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中立の立場とは強者の視点

実は「中立」や「客観」って、マジョリティの立場に立つことなんですよ。それは強者の眼差しなんです。

Cakesで無料公開されている特集を興味深く読んでいます。

「現在のDV問題について、カウンセラーの信田さよ子さんに伺いました」

信田さよ子さんといえば、私が高校生の頃に読んだ「アダルトチルドレン」関係の本を思い出します。
思い出すと言っても30年近く前の話ですから、本の内容よりも、なぜその本が我が家にあったのかということに意識がいくのですが…。

母方の祖父はアルコール依存症だったそうです。

我が家から500メートルもしないところに母の実家はありましたが、母方の祖父と普通に会話をした記憶は一切ありません。そして私が小学生のうちに亡くなってしまいました。

唯一覚えているのは、夜ご飯の最中に私が取った電話口からわめき声がし、母を出せと言われたこと。どこかの飲み屋で酔い潰れた母方の祖父がお店の人に電話をかけさせたようで、辛そうに対応する母。「切ってしまえ、相手にするな」と食卓から言う父方の祖父。

母は、「自分たち子供がこんな目に遭ってきた」というようなことは何も言いませんでしたが、アルコール依存症の親を持つ子はアダルトチルドレンと呼ばれることを知り、納得するところがあったようです。のちに心理カウンセリングを受けて、自分と向き合ったりしていたようでした。


この特集記事には、戦地で覚えたお酒からアルコール依存症になり妻へDV、DVを受けた母親から子供への虐待の流れがあると書かれています。そしてDV支援と虐待支援は意識的に繋がりを持たないと、お互いが理解できなくなるという問題が指摘されていました。

あるカナダの先生が、アメリカでDVと虐待に関する研修をやったとき、大きな会場の真ん中にサーっと一列空席ができていたんです。それの片側が虐待支援関係者、もう片側がDV支援関係者だったっていう。そんな可視的な溝さえあった。

DV被害者という立場で支える時は、虐待の可能性に気づいてもそのことは尋ねないという信田さんのお話が印象に残りました。
そして冒頭の言葉。

中立は強者の眼差し

客観的な視点というのは、「相手は確かにひどいかもしれないけど、あなたもどうかと思うよ」って話になるんですよね。でも被害を受けてる人は、100%聞き入れてもらえないと、否定されたように感じてしまう。

びっくりしました。

相手に寄り添うって、本気でとことん理解しようとするということなのですね。

私はすぐに客観的な立場に立ちたがることに気づき、これはあくまでも強い立場からの物言いになるのだと知ることができました。

大学では一応心理学をかじりましたけど、カウンセラーは目指せないな(院に進学する余裕もありませんでした…)って思ったのも、そこまでの覚悟のある人間じゃなかったからかもしれません。

しかし人間としてこれからも生きていくので、より良い生き方をするなら、避けては通れない大切な考え方だなと心に刻みつけております。

この連載記事、これからも楽しみにしています。




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ひなた とりこ
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