私の芸術運動217鉄は熱いうちに
最近は懐かしい友人から連絡があったり、会って食事したりとフワッと懐かしい思いにさせられる。
それはちょっと寂しくもある、あの頃はいつも一緒にいたのに今はみんなバラバラで、しかも私の知らない人生を自ずと歩んでいる、自分だけ取り残された様な、そんな気がしてしまうからか?自分がやけに子供っぽく感じる。
私が夢と現実の間を彷徨うが如く芸術に熱を感じているうちに、みんなは熱い鉄を打ち、冷えて何かしらの形になっているのだ、大人の形とでもいうものか?なのに私は熱せられて真っ赤に光った鉄のまま、形も決め切らないまま、ひたすら生きている、心にはいつも情熱が湧いていて、冷え固まり何かの形を成すことが私には到底出来そうもない。
真っ赤に輝く鉄の心をうまく乗りこなすために、私は冷静を装ってる、周りの人は関係ない、私は自分のこういう装うところが好きになれない、認められないでいる、ここには大きな矛盾が生じてる。
世の中の為になる歯車の形を形成できない私は言い換えれば決して同じとは言えないけれど、昨日見た映画に出てきた特攻を命じられた少年が零戦の故障を言い訳に特攻しなかった気持ちと重ね合わせていた。
私は生きたい、めちゃめちゃ生きたい、なのに冷えた鉄のふりをする。
自分の中で寒暖差がある
そこに強烈な孤独感と焦燥感を感じる。
昨日会った友人は言っていた
「みんな真面目だから形に収まる」って。
私は自分の事を真面目な人間だと思う、しかしその反面私はとても不真面目でもある、真面目なふりをした人間だ。
何が本当の私なのか?
不真面目ぶった真面目な人間か?
真面目ぶった不真面目な人間か?
その中間くらいのもっと複雑な位置に居る、真面目な部分と不真面目な部分がある
そういう際どい倫理観を通して生きている。
私がどういう人間だったのか?死んだ後に知る事になる
その時私が自分に落胆しない様に生きたい!!