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ラジオのお悩み相談のはなし

 小さい頃から、ラジオを聴くのは好きで、使うのも耳だけだから、楽だった。
 もちろん、合間に流れる、パーソナリティーの選曲も、楽しみだ。どんな曲なのか、どんな想いが背景にあって選んだのかとか、また好みが垣間見えて、面白い。自分の知らなかった曲にも出会えたりするから、なお興味深い。

 そんな中でも、自分が1番興味深いのが、ラジオでの悩み相談コーナーだ。小さい悩みに見えるようなものから、深刻に見える悩みなど、それぞれの違いがあって、それをラジオパーソナリティが、回答する。今では、たくさんの芸能人、文化人、著名人などがパーソナリティとして活躍している。

 でも、時々、自分の中でしっくり来ないのは、ラジオでの、「悩み相談をする」という行為だ。
 きっともともと相談するくらいだから、そのパーソナリティに少なからず考え方や、物事への視点、そういったものに共感できるからこそ、自分の悩みを相談する。
 ただ、悩みを相談するということは、ある意味誰かに解答を求めて、代わりに選択してもらっているということになるのか、自分の正しい選択のための動機づけになるのかとか、いまいちわからなくなる時もある。

 悩みを相談することは、自分の経験上でも、もちろんしてきたことがある。多くは、自分自身のことをよく知っている友人や、知人、まぁ近しいところで言えば親戚や家族だろうか。
 ただ、本当に相談をして、他人の意見を受け入れたのか、ただ聞いて欲しかっただけなのか、いまいちよくわからないけど。

 個人の悩みについては、大きいもの小さいも無く、その人自身には全てが、その時点では、深刻な悩みだと思う。
 相談っていう行為は、少なからず、その人の抱えている不安への同調や、思考過程の整理など、答えを求めているわけではないのかもしれない。

まぁ、ましてやラジオパーソナリティに関しては、自分が一方的に共感や好意を抱いているだけで、実際のそのパーソナリティの本質の部分は異なることもあるだろうし、欲しい回答が得られなかった場合には不完全燃焼になるのだろうか、大体は一方的な答えを、ラジオで聴いて、その後のことなんてものは、パーソナリティ自身が気にすることもなく、殆どわからないことも多いのかもしれない。

 言葉には、他人を癒す力もあれば、責任と重みもあり、時には凶器にもなる可能性もある言葉は、やはり難しいところがある。
 ましてや、人間というものは、若しくは自分においてはだけど、相談をされたとしても、自分の経験以上のことは答えが出せない。それに、他人の痛みを知るということは難しい。どんなに、その相手が、苦痛を受けているようにみえても、肉体的な傷を負っても、実際に同じ体験を経験していない自分には、共感をする努力はできても、本当の痛みはわからない気がする。

 そういう意味では、結局は自分で選択して、答えを出さなきゃいけないのかも。

 でも、ラジオのパーソナリティってなんだかカッコ良いよね〜。

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