醒めない夢

喫茶ラパンの店の前

テーブル一つに椅子が二つと灰皿

フレンチブレンド珈琲を一人で飲んでた

おばあちゃんがよたよた歩いてきて相席になった

自然と話して行くうちにその方も画家だったという

「私なんか画家の端くれ、画家の画でしか無い」

そんな話から気づけば人生の話に

芸術の話をしているとそういうことはよくある

まさに芸術は人生であり、人生は芸術

誰かが昔そんな事を言っていたのを思い出す

このブログを書いている最中

まさにたった今の事だけど

喫茶店の女性が声をかけてきた

多分あのおばあちゃんが帰り際に言ったのだろう、こんな事を言った

「辞めないで、ずっと続けて欲しいです」

個展中に言われる社交辞令のような言葉とは一線を画すものをその女性の態度から感じ取れて、とても暖かい気持ちになった

僕は皮肉屋だからね

やめる気は無いと、心の中でつぶやく。笑


「君はどんな絵を描くの?」

相席になったおばあちゃんが聞いてきた

僕はうまく答えられなかった

言葉に出来ないから絵になっているのだけど

やはり人間だから、言語化して初めて伝わるものがあるのだろうか?

僕は自分の絵を見返してみた

全く何を描いているのかわからない

つい2週間前まで頑張って描き上げた絵画たちが沈黙している

何を描いているのかわからないとは

何を言っているのかわからないと同義なのでしょう

僕は心がどんどん熱くなっていくのを感じる

これを情熱と呼ばずになんと呼ぶのだろう

そこには不思議な幸福感とそれを眺める冷静な自分がいるのを感じる

これが大切なんだと僕は常々思う

自分を冷静に眺める事が常に出来ていれば大丈夫、自分が怒っている時、冷静な自分が思う

「こういう事で僕は怒るんだね」

悲しい時、冷静な自分が思う

「こういう事で悲しむんだね」

そして最後に決まって言うのだ

「どうしようか?」って

自分の表面の感情に身を任せていても仕方ない

自分に踊らされてちゃ駄目

それは本当の自分なのか?数秒でいい

自分を離れて自分を見る時間が作れればそれで確実に変化する

それが出来ずとも、その数秒が後々自分に後悔という形でのしかかってくる

そして聞こえる

「どうしようか?」

しかし、意図しない事が起こるもので

そこに人生の面白さや、皮肉が込められている

昔「醒め方を知らない夢」という絵画を描いたことがある

画面を真っ黒に深く深く塗りつぶして穴を開けようと思ったのだけど、それを銀座の個展で見た人から「何これ?」と言われてしまった


確かにその通りだね。笑

僕はこの絵画の中に吸い込まれるように落っこちた事があるけれど、見た人はこの画面に吸い込まれるどころか弾かれてしまっていた

僕の技量の弱さです


そして昨日キャンバスが無くてこの絵を下地に新作を描き上げた

先に言っておくけれど、僕はなんとなくこの絵を手にしただけなのだ

そしてそこに僕は小3の頃に死んでしまったお父さんの絵を描いた

お父さんが若い頃、車内で眠りについている写真を基にした、僕はこの頃まだほんの子供だったと思う

その絵を今日の朝方完成させて

「醒めない夢」という題をつけた

描き終わって思ったのだ

偶然手にした過去作品の醒め方を知らない夢という絵画を基に、偶然床に落ちた仮眠しているお父さんの写真を見つけてそれを何と無く描き上げ、醒めない夢とタイトルをつけた

不思議なものだね

まさに皮肉としか言えない

この写真の頃

僕はまだ幼子、将来画家になっているとも誰も思ってもいない

不思議な縁でこれが絵画として昇華されたわけだ

この絵もまた、見た人は言うんだろう

「何これ?」

確かにその通りだね。笑

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