私の芸術運動252自信

時間の伸縮について昨日の記事で書きましたが、誰もが自分なりに時間を伸縮させて生きていると私は思います。

小学生の6年間と社会人の6年間ではこれたずいぶん時間の長さは人によってでしょう。
これまで積み上げてきた自分の経験や考え方が次の時間に影響すると考えるとわりかし納得が行きます。人生があっという間に感じるから楽しいということもなく、長いから退屈なものだったというわけでも無い。

私は昨日久しぶりに休みの日に当ての無い散歩に出ました、しかし歩きながら気づいた事が一つ!それは自分の歩くスピードでした、当ての無い散歩なのに私は早歩きをしていたのです。

当てもないのに急いで行く意味は無いわけです、歩いた距離が長いより、歩いた距離は短いけれど、心に残った景色があればそれは素晴らしい散歩と言えます。せっかく歩くのなら色んなところに目を向けながら歩いた方が楽しい、私は散歩するという事に囚われてとりあえず遠くまで歩いていく事を考えていた様です。

急いだ結果の達成感と過程を堪能した後の達成感では中身の部分がまるで別物です。

本も急いで読むよりもセリフひとつ、心理描写一つ、風景描写一つ、を頭の中でイメージしながら自分のペースで楽しんだ方が読んだ本は同じでも前者と後者で2通りの本に分かれる気がします。

速くなってしまうにもそれなりの理由があるので、一概には言えませんけどね。

仕事に慣れていない新人が慌てて仕事しても逆に遅くなる不思議もあります。仕事を急いでいるのに追いつけない、これは体感時間をコントロールできていない事が一つの原因では無いか?と私は思います、その時間が馴染んでくると徐々にスピードが増していく、つまり慣れてきたというのはこれな気がします。

私事で言えば。

数年前までは絵を年に40枚は描いていました。
しかし、ある時から枚数が自分のノルマになっている事に気づいて辞めました。

今では絵のサイズ関係なしに速く描き上がるものは勝手にそうなりますし、小さな作品でも何ヶ月も掛かることもあります。
しかしそれでいいのです。量より質です、それに絵にかけた時間というのは正確には測れないものなのですよ。

没入感によって体内制作時間は大幅に上下しますし、いくら描いても完成しない絵は完成しないという事も学ぶ事ができました。
それはどういうことか?というと。

モチーフとインスピレーションによっては賞味期限の様なものがあるのです、早く描きあげないと腐って来てしまうものや、逆に今収穫するには速すぎたインスピレーションなんかもあります、悲しきかな今の自分では取り扱えないものもあります。

しかしそれは今後の楽しみとも言えます。

現時点では!!自分の中にその絵を完成させるに必要なピースがまだ無かったと私はそういう風に思います。そしていつの日かまたこのモチーフで描こうと思えた時の自分に任せればいいやと。

私はそういう意味で自分を信頼しているのです。

ちなみに描きあげられず腐ってしまった絵の例がこれです。
いずれまた描くでしょうけども。
何度も描いては消して、描いては消して、の繰り返し、結局この絵に込める中身が無かった、モチーフの通り、誰も乗っていない錆びついた空っぽなバスだったわけです。

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