東ヨーロッパの恋愛観は日本の昭和時代
好きな作家さんに林伸次さんがいまして、noteでもマガジンを購入して読んでます。『バーのマスターはなぜネクタイをしているのか?』で引き込まれました。もともと城アラキさんの『バーテンダー』シリーズが好きで作品とお酒と妄想に浸っていた時期があります。
さて、林さんのnoteでのつぶやきで以下の記事を読みました。
好きな人と週一で寝てるのに付き合ってくれないという女性の質問に対し、「付き合っている」という状態は、昭和の頃は3回デートを重ね、キスやセックスをしたのであればもはや確認なしに二人は「付き合っている」というのに対して、平成の今は告白してから承諾の上で「付き合っている」状態に移行するのが主流っぽいので時代だと思い受け入れましょう、と林さんの回答。
その時代背景として林さんは
これ、どうしてなんだろうってずっと気になって、色々と聞き取りをしたり、そういう文章を読んだりしてわかってきたのは、「女性もセックスについて考えているのがあたりまえになった」、というのが大きい理由な気がします(これ、違ってたらすいません)。僕がまだ若い頃は、女性が性欲について意思表示するのは恥ずかしいことだったんです。
と分析します。ぼく個人としてはドラマの影響が大きい気がしますね。(キムタクが主演のものは除く)
ぼくはリトアニアに1年とエストニアに2年いまして、彼女はウクライナ人です。3年間の生活の中で見聞きしたことと、特にモテたいと必死だったリトアニア時代(2015~16)に女性に伺った話からすると、少なくとも東ヨーロッパの恋愛観は上記の昭和観のままです。二人きりでお茶することでさえデートとして”カウント1”に当たります。同世代の人はびっくりするんじゃないでしょうか。
単に二人でお茶したらデートしてカウントされるという意味で、ではありません。そりゃあ、気になっている人と二人で出かけられるのならひとまず大勝利として舞い上がります。でも、そうじゃなくて、つまり、あと同じようなことを2回したら告白無しに「付き合える」かもしれないということです。
あの「断られたらどうしよう。これまでの関係も0になってしまうかもしれない」という恐怖がないんです!
正確には2回目3回目は前回以上でないとカウントされないので、いつまでもカフェ止まりだと男として見透かされるのが実情ですが。さらにさらに、告白の代わりにキスがデートの始まりなのでなんだかんだ勇気は必要です。
よくヨーロッパのカフェで男1女2、ないし男2女1の3人でのデートシーンを見かけたりするのですが、あれは「すげぇ!ハーレムだなぁ」なんてことではなく、「変な空気」にならないための防衛術なんだそうです。
ちなみに特に東ヨーロッパではお金と娯楽がないため、ただお茶をするのも立派なデートになります。ただですね、こちらの女性も性については公で語ったりもするので、上記の林さんの考察はこちらでは当てはまらないです。
最後になりますが”承諾なしのキス”に抵抗のある平成男子同胞諸君、朗報。
こちらでのいわゆる告白は”教会での結婚式”をイメージさせます。つまり、”とてつもなく真剣である”という印象を良くも悪くも与えます。
そんなこと知らなかったのですが、今の彼女がいるのもKOKUHAKUのおかげで真剣さが伝わり、同時に新鮮だったようで、感激してくれたのが大きな要因となりました。
せっかく侍の国の男児なのであえて文化に従わず、”真剣で相手する”というのもいいかもしれません。ぼくは平成生まれなので告白文化の方がしっくりきます。