私の芸術運動141欲を言えば
自分の人生を振り返る事が私はよくあります、過去を美化したり、逆に悲惨に捉えたり、振り返るたびに起こったことは変わりないのにニュアンスは変わっている様に思います、確定した過去がこれほどまでに生き物の様にうねるのだから未来なんてとてもじゃないが想像を絶する!と思う。
中でも私はとりわけポジティブな人間なのだろう。
思い返せばどんなことでも面白かった!とか、自分には必要なことだった!と思えます。
しかし未来に関しては過度な期待はせず、かと言って卑屈になって考えたりもしません、色んなパターンがあると思いますし、その中のどの道に踏み込んだとしてもその時の私の判断はその時の私に委ねようと思っています、だから変に未来を決めようとせず流れに身を任せようという生き方です。
そんな私が過去を振り返ると、前述の通り、自分にとってはかけがえのない経験として思い出されます、むしろいつも人に助けられているし、何かと運が良いと感じることがあります、今の自分が油絵を描きながら、売れもせず、かと言って売るための努力もせず、ただ作品に情熱を注ぐだけの人生ですが、決して一人で生きてこられたと思うことはありません。
親にも、恋人にも、友人にも、知人にも、感謝すること以外に思い当たりません、その中で自分が自分として自分なりの良しと思うものを常に選択してきたという自信はあります。
だけど、あれもこれも、本当の意味で一人でやれてことなんて一つもないのです。
誰かが話を聞いてくれたり、助けてくれたり、遊んでくれたり、褒めてくれたり、喜んでくれたり、その逆に、無視をされたり、馬鹿にされたり、悲しんだり、笑われたり、してくれた!のです。
私は思います、これだけの人々によくされて生きてきた私が、人から善意の借りばかりを作っていて、肝心の私は誰かにそれを返せているのでしょうか?
私は人からの思いを独り占めして、ただ享受して生きてきただけなんじゃないだろうか?と考えると急に不安になってきます。
ずっとずっとは私はそう考えているのです
いつかはこの運も尽きて、今に酷い目に遭うぞ!と、もしくは先延ばしになって最後には目も当てられない様な人間になってしまうんじゃないかって、心のどこかで思ってます。
私が画家として名を馳せないのもそういう理由があるのかもしれません。
今でも充分に私は幸せな人間なわけです、好きな絵を描いて、働き、生活もできている
ただ、理想は、私の絵画によって私が過去に色んな人や芸術に助けられてきた様にあなたの一助になれたらと、それが私のできるせめてもの恩返しだと思うのですが
押し付けでは意味がないわけです
私は自分のできる事を自分なりに全力で取り組み、身を任せようと思います。
とにかく、私は感謝しながら芸術に勤しめている今の環境に、重ねて感謝申し上げます🙇♂️
欲を言えば、良き芸術家として名を馳せ、絵画を保管してもらい、私が死んだ後も誰かの一助になる事を心から願います。
そうなれる様全力でこれからも!!