使命感は、時に人を殺すよね、と言う話
6月某日に、スタートアップの経営者が自殺未遂したことが、Twitterで少し話題になっていた。
彼女は「生きづらさ」をテーマにした、いわゆる社会課題の解決に取り組む起業家で、自身も精神疾患を抱えながらも戦い続けている。
彼女の身に起こったことを踏まえて、誰に読まれるでもないnoteに僕の感じたことを書いておく。
社会課題に向き合うこととは
この社会には、「社会課題」と呼ばれるものがたくさんある。
今話題になっている”人種差別”も、社会課題の一種だ。社会課題とは、人間としてこの世界に生まれ、生きていく上で、大きな障害となって立ち塞がるもの。
その解決に取り組み、社会を変えて行こうと尽力する人々を僕は尊敬している。生半可な努力では取り組み始めることすらできないし、往々にして解決することが難しい問題の方が多い。
ではなぜ、彼らはあえて難しい「社会課題」というものに向き合うことになるのだろうか。
難しい課題を解決したいだけなら、他にいくらでも方法はある。大学院で研究をすることだって、きっと難しい課題に取り組むことに他ならないと思うのだ。
もちろんそれぞれの起業家に、それぞれの社員に思いはあると思うので一概にまとめるのは無粋だと認識している。
ただ、就活をする上で社会課題に取り組む会社と、今のエンターテイメントの会社とで、最後の最後まで真剣に悩んだ自分が思う理由を一つ挙げるとするならば、使命感だと思っている。
ぼくが・私が、やらないといけない。他にこの課題を解決する人間はいない。この人生において、ひしひしと感じてきたこの課題を、自分が解決するのだ。
そんな狂気にも近い使命感が、彼らを動かしているのだと思う。
社会課題に向き合うことは、ほとんど狂気に近い。
しかし、狂気じみた使命感を背負う人々が、今日まで様々存在した社会課題を解決に導き、世界をより多くの人にとって良いものにしてきたことも、また間違いない事実なのだ。
使命感の罠
冒頭で触れた起業家が自殺未遂をした理由は、確実に使命感だった。
生きていること自体の素晴らしさを伝える為、対外的には「生きていてすごい!」と発信し続けることで、反対に自分が辛いと打ち明けられる場所がなくなっていく。
サービスを使うユーザーが、同じ悩みを抱える人々が、より良く生きられる様にとそう努力することで、自分が蝕まれていってしまう。
同じ課題を抱え、その課題を抱える人を救いたいと思えば思うほど、その課題と直面することを求められる。
使命感には、大きな罠が存在する。使命感が人を殺すのだ。
変えたいと強く思う人間を、課題の大きさと使命感の強さが殺してしまう。
それでも、その死屍累々を乗り越え、使命感にも勝る意思で強く生きた者のみが、社会を変えてきた。
なぜ、使命感が人を殺すのか
彼らは、正しいことをしているはずだ。
社会に生じている生きづらさに目を向け、間違っていると声を上げることが間違っているはずがない。
それでも、なぜ彼らは、結局のところ生きづらさを抱えるという矛盾を孕んだサイクルに飲み込まれてしまうのか。
その大きな要因は、課題ではなく人に目が向いてしまうことだと思う。
社会課題はとても根が深く、個人個人が抱える闇が深い。
だから、どうしても個人の闇に目がむき、終わることのない闇に向かい合い続けるしかなくなってしまうのだ。
彼らは、”人”に目を向けている。個々の人が抱える生きづらさに直接向き合い、人の辛さを謳い、解決のために働く。
その闇を乗り越えていく人々だけが世界を変えていく現状は、果たして正しいのだろうか。
人を見ないで、課題を見ること
僕は、間違っていると思う。
そんな課題解決は間違いであって欲しい。これ以上、そんな社会課題の解決方法が賛美されてたまるか。
課題を本質的に解決するためには、人ではなく、”課題”を見ないといけない。
人と人の間にある、人ではない課題。
個別に人を救っていっても何も変わらない。終わることのない闇のサイクルに飲みこまれるだけだ。
だれかが悪いわけではない。そんなこと叫んだって何も変わらない。正義であっても、向ける刃の向く先が間違えば人を殺す。
崇高な使命を心に刻む人であればあるほど、目の前の一事象に囚われず、人に目を向けすぎず、課題にのみ目を向けて欲しいなと切に願う。
世界はもうすでに時代遅れだと言う話
そもそも、社会課題ってどうして生まれるんだっけ?と言う話がある。
人間の課題はいつだって、認識の齟齬のもとにある。これが大きく肥大していくと、社会を巻き込む課題になっていく。
これを、一人間の問題だと考えているままでは解決することは到底できない。
例えば「上司がうざい。」「友達が嫌い。」「彼氏が悪い。」
こんな単純な問題だって、本当はその人自身に問題があるわけではない。その人を、その様に捉えてしまう現状の方に問題がある。(あなた自身に課題があるわけでももちろんない。)
世界の捉え方、人間の感情の認識という部分で、確実に時代は変化するべき時に来ていると思う。
ここは、内省力というnoteで今後発信していくことにするので、是非読んで欲しいなと思う。