私の芸術運動222現実と幻想。
最近心に余裕がなく、常に何かに追われて居るような感じがして、詰まって居るような感覚が続いています。
将来への不安もキリがないし、今迄の環境も自ずと変化して行き自分のいる場所というものが掴めないまま日に日に全てが崩れていくようなそんな気がしていました。
今迄32年生きてきましたが自分の経験から言ってこんなことは過去にもいくらでもあった事と言えますが、過去のそれらとはまた一段と違った辛さを今回は感じています。
これらの私の心境の変化の原因は大体わかります、それは焦りです。
私は周りの変化に焦って居るんです。
新しく始めた仕事も他人の動きを見ながら常にこれで良いかな?と不安になりながら働いてますし、これまでお世話になっていた職場もスタッフが大きく入れ替えがあり、自分の居場所が日に日に崩れていくような不安がありました。
今の私は周りの人の視線に動かされて居るような感じで、自分というものを削って生きて居るわけです。
32歳にもなって、アルバイトで日銭を稼ぎながら、画家になるという夢を捨てられず、むしろ二十代の頃のような力がまだ自分にあると信じて突っ走ってます。しかし体力的にも、精神的にも衰えを感じてしまうのも無理は無い話で、私は兼ねてより考えていた計画を進めて行こうと最近環境に変化を与えました。
自分の空間を作る!!それはつまり、アトリエ兼喫茶店を作って自分のアトリエという空間をそのまま生活の職場にしてしまおうと思って居るわけです。
私の喫茶店の壁で描いた絵を展示したり、貸し画廊として提供したり、近隣の子供達の絵を飾る場所として提供したり、様々なジャンルの芸術家が談笑したり、時には討論するような空間を、そして私の芸術の制作風景もそのまま見せるような空間にしたいと思って居るのです。
しかし、今の私は最近何故か毎日ビクビクして居るんです、新しく始めた喫茶店のアルバイトも先輩方の一挙手一投足から視線に至るまでが私にプレッシャーを与えます。
しかし、本来私はもっと自分勝手で人の目なんて気にするような人間じゃ無かったような気がします、むしろデリカシーが無いといつも周りの人にとやかく言われるような人間でしたから。、笑
今回の私の現実的な変化と精神的な変化は、今の私に強烈なストレスを与えて居ますが、これは私が成長するのに欠かせない事だろうと感じています。この先の未来で、私が自分のやりたい事を成すために。絵を描き続けていくために、どうしても切っても切り離せない問題なのでしょう。
画家だから自由に生きれるわけじゃ無い、社会から切り離された所では生きてゆけない、現実と理想のギャップですが、私自身芸術家として社会に、そしてそこで生きる人々に影響を与えたいと思って居る以上、私自身も社会についてもっと学ぶ必要があるのでしょう。
人間いつまで経っても勉強ですね。
その勉強が無ければ私の絵も進歩しないのでしょう。
人間社会の中で生きる人間の私と、画家として浮世離れしてどこまでも自由に放浪し続ける私の芸術家の魂、そのギャップは計り知れないものですが、私はこの世界で画家として生きる覚悟があるならば、どんな事でも時には耐え忍んだりしてゆかねばならないと思いました。
数年後の私が、今の私を見て、あの時よく頑張ったな、ありがとう!!と言うのが聞こえます、私はそんな未来が来る事をわかって居るのですから、今できる事を頑張ってゆくしかありません。。
辛いことから逃げる事は誰にでもできます。
逃げるべき事か?乗り越えるべき事か?
自分でそれを判断できるようになるためにはどちらも体験しなくてはなりません。
今辛い思いをして居る人もたくさん居るでしょう、自殺率の高いこの国で、逃げる事を、悪だとは言いません、むしろ逃げだとも思いません、
ただ、自分で決めた事を自分で体験して、それがどう言う結果を招いたのか?を冷静に考え、じゃー次どうしようか?また似たような状況が必ずきます、その時に自分がどうするのか?の判断材料になればと思います。
それを経験と言うのでしょう。
私は、そう思います。
だから私は、ただただ現実離れした、絵を描こうとは思えないのです。
現実の中に芸術を、芸術の中に現実を探すのです。
ごくごく普通のたわいもないありふれた物事。
人々が詰まらないと思う事柄の中に芸術を見つける事が私にはできます。
私の芸術はそういう性質を持っています。
是非お時間があれば、Instagramに載せて居る私の絵を見て、添えてある絵画のモチーフに関する随想を読んで、何かを感じ、その場所にもし足を運ぶ機会や、過去に行った事がある場所があれば、その現実と幻想について教えてください。
私の行ったことのない場所を教えてくだされば、いつかの私の旅先に選び足を運んだ際は私の感性で絵や文章を書く事があるかもしれません。
いずれそれらは私の画文集として形にしたいなと考えています。