私の芸術運動208馬鹿者
自分が認識する自分と現実のギャップに驚く事がある。最近だと私はもう若者じゃないという事です、33歳で二十代前半みたいな生き方をして来たからひょいひょいといろんなところに飛び回って自分の心になるべく忠実に生きて来たけれど、最近はそうもいかなくなって来た様である。
体力面でも精神面でも、今までの自分という外殻がしんどくなって来た、私個人のことならばいくらでも好きに生きれば良いのだが、歳をとるという事は後輩が増えて来たということでもある、アルバイト先でも下が増えて来て、むしろ私より下だけど社員で立場は私より上の子という感じ、あくまでも私はアルバイトの下っ端なのです。
新しく仕事を始めればアルバイトの中でも一番下で、学生達に教えてもらいながらやっている、プライドがそれを許さないとかそんな小さなこと言いたいのではなくて、私はもう若くはないんだな!という事です。私は自分の思う事を通せる立場では無いのでしょう。身の程をわきまえろという事なのです。
そもそも、私は自分のことばかりを考えていれば良いという年でも無いのです。思い返せば好きな事を始めたりやめたりしながら自分の心に真っ直ぐ生きて来ました、いつもいつも自分のことばかりを考えて、あれが良い、これが嫌だ、嫌だけどやらなきゃならない事もあるでしょう、私はそれを頑張りますが、結局自分の事をいつも考えている様な気がする。
誰かの為に!
そういう思いで何かをやった事があっただろうか?今までの仕事は全て接客業でした、お客様に喜んでもらう為に頑張りましたが、お客様に喜んでもらえる仕事ができる様になりたい!!という思いは結局のところ自分のためになるのではいか?と考えてしまいます。誰かに喜んでもらうためにというか、誰かが喜んでいる顔を、私が見たいがために!!私自身のスキルアップのために、強いていうなら、自分の仕事を自分が責任を持ってしっかり行えるために、つまり一周して全ては自分のためな気がしてなりません。
そして私の芸術活動も例外では無いはずです。
誰かに喜んでもらうために描いているとは言え無いのです。
自分のための芸術が誰かの為になったら良いなと考えているわけです、そんな芸術が繁栄するでしょうか?自分が描けさえすればそれで良い、良い絵が描けさえすればそれで良い、もしかしたらその考え方は私自身の可能性を狭めているのかもしれない?と思うのです。
しかし、誰かのためだけに描かれた絵!というものは如何なるものか?私には理解できないわけです。
私が見つけて、感じたものを、私が良いと思うものを全力で描いて来たわけです。
これではそれまでの事で終わってしまう?!ものなのでしょう。
誰かのために描けばうまく行くというものでもありませんね、自分の為の芸術を、やっているから私の芸術はそこで終わる、しかし誰かの為に描けば人に認められる?!
そんなわけもないと思うのです。
私が自分の行いに喜びを感じ、それが誰かを喜ばせられる事なら間違いなく一番良い事でしょう。だけど、それじゃー私はいつまで経っても自己満足の趣味の世界で1人で生きていく事になってしまう?のかな?
誰かの心の支えになったという成功体験がない私です。むしろ私が絵を描き上げても何の影響も及ぼさない様な気がしてしまう。絵を描く時間があるならばシフトに貢献したほうがよっぽど世のためになりそうなものです。笑
が!しかし!!
私は手を止める事は出来ません!!!!笑
私の思う芸術を展開して、気づかせてやる!!と思っているのです。
私は馬鹿者です。おめでたい!!😛