私の芸術運動203男はつらいよ

高知の旅から帰ってきました、高知旅の詳細は昨日の記事で書きましたので今日は書きません、今日は高知に行って描くべき景色を見てきたことについて書きます!!

とは言っても、私は今までも旅に出ては色々と情報収集して絵にしてきました、私からすれば身近な景色を描くことも、旅先での景色を描くことも同じです、旅先も日常も同じように素晴らしいことを見つける事ができます、私はフラットに見ることのできる目を持っているんだろうと自分で思います、具体的にフラットに見るとはなんなのか?はよくわかりませんが。笑

例えば先月行った京都旅で見てきた景色が私の心に与えた影響が高知での私の景色を見る目に影響を与えます、その影響は帰ってきた東京の景色にも影響を与えます、全てが切り離してみる事ができません。

もちろんその土地土地の空気感というものがあり、印象を受ける色彩や構図も自ずと変化してゆきますが、それは今までの私の見てきたもの、感じてきたものの積み重ねの結果です。

もっと若い頃に高知に行っていたら全く違った旅をして、全く違ったことを感じたのでしょう、1日日程がずれるだけでも違ってくると私は思います、それだけ、そのタイミングでそこに行き、何かを見てきたという経験は寸分の狂いなく影響を私の心に与えます、安易な言葉で言えば運命というものでしょう。

話はそれますが、高知は私の好きな「男はつらいよ」という映画シリーズの舞台になるはずだった場所です、主演を務めた渥美清さんが亡くなり、その映画は幻となりましたが、高知には男はつらいよの石像が立っていて、私は色々と感慨深いものを感じていました、主人公の寅次郎が高知をあのカバンを持ちジャケットを肩で着て歩いている景色が浮かびます

「見てみな、俺ぁ、あの雲みてーになりてーのよ」

映画では実現しなかったですが、寅さんはきっと高知も旅をした事でしょう、そう思えるだけで私は嬉しいのです。

あんな風に生きれたらと思います。

甥っ子のみつおも大人になってから映画の中で言っていました

「ああ、今ここにおじさんがいてくれたら」

僕もそう思います。

関係ないようでいて、私の芸術運動にも確実に影響を与えているんです、高知を舞台にした幻の「男はつらいよ、花へんろ」、べたな事を言いますが寅さんは心の中で生きているわけです。

私もそんな画家になりたいです。

あの画家は今もどこかで絵を描いているんだろうか?ってねー。

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