絵が描けない時のこの手持ちぶたさな手が邪魔に感じる

昨日国立近代美術館に行って常設展を見させていただきました

やっぱり絵で行き詰まった時はここだなという感じ

それに長谷川利行の国士像が展示されていて身体中がザワザワと言っていました

本当に素晴らしいコレクションです、僕の好みによくハマる


しかし今は何と言っても、絵に感動する自分に感じるズレに心底痛めつけられています

本当に素晴らしい作家ばかりでまるで僕の作品なんて誰も立ち入らない林で腐る落ち葉のように感じてしまいました

軽くて、浅くて、つまらない

絵の具の表面を撫でたような、かき混ぜたような

僕は絵の具でキャンバスを削りたい

筆でキャンバスを引き伸ばしたい

長谷川利行しかり、村山槐多しかり、佐藤哲三しかり、数多の作家しかり、僕を嬉しくも悲しくもさせます

真似をする事も許してくれないくらいに隔てられたような気持ちがします

まぁーそりゃーそうなんですよね

僕が感動している作家たちはまさに命を込めて描いて、最後まで全うしているんですから

初期から最晩年までの作品の遍歴を見るのは同時にその人の人生とその時代を学ぶことに他ならないわけです

命がけで描かれた絵画群を目の前に僕がこれから描く一枚の絵画がなにを語れるというんでしょうか?

そう思いながらも描く僕の絵画一枚一枚が僕という人生と時代の遍歴を含んでいる事は間違いないのです

一分一秒たりとも無駄にできない

しかし段飛ばしではこの階段は上がれないんです

一段抜かしで50段登って死んだとします

それは50段なのです

しかしこの階段は不思議なことが起こります

密度の問題です

密度の高い時間を使って登った一段一段の積み重ねは自分を思いもよらない高さに連れて行ってくれることがあると信じています、もちろん歩むのは自分自身です

時間や、距離の問題なんて本当は全く関係ないと言っていいと思います

生きている間にしかこの密度と時間の関係は築けないとも思います

描いた枚数の問題でもないです、掛けた時間の問題でもないです、それはあくまでも、言うまでもなく、当たり前のことと思います

この情熱に突き動かされて燃え尽きるまで描けば、それなりの時間と枚数は行くはずです

そこに命はこもっているかい?

昔何かでみた文章ですが

まさにそう言うことです

精神論だけでも意味がないでしょう

僕はしっかり自分に向き合って描いています

しかし思ったような結果には程遠く焦っているんでしょうね

ついついブログだから僕の絵に対する気持ちや考え方だけを並べてしまいますが、これは僕が絵を描くという事を積み重ねた上で僕が感じている、考えていることです

なにも参考にはならないでしょう

もしかしたら全く的外れな考え方なのかもしれない

とても浅はかで、抽象的で、無意味な事なのかもしれない

だから、まさに「fuzzy 」のような作品が生まれたのかもしれないですね


人に話しても仕方の無い事をここに書いています

これを読んだ人は本当に飯田大輝が書いたの?と思うような内容かもしれませんが

僕はこう言う人間です

しかしとても気分屋で自分でも気分が入れ替わった瞬間がわかるくらいに極端な人間であり

とても自己中であり

図太く

ズカズカと土足で踏み込む人間です

そのくせ自信が薄く

興味も薄く

死んだような目をした人間です

いつも人に甘えて生きています

絵に対しての葛藤が僕と言う人間に対しての不信感として今感じています

ただ一言

「クソやん」

と思っています🤣

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