い込んでしまいます。ただ驚くほどに新しい人の方が上手くやってることが多々あります。山田自身もそうです。なるほどなと後任の姿を見て、勉強になります。そうやって自分自身も新しいことにチャレンジしながら、流動していくことは組織内にリスペクトと継続的な成長を生み出すと思います。
最後に:これからのROXX
10年間のROXXの振り返りはこれにて以上となります。10年長いようで、短くもありました。改めてこの10年間ROXXに関わっていただいた全ての方々に感謝申し上げます。そして、ROXXは次の10年を迎えます。率直に今のROXXはこれまでで最も良い状態だと思います。ROXXらしいミッションと、素晴らしい事業と、素晴らしい組織。ここからが時代の転換点を創る、ROXXとしての物語の始まりだと思います。COOとしては最後の振り返りとなりますが、今後のROXXもどうぞ暖かく見守っていただけますと幸いです。10年間本当にありがとうございました。
エピローグ:10年前の君へ
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