【往復書簡8通目】寺子屋脇には野芥子が咲いて。(2020/4/19)
拝啓 テル様
お手紙有難うございます。テルの文章に触れると、やはり元気になります。懐かしさの安心感もあるんでしょうね。Summer Eyesに寄せて、テルは僕の耳穴から知性が溢れ流れていると指摘してくれましたが、残念ながら僕から垂れ流れているのは「脳汁」です。エリートスクールだのなんだの揶揄される西日暮里にある我が母校は、一定数の「運動会バカ」が存在しまして、詰め込んだ物理の知識で、棒倒しの棒は実は、乗るよりも根元から崩した方が倒れやすいんじゃないかみたいな仮説を立てて、授業もそこそこにグラウンドに飛び出し「実証」を重ねる、そんな僕たちを真のエリートたちが「おい吉田!『脳汁』垂れてるぞ!」と指差せば、「おおマジか!それはやべえやべえ」と慌てて頭を傾け耳を抑える、そんなお約束が校内あちらこちらで垣間見えた季節、それがだいたい今の頃、新緑がうずうずする時節ですが、お元気ですか。
10代で脳汁を出し切ったおかげで、将来の夢設定が程よくブレることができました。ラジオDJになりたかったのですが、なんとなく叶った今は「寺子屋の先生」になりたい。住宅街の一角の小さな自宅兼教室。お月謝はいただきません。カリキュラムも受験対策もありませんから。半分お節介、半分道楽、の気ままな私塾です。ペラペラ生きてきた僕に果たして何か教えられることはあるのでしょうか、それも教えながら見つけていくような、託児所以上教育未満ぐらいの緩いコミュニティです。
…と夢見ていましたら、いきなりのチャンス到来です。小学校も保育園もお休みで、在宅教室です。親子でしかなかった6歳と4歳の息子たちと、急に学校スイッチを入れて、先生と生徒を「演じる」のです。しかし、時間割もどきをホワイトボードに掲げ、「起立!礼!」をしたなら、それなりになるもんです。体育と称して星野源『恋』をBGMに鬼ごっこをして、理科と称して路地裏に咲く花をアプリで画像認識して、算数と称してオセロに興じ、家庭科と称してチャーハンを焦がす。それぞれ、そのときに自分が学んだことを、知ったばかりのくせに、先生っぽく語ればいいんです。「ダッシュすると見せかけて急に止まったりしてみましょう」「タンポポと野芥子って花はそっくりなのに葉っぱの迫力が違うんですね」「ラスト4手ぐらいは相手にわざと角を取らせて、多く裏返せる場所を暗算してみましょう」「レンチンのごはんはラップを外して温めた方が、チャーハンがパラパラになりますよ」などなど。一緒に学んでいるくせに「先生と生徒ごっこ」をする、そのプレイスタイルこそ、社会集団を維持してきた人類の知恵だったのではないでしょうか。
うーん。正論暴論振りかざし続けるのも恥ずかしくなってきましたのでこのあたりで。濃厚接触が忌避されるご時世です。FANZAは在宅応援10円セールを実施しています。逆に安すぎて自分の興奮の値打ちは如何程なのだろうと、自問自答してしまう夜長ですが、どうかご自愛ください。
寛生より。
「6+3=12」という数式は何だか理解できるなぁ…と。