私の芸術運動144暇とは人間の能力

最近思ったことは、人は何かに向かって歩んでいる時が一番強いのだということです。

挫けそうになってもゴールがある事は救いなんですね、じゃー私の様に終わら無い夢を追いかける者はどうか?というと、やはり弱いのでしょう、社会の仕組みを理解しビジネスを展開し利益を出し手を広げていく様な頭の良い方と比べたら私なんて何もしてい無いのと同じなのでしょう。

そのせいか私は定期的にクヨクヨします、だけど不思議とクヨクヨしたままってわけにはいか無いんです、内側からメリメリと音を立てて芽が出る様にです、私はクヨクヨしながらもいずれ芽が出るのを知っています、ある意味でそれが私の一つのゴールなのでありスタートなのです、今の社会の中で幸せになろうとみんなします、そのために気に食わ無い事は愚痴や態度に出してそれを退けようとします、時には徒党を組んだりしながら。

その気に食わないことを退けた後には幸せが待っていますでしょうか??それは自分の心に聞いてください。

退けられた人はどうなったでしょうか?

自分の目の前の障害だけを取り除ければ幸せになるでしょうか?

たしかにそれが原因でいろんな嫌なことがあったと思います、しかし退ける事が自分の成長となり得たでしょうか?

大人になると喧嘩してはダメですか?かっこ悪い大人になってしまいますか?振り下ろし所の無い拳を抑えて心の中になにか変なものがしこりとして残りそれが後々自分を狂わせていく事って結構あると思います、理想はそれがしこりになる前に自分で浄化できればいいんですけどね、そうなるとそれに甘える人が増えてしまうのも事実です。正直ムカついて殴ってやろうか?と思っても出来ずに、結局腹の中が真っ黒になってしまう、結果的に陰湿な態度や行動をとってしまったりしてもっとダサい事をしてしまう大人が沢山います、だったら殴ってしまった方が良いのにね。

こんな事本当は考える事自体おかしいのです、社会がより効率化を図って来た結果でしょう、人間の心の中も効率化していって、終いには感情なんていう効率の悪いものは要らなくなっていってしまうんでしょうかね?

私は画家として思うのですが、目の前の景色に惹かれて没入して美しいと思える事って才能であると同時に効率化の波によってきりすてられてしまったかに見える人間の心なのでは無いでしょうか?

景色を見て「あぁ」と思う事や

それを絵に描いて「あぁ」と思う事や

絵を見て「あぁ」と思う事や

紙の本をめくって「あぁ」と思う事

効率悪いですよねー。人によっては時間の無駄となります。笑

けどねー、無駄をできるって事は、暇って事は、ある意味人間にしか感得できないものなんじゃ無いかな?と思います。

AIの能力を超えることが人間の目標じゃ無いでしょう?

私達は機械じゃ無いからね、時には殴っても良いでしょ!笑

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