断続的な愛の形
絵を描いたり、木を彫ったり、粘土をこねたり、空間を飾ったり、執筆したり、歌を歌ったり、写真を撮ったり、映画を撮ったり、する事が芸術では無いという事を改めて考えている
戦時中に芸術家が危険視され、公安に連れて行かれたりするのはその芸術的、自由な思想に危険を感じるからである
ヒトラーが芸術家の弾圧と芸術作品の破壊を指示したのもきっと同じ
芸術は脅威だという事
集団的に統一し、コントロールする側にとって芸術は邪魔、危険、だという事です
それは絵を描いているから、木を彫っているから、粘土をこねているから、空間を飾っているから、執筆しているから、歌を歌っているから、写真を撮っているから、映画を撮っているから、ということでは無いです
その精神性が問題視されていだのだと思います
僕はその時代を生きた画家では無いので実際に知識も経験も浅はかですが、そう感じています
現代において、近代芸術からの流れを見ても、精神の解放や自由が根底にあります
それが途切れる事はなく、脈々と、断続的に今に続いています
精神の解放、自由、とは何なのでしょうか?
不満をぶつける事でしょうか?
叫ぶ事でしょうか?
怒る事でしょうか?
悲しむ事でしょうか?
今、この時代において芸術は飽和して、崖っぷちです
失われた世代の様な感覚ですがもっと混沌としていて、気力は薄く、不満が溢れ、存在価値が倒錯し、自分とは何なのか?何をすれば良いのか?というモヤーっとした自由が辺りを包み込んでいる気がします
この世界と芸術は切っても切れない縁があるはずです
芸術家が芸術的精神を持てば良いということではなくて、人間の心のうちにある芸術的精神性や感受性を目覚めさせる事が大切です
みんながそういう精神を心に宿していると思います
芸術家は特別という事は絶対ありません
そういう考えは芸術を隠れ蓑にしようとする弱い心を生むと思います
僕は絵を描いているから芸術家なのでは無いです
サラリーマンをやっているから芸術家では無いということももちろん無いです
才能があるから、無いから、上手いから、下手だから、そんな狭い型にはまらないのが芸術です
言ってしまえば、芸術という枠にもハマりません、少なくとも今みんなが共有して持っている芸術という概念自体が間違っているかもしれません
もっとそこら中に溢れているどこにでもあるものの様に感じます
生き様だったり、思想だったり、概念だったり、歴史だったり、家系だったり、人体だったり、自然だったり、その他ありとあらゆるもの全てに組み込まれている気がします
これは言い換えると愛と同じな気がします
どこにでもあるけれど感じれない人には感じ取れない
自分は持っていないと思い込み与えることもできない
そんな愛の気薄した所に、戦争、喧嘩、イジメ、迫害、テロ、諍い、嫉妬、なんかが忍び込んでくる
幸いにも芸術は脈々と受け継がれてなんとかここまできました
完璧に世界を覆えているわけでは無いけれど
確かに断続的な愛の形の一つであることに間違いはないと思います。
そのうちの一つの手段として、僕は画家という事をやっている者です。
下手だから辞めろだの、芸術家ぶるなだの、売れ無いだの、芸術なんて無くてもいいだの、才能が無いだの、全く見当はずれ
それは、お前はいらない!!という愛の気薄した人の発想だ💁♂️
そんな僕も愛が枯渇しているから芸術に救いを求めている!笑
芸術は世界を変える事は間違いないと思います
頑張って生こう、感謝しながら😌🙏
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