やなせたかしとSMAP
やなせたかしと言えば、誰もが「アンパンマン」をイメージするでしょう。
ですが、私はこっちのほうを思いつくのです。→ https://www.uta-net.com/movie/46445/
かの有名な昭和の童謡『手のひらを太陽に』は紛れもなく作詞家・やなせたかしの名作です。
ぼくらはみんな 生きている 生きているから かなしいんだ
なぜ、生きていることがかなしいんだろう?
幼い頃、この歌詞の意味がどうにもわかりませんでしたが、おっさんになった今しみじみと心にくるものがあります。
この昭和の童謡は、令和のおじさんのための楽曲でもあります。
その一方、平成歌謡を代表する名曲に、SMAPの『世界に一つだけの花』があります。
作り手はマッキーこと槇原敬之さん。素晴らしいメロディーに詞が踊ります。https://www.uta-net.com/movie/65455/kBDLasV-gXQ/
花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた
これまた『手のひらを』と同様、口ずさめない人はほとんどいないのではないでしょうか?
そうさ 僕らも 世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい
ふむふむ。まさにその通り!いい曲だな~SMAP世代のおじさんは思うのです。ところが・・・
小さい花や大きな花 一つとして同じものはないから(そりゃその通り)No.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one(・・・・・)
このくだりに若干の違和感を覚えたとしたら、あなたもニッチ戦略やずらし戦略の本質を理解していると言えるのかもしれません。
それはさておき、『手のひらを太陽に』はまだまだ続きます。
ミミズだって オケラだって アメンボだって みんな みんな生きているんだ 友だちなんだ
たしかに、ミミズもオケラもアメンボもたくましく生きています。
なぜ、あれほどまでにたくましいのでしょうか?
理由は、ミミズもオケラもアメンボも、『花屋の花』ではないからです。
正真正銘彼らは人間の手が入らない自然界に生きています。
ミミズは生き残るために肉食でも草食でもなく、「土を食う」という競合不在のニッチを選択しました。そのために元々備わっていた大きな頭や足が徐々になくなっていったのです。
オケラはコオロギの仲間ですが、彼もまた外部の敵から身を守るためにコオロギとは決別し地下でニッチな暮らしを楽しんでいます。そのために特化したシャベルのような前脚を徐々に備えるようになっていったのです。
アメンボは水の上で浮かびながらのニッチな暮らしを送っています。地上にはたくさんの強敵がいるし、かといって水中も競合だらけだからです。
ミミズやオケラやアメンボなど自然界の生物に等しく言えるのは、彼らは『もともと特別なOnly one』などではなかったという点です。
そうではなく、生き残りをかけて、自分自身が『No.1』になれる時を場所を必至で探したのです。
結果、彼らは紛れもなく『No.1』になれる居場所(=時間、空間)を手に入れたのです。
その時間や空間が、まさに『Only one』と呼ぶにふさわしい居場所になったというのが本当の経緯です。
実は、これこそが「ニッチ戦略」「ずらし戦略」を地で行く自然界の教訓だと思います。
そう読むと、『手のひらを太陽に』に登場する生物たちのなんとたくましいことか。
そんなミミズやオケラやアメンボたちは、人間の手を借りることなく今日も彼らのニッチ戦略を展開している。
なんと素晴らしい、われわれ人間の『友だち』なんでしょうか?
ニッチ戦略やずらし戦略を展開している・しようとしている者にとって、『もともと特別なOnly one』なんてものは実際には存在せず、
No.1を獲りに行く過程で結果として手に入れてしまった、そのようなものであるということを自覚するのはとても大切な視点だと考えます。
素晴らしい歌を残してくださった、やなせたかし先生に感謝です。
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