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私の芸術運動63生きた証

昨日の夜、私はある方とお話をした、その会話の中でいくつか心がうんうんと唸った会話があり、少なからず私の心の中に変化を呼び込んだことは間違いない

私は油絵を描いているんですとその方に話すと目をくわっと開けて私の顔ををグッと覗き込んでこう言った

「これまで売れなくて良かったねー」

こういう時普通ポカンとして頭の上にハテナマークが出そうなものだが私はその時うんうんと心が唸ったのを聴いた

理由はわからないが確かにそうだ!!と心から脳に伝達されるまでの時差を経てそれは正しいという実感が伴いはじめた

今日になっても心が唸った意味についてぼんやりと考えているが真意は分からず仕舞いだ、だけど私の心がフワッと軽くなったのは確かでありここ最近ずっと抱えていた重たい感情はどこかへ行ってしまった

これでまた絵を描き始める事ができるなーと思う。

ここで半分に聞いてもらいたいのだけど、私の実現したい事を書いておこうと思う

一つは画文集の出版である

詩を読むと情景が浮かんでくるように、絵を見ると詩が浮かんでくる

別に私は詩人では無いから、詩を描いているわけじゃ無いが、私の描いた絵画に対して、私の心がどう変化したのか?についての記録は文章として書き留めてある

一つの資料として読んでもらいたいなと思う

これは決して私の描いた絵の解説ではなくて、その絵を描いていた当時の私の心の機微の記録である、描き手としてではなくて、あくまで私自身も鑑賞者なのである、芸術をする側には才能や他の人には無い感性、新しい価値観を求められる面が多々あるが、芸術を見る側にも同様に求められると私は考えている

上手い下手とか、本物みたいに見えるから凄いとか、色が綺麗とか、細かいとか、そういう見えることだけで判断されては人の心から抽出された芸術は空虚なものになってしまうように思う、画家は絵の表面を整える事が仕事なのでは無い、もしそれが全てなら、それは職人芸であろう。

そして実現したい事の二つ目は美術館のコレクションに私の絵画を加えてもらい、半永久的に保管、展示してもらう事です

私自身よく美術館に足を運ぶのですが、常設展示はその美術館の傾向や趣味趣向が垣間見れて面白い、私がよく足を運ぶのは、上野の西洋国立美術館と、竹橋にある国立近代美術館である

なんと言っても国立近代美術館の常設展示は特にお気に入りで、何度も何度も繰り返し繰り返し見に行っている、そこにたまにローテーションで展示される長谷川利行の絵画があり、それを壁に見つけると私はもうそこから動けなくなってしまうのである、この絵画の隣に私の絵画が飾られたらなぁーと何度考えたことかわからない

長谷川利行の絵画の隣に飾ってもらいたいがために画業をしているわけでは無いが、そうなれば本望だ。笑

しかしそれはもちろん、私がいいものを描き、画家を全うし、「是非あなたの絵画を我が美術館のコレクションに加えたいのだが」と申し出が無ければ叶わぬものだから、まさに夢なのである。

私の絵がSNS上で世界中の人に見られバズるよりも、コレクションに私の自信作の油絵が一点でも飾られた方が私は嬉しい

後世に残すべき文化として私の絵画が認められるならそれほど嬉しく意味のあるものもなかなか思いつかないなと思う。

まぁ!!あくまでもこれは私の願望であり、それを実現させるために私はこれからも絵を描いていく、ただそれだけです

実現せずとも私の生きた人生が無意味だったとは思いません、それに向けて自分がいかに直向きに進んで行けるか?その過程にこそ意味があるのだと私は思っていますからね🙇‍♂️



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