「おろろくん」と利賀村の夏 2019/05/15
最近僕の中で流行っているものがある。
それは「おろろくん」である。
恐らくこの文章だけみても、
こいつ、いよいよケニアでの生活で頭がおかしくなったか
高地にいるせいで、酸素が頭に回っていないのね、御愁傷様
と思われると思うが、至って健全なので安心してほしい。
僕の発信する情報を目にして頂いている方は、
なんとなくその存在を既に知っているのではないだろうか。
(いつも拙い文章をみて頂いてありがとうございます)
「おろろくん」とは僕の故郷利賀村が誇るゆるキャラで、その存在が世に出てから30年ほどが経過している。
(「おろろくん」とてもゆるい見た目、まさにゆるキャラ)
ゆるキャラという概念が世の中に広がる、定義される遥か前に、人知れず存在していたのが「おろろくん」である。
いわば、
ゆるキャラに縛られないゆるキャラ
ゆるキャラを超えし存在
だと勝手に思っている。
そんなゆるキャラ界の重鎮である「おろろくん」は愛らしい姿が魅力のひとつだが、モチーフになっているのは
「オロロ」という虫である
え、虫なの?
虫がゆるキャラとか気持ち悪い…
と思っているそこの女性の方々、
たしかにその気持ちはわかります。
でも、虫であってもいいではないですか…
だって利賀村ですよ、
山に虫はつきものでしょう。
ちなみに「オロロ」というのは利賀村地域内の呼称で、学術的には「イヨシロオビアブ」と呼ばれている。アブでも小型なサイズ感で、機敏な動きができるのが特徴だ。
もちろん、アブということで吸血する。
ちなみに吸血されるととても痒い…
でも、発熱するとかはないので安心してください。だからといって沢山刺されてもいいかというと、それはまた違う話になってきます…
(実際のオロロの写真、ゆるさの欠片もない)
彼らは綺麗な水があるところに生息し、比較的涼しい準高地にしか生きていく術を持たない生き物であることがわかっている。
以前妙高高原(標高600~800m)に合宿に行った際に、「オロロ」に出会うことができた。
利賀村以外にもいたのか、そう心が踊ったのもつかの間、やはり吸血しようとしてくるその習性は実に厄介だと改めて感じた。
菅平高原(標高1200~1500m)ではその存在を確認することができなかったので、
標高500~800mのあたりにしか生息できないのだろう。
「オロロ」が1年で生きているのは夏場である7~8月の間だけだ。山である利賀村には秋が早く訪れる。その時期になると、夏場に猛威を奮った「オロロ」はもういない。
「ひと夏のオロロ」といっても過言ではなく、まるで蝉のような存在である。(勝手にそう思っています)
彼らも彼らなりに生命の火を燃やして、次世代にそのバトンをつないでいるのかもしれない。
こういうと聞こえはいいが、実際夏場に外へ出ることを躊躇うくらい「オロロ」は積極的に活動し、我々に猛威を奮う。
熱を感知するセンサーのようなものを身体の機能として持っているのか、人に対して吸血の機会を常に伺っている。
僕が夏場、朝や夕方の涼しい時間帯に走りに行くとき、彼らと僕の勝負が始まる。
昼間の日差しが照りつける、暑い時間帯は彼らも嫌なのか、あまり活発ではない気がする。ちなみにその時間帯は僕も活発ではない…
涼しい時間に走っている僕に対して、いつも20匹くらいの「オロロ」が纏わりつくように飛行してくる。
さすがに走っているときには、動いているので、吸血されないが、それでもチャンスを伺って飛行してくる。
ペースを上げて彼らを振り切ろうとする僕、熱を感知し吸血する本能を剥き出しにしてくる「オロロ」
これが僕の利賀村の夏である。
今、人並み以上に走れるのも彼らに鍛えてもらったおかげかもしれない。
今年はそう簡単には吸血させないよ、
君たちを振り切ってみせる。
そう思って毎年帰省し、利賀村の中を走っている自分がいる。
そんなある意味愛着のある「オロロ」のゆるキャラ、「おろろくん」がTシャツになった。
今年はこれを着て、ライバルである「オロロ」に挑もうと思う。
きっと彼らは自分がモチーフになっているとは考えもしないだろう。
まあ虫だから、そうですよね。
(このようにさらっと着こなすこともできる汎用性の高いTシャツです)
僕が「オロロ」と「おろろくん」と字体をわけているのにも理由がある。
躊躇うことなく吸血してくる鋭さを持った彼らを「オロロ」、チャーミングで頼りなさそうな見た目をしている彼を「おろろくん」としたほうがしっくりくるのだ。
カタカナの持つ硬質なイメージと、ひらがなの持つ柔かなイメージを使い分けほうが、よりイメージとして皆さんに伝わるのではないかと思ったから。
はい、ただそれだけです…
ケニアから利賀村へ帰るのが7月。
その頃にはきっと彼らもいるだろう。
「おろろくん」のようにおろおろしていない本物の「オロロ」には僅かな隙も見せることはできない。普段おろおろしている僕も彼らの前では真剣そのものだ。隙をみせた瞬間に、自分の生き血を差し出すことになるから。
夏の風物詩、それは蝉でもなく、かき氷でもなく、「オロロ」であるのが、利賀村で生まれ育った証だと僕は思う。
彼らに会うことを待ち遠しいとは思わないし、厄介な生き物であるとも思っているが、「オロロ」がいない夏というのも利賀村らしくないのではないか、ふとそんなことを考えてしまった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?