私の芸術運動231問い
なんとも苦しい時代ですねー。
金が全く無い訳でも、明日が見えない訳でも無いのに、なぜか精神的には追い詰められている最中な感覚があります。
みんな同じ!!だとか、歳をとっていくとそういう時期は誰にでもある!!だとか、確かに言われてみればそうですが、私は33歳になりましたけども33歳になったのが初めてなので、誰もが通る道と言われてもピンとこないだけなのかもしれない。
だけど、もしかしたら、そうでは無いのかもしれない!
だけど実は私はまだ余裕があって私より苦しい思いをしている人はたくさんいるんだ!と思えば!とか考えたりもするけれどそれは正しい考え方だとは思えない。自分よりもあの人の方が苦しいから自分は大丈夫だ!なんておかしいでしょう。
自分が良ければそれでいいなんて事は無いわけです。
みんながそんな考え方をしたらこの世界はどんな世界になるんだろう?
自分も苦しいけどあの人の方が苦しいから、と考えて生きていく、考え方によっては自分を奮い立たせて世界をいい方向へ向けていくエネルギーとも取れるけど、裏を返せば他人の不幸で自分の幸せを感じるということになりかねない気がする。
これは人間関係や、職場内での事や、町単位での事、国単位での事、世界単位での事、そして地球単位での事につながっていくと思うのです。
本当の幸いとは?
銀河鉄道の夜のジョバンニが作中で語りかけます。
「本当ノ幸イトハ、イッタイナンダロウ?」
私はこの問いがずっとずっと私に影響を与え続けてる。
今世界では戦争や紛争が絶えず、政治でも経済でも私たちの知らないところで大きなうねりがあり、それの余波が私達の生活に届いて小さな変化を起こす、しかし実際私達の生活は何も変わらないように見える。
だけど、確かに、少しずつ心は苦しくなってきてるように感じる。
これが歳のせいか、誰しもが通る道だというならそうなのかもしれないけれど、それじゃーダメなんです。
誰かが苦しんでいる時に、そんな事は誰にでも起こる事だよ!とは言えない訳です私は。
私がこれまでの人生で苦しんできた事のどれを例えに挙げても、それはその人の苦しみとは例え似ていたとしても違うのです。
なんだこんな事で悩んでいたのか!!と思っても、その相手にしてみればこんな事では無いのです。
私達が鈍くなってしまっただけの事です。
それが大人になるという事なら寂しい事だと私は感じてしまう。
私は自分なりの悩みを抱えて生きているけれど、これが誰かのせいだとか、ましてや自分のせいだという白黒つけるような事はしない、むしろ誰のせいなのか?を特定する為に時間を使うよりも、その事を自分が受けて、感じて、悩んで、それで自分はこれからどうするのか?というこれからの自分の行動に期待することの方が大切だと思うのです。
自分が本気でやって頑張っていけば、ある一定のラインを超えたあたりで周りに影響力を持ち始めるような気がします。
その時に、自分が周りにどのような影響を与える人間になるのか?それによって周りの人たちがどのように影響を受けて全体としてどういう方向に向かうことができるのか?これが私に今課せられた課題だと私は感じています。
これは勝手に私が自分に対してそう思っているだけであって、周りの人からすれば私にそこまで期待はないかもしれないけれど、私の勉強なのですこれは!!
仕事もそうですが、芸術にも同じことが言えます。
あの人がこんな絵を描いているから私は大丈夫だ!駄目だ!と思う必要はないのです。
人と競う事が芸術では無い、勝ち負けじゃ無い、切磋琢磨です、さらに言えば自分で切磋琢磨できる事が画家の才能といえます。
周りの画家を見て自分の位置を知る事も大切だと思いますがそれが全てでは無い。
なぜなら、みんなが同じ魂を持っていないからです、みんなそれぞれの自分の心を持ってそれを自分が自分で磨いている訳です。
周りの人の影響を自分の魂に直に与える人というのは、言葉通り自分が許可して自分に与えた影響です。
私は絵を描くようになってから、誰かの心の一助になれた事があったか?と考えるとそんな事はなさそうに思います。しかし自分の心に深く目を向ける事ができるようになりました、私のそれを形に一枚一枚絵を真剣に楽しく描いてきました。これからもそうしていきますし、それがある一定のラインを超えた時周りに影響を与え始めることになるだろうと確信しています。
それまでに大変な事もたくさんあるかとは思いますが、それが誰かのせいだったりする事は無い訳です、自分の責任ではあるかとは思いますが、好きで描いているから、自分が自分で自分の心の面倒を見る訳です、切磋琢磨する訳です。
私はこの後の人生で自分の芸術を通して誰かの一助になれる事を望んでいます、何より私自身が自分の芸術でここまで生きてくる事ができたのですから私には出来ると思っています。
世界中を探しても自分の絵を良いというのが自分しか居ないというのなら、私の芸術はそれほどに深く感応したものだったと思います。
私ですら言葉で説明できないものを絵にしている訳です。しかし一見難解な絵とは思えない絵です、ごくごく普通のありふれたたわいもない絵です。ではなぜそれを描いたのか?書こうと思ったのか?そこに何があったのか?それは私の心で感得したものです、あなたはどう考えますか?という問いが私の絵にはあるのです、周りの物事が私にインスピレーションを投げかけ続けていますがそれは、私だから感得したものです。あなたはそこから何を感得しますか?
それはつまり「本当ノ幸イトハ、イッタイナンダロウ?」という事です。
あなたがどう思うか?
それをみんながそれぞれ考え、自分の中でまとまってきたものを、恐れず話し合う事でしか見つけられないものがあるのです。
画家が提示するのは自分の答えと、あなたはどう思うか?という問いです。
その問いに拍手や歓声や誹謗中傷で返されても戸惑います。
難しい事じゃない、それが生きている私達には出来るのです。
良いですね、美しいですね、下手だね、つまらない、という事は誰にでも出来る安易な事です。
それがあなたの答えなら、それはそのままあなたという人間を言い表すことになります。
まぁーそこまで相手の心に届く問いが出来るかどうか?が私の画家としての資質の有無でしょうけどね。笑
今の段階ではまだまだということです。