【Open Letter】寛生からテルへ、3通目。(2019/11/18)
拝啓 テル様
冬の訪れがどうしても厳しいから、挫けちゃいそうだから、北半球の人類は、ハロウィン→クリスマス→正月と季節イベントを立て続けに仕込んで、ワイガヤすることで体内温度を維持する生物種なのだという仮説を流布する季節ですが、お元気ですか。
そして、冷気に挫けた僕が言います。「逆に、湯冷めしそうだからみんなで銭湯行くのは止めようか」と。しかしそんな発言自体が、むしろ心持ちの寒々しい発想で、逆に、家族ぐるみで風邪ひいちゃうんじゃないのって自問自答しています。それにしても今僕は「逆に、逆に」を連投しましたが、「逆に〜」という枕詞を掲げたなら、以下の内容はちゃんと反対ベクトルであって欲しいのです。「要は〜」で切り出したなら、ちゃんとまとまっていて欲しいのです。「これ絶対に内緒なんだけど〜」で始まる告白は、ちゃんと興奮する過激さを秘めていて欲しいのです。
それにしても往復書簡をしたためる行為は、正直、愉快なことです。僕が毎週40分程度配信しているラジオ番組は「一発勝負」の録音ですので、ある程度ネタを「仕込んで」から臨みます。もちろんトークは厭わず脱線していくのが醍醐味なので、仕込んだ規定線から離陸していく緊張感を堪能しています。しかしラジオでは「推敲」という快楽に欠けますし、これから自分が何を書くのかが想像つかない状況から「拝啓」と筆入れを始める手紙独特のアドベンチャー感は得難い幸せなのです。
前回の書簡で、テルは僕の肢体をスカイツリー越えの高さで空中コンボをし、気づかせてくれましたね。僕は「愛情」というものをゼロサムなギブアンドテイク的な「総量的な愛情」として捉えていましたが、テルは「無限に湧出する愛情」と定義した上で、僕の愛情は枯渇することなどないと「確信」してくれましたね。この「確信」こそが空中コンボだったのです。「貴方には愛情が溢れていますよ」と「確信してあげること」それこそがまさに「愛情表現」ではないかと!陳腐な帰結かもしれませんが、じんわりと救われた心地でした。有難う。
一方で、テルは、僕が取材先からヒートテックを受領していたことをさらりと暴露しましたね。僕がいずれ暴君になり「桜を見る会」を主催した暁に、この往復書簡が失脚のきっかけになるデジタル的証拠になる可能性はないでしょうか。心配です。心配事を付け加えるならば、「私(安倍)のことは嫌いになっても、桜のことは嫌いにならないでくださいっ!」というパロディが、問題発覚後今頃になってTwitter上に流れるネット民の反射神経の鈍さと風刺魂の弱さです。反省します。
それでは、昔からあるタピオカが復活で流行るんだったら、この冬、絶対注目はクルトンだよねクルトンだよね!と確信し、硬めのパンをちぎって過ごす、釣瓶落としの秋の夕どきですが、どうかご自愛ください。
寛生より。
熱々のお皿触れないのは「猫指だからなんだよ」とかうそぶきながら。