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無知がゆえに、油ぎったビデオ屋店員(推定40・男)に襲われかけた話

シカゴに住んでいる時、友人と一緒にロサンゼルスに旅行に行ったことがある。

日本人の友人は、おれともう1人、日本人の女の子を連れて行った。
その子と仲良くなりたいらしく、でもふたりでは行けないから一緒に行ってくれ、っていうことだった。その友人は両親が金持ちで、ロス滞在期間のほとんど全てをおごってくれた。

ベニスビーチはきれいで異世界だった。

シカゴは冬になると氷点下になって車もエンジンがかからないぐらいの寒さなので、西海岸は陽気でカラッとした気候はまさに異世界だった。

いまだに露天のTシャツ屋ではアルパチーノが機関銃を持って鼻に白いものを擦り付けているデザインや、Doorsのジムモリソンが裸でこちらをみているようなやつとか、もう当時からしても古いものが並んでいて、笑った。

今ではどういうデザインが主流なのか。やっぱラッパーとかかな。街のTシャツ屋ってその地域の民度だったり文化が色濃く出る。安いし、手に取りやすいから一般的にニーズがあるものを商品棚に置くからわかりやすいよね。そういえばタイのTシャツ屋は高級ブランドばっかだったな。

ビーチ沿いでおれは、木で作られたピアスを買った。

いくらだったかは覚えていないが、昔開けたピアスの穴で、一つだけその当時も空いている穴があって、なんとなくあらためてつけてみようと思って買ったのだ。黒くニスが塗られていて、民芸品みたいな感じだった。屋台にいた本人が作ったものだと思う。商業的なデザインではなかった。おれはそれを買ってすぐにつけた。

ロスには4、5泊ぐらいしただろうか。
遊んで疲れ切った俺たちは、寒い街に戻ることにした。
旅行中、そいつがその女の子と仲良くなったかは知らない。
多分なってないだろう。

おれはシカゴで当時泊まっていたTOKYOホテルという古いホテルに戻った。
現実に戻ってきてしまった。ていうかこんなものが現実なんだったら、早いとこ日本に帰ればよかったのに。そこに留まる理由もわからないままに住んでいた。

ロビーには、一応その場を取り仕切っている病的にガリガリのギリシャ人と、アメリカ人のビデオ屋で働くという40代の男がいた。そのビデオ屋店員は、獰猛性を秘めた童貞みたいな形容し難い外見をしていた。髪はくるくるのパーマで油ぎっていて、かけているメガネもいつもベトベトだった。

おれがロビーに座ると、ビデオ屋店員が話しかけてきた。
いつもは一言も話さないので意外だった。

「どこに行ってた?」
「ロサンゼルス」
「よくそんな金があったな」
「友達に奢ってもらった」

「ところで、ピアノバー好きか?」
「ピアノバー? 行ったことない」

シカゴには、ミュージックバーが多い。南北戦争の何たらかんたらで白人と黒人がうんたらかんたらしたあと、白人が初めて黒人音楽であるジャズを演奏し始めた場所がシカゴだったということで、ジャズバーが特に多い。ジャズファンが全米、全世界中から集まってくる。一方、ピアノバーというのも多いと聞いた。
ビデオ屋店員は、なぜいきなりそんな質問をしてきたのだろう。

「今度、行く?」
「金ないけど、まぁいいよ」
「おれの部屋、雑誌あるんだ」
「何の?」
「いろいろ」
「へぇ」
「雑誌見る?」

こいつはおれと友達になりたいのか。いつもは一言も話さないやつが話しかけてきたので、そう思い、部屋に行くことにした。雑誌見る?って言われて、断り方もよくわからなかったし、ロビーでゆっくりしてるので、忙しいとも言えなかったし。

そいつはおれが住んでいる部屋の確か数階下に住んでいた。おれの部屋よりも価格が安く、狭い部屋だった。もしかして、もう何年も住んでいるのかもしれない。ホテルの部屋というよりは、ずっと住んでいる実家の自分の部屋という雰囲気がある。本人と同様、汚い部屋だった。

椅子もソファもなかったので、おれはベッドに座った。

「雑誌ってどんなの?」
そいつは奥のほうからガサゴソと雑誌を探し、10冊ぐらいをおれに手渡してきた。

「こういうやつ」

ハードゲイ雑誌だった。

そいつはおれをみながら、自分の耳たぶを触った。そういうことか。ピアスだ。ピアスがゲイのサインだなんて高校生の頃の都市伝説だと思っていたが、万国共通なんかい!

「いや、そんなつもりはないんだ。ピアスはロスで買っただけでそういう意味じゃない」
「え、そうなのかい」
「ごめん。自分の部屋に戻るよ」
「もうちょっとゆっくりしていけば」

おれはドアから飛び出した。
ビデオ屋店員は追いかけてこなかった。

でも、廊下でエレベーターを待っている間、ドアが内側から強く何度も蹴られる音がした。ビデオ屋店員は怒っているようだった。すごく怖かった。ゲイに誘われる体験はそれまでにもあったけど、ベッドに座るまで接近したのは人生で初めてだった。

のちに知ったのだが、ピアノバーっていうのは、ただのミュージックバーじゃなくて、今でいうLGBTQの人が集まる場所でもあるということだった。ビデオ屋店員が「ピアノバー好きか?」と聞いてきた時に、おれは、まぁ礼儀という意味でも「きらいだ」と答えるべきだったのだ。

この体験は、おれにとって恐怖体験でもあったが、むしろ反省すべきことの方が多い。

ピアスをつけていたことも、ピアノバーの質問の意図がわからなかったことも、おれが悪いといえば悪い。

ビデオ屋店員はむしろ、勇気を出しておれを誘ってくれたと言ってもいい。あいつがドアを何度も蹴った理由は、ただ単に性交渉を断られたからではなく、「ピアスをつけた日本人に丁寧に質問し、中途半端な返事でそそのかされ、勇気を出して部屋に招き入れたのに否定された」ことにたいする怒りだったのかもしれない。

そう考えると無知って怖いね。
ごめんやで。

そそのかす癖のある女の子も、気をつけないとダメだよね。
意図せず、人の怒りを買っちゃうこともあるから。

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