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「勉強する意味」は「友達を作るため」

よく勉強する意味・意義として

「将来の可能性を増やすため、夢を叶えるため」とか

「問題解決能力を鍛えるため」とか聞きますが、間違いではないものの、ぼくはあまり好きではありません。それはそうなんだろうけども、なんかはぐらかされているというか、未来に問題を押し付けているような感じを受けるんです。

そんな何十年先の僅かな可能性を信じて強いて勉めることなんてできっこないじゃないですか。せめて1年先ならまだリアルに頑張れると思うのです。もっと言えば明日、勉強のおかげでいいことあるならば、今日をすっごく頑張れるもの。俗にいう、将来価値よりも現在価値。みんな大好き一夜漬けだったり。

ぼく浪人していましてね。現役の時から英語は得意だったんですが、浪人しての1年間また文法から塾で勉強するということにテンションダダ下がりだった時があります。

「いや、そんなの知ってるし。なんなら話せるわ!(たぶん)」

なんて斜に構えてたんですね、当時。でも、勉強しないと知識が衰えていくのは目に見えていたので、何とかモチベーションを保つ術を探していました。

そんな時、友人と「なら、スカイプで世界中の誰かとお話ししてみよう!」となったんです。斜めに構えていたものの、いざ1人で話すというのは心細かったので友人と一緒にやろうと。

共通の話題がないのは英語云々の前にまず会話として成立しずらい側面があったので、ぼくらはスカイプの言語交流の掲示板で日本語に興味ある人、かつ女性(with 下心)何人かにメッセージを送りました。

無事マッチングし、「さあ、やるぞー!」と念入りに自己紹介文をこしらえ、いざ出陣!

。。。。。。

30秒で撃沈。

。。。。。。

「ええぇ!????」って。

その頃はアメリカ人(可愛い)とポーランド人(美人)とお話ししていたんですけどね、「My name is Hiroki. Nice to meet you!」と繰り出し「Nice to meet you, too!」を教科書通り期待してたら、全然違う返しがかえってきて、パニックの連続。何を言ってるのかさーっぱり聞き取れない。そうは言ってもこしらえた自己紹介文は間違ってないから、おもむろに切り出すと、「oh, cool!」と返ってくるものの、その後のマシンガンに心がズタズタに裂かれる。必然的に「ahh....ehhh...」が多くなる。

目の前の美女の顔色が曇り、不機嫌になっていく。

とはいえ、彼女たちは日本語に興味があるので、予定を早めに切り上げて日本語たーいむ!母国語ってありがてぇありがてぇぇぇぇ。

情けねぇぇぇ!

と。生きている英語に触れて、死んだような気持ちになりました。

それからは「仲良くなりたい!」が英語勉強の源泉となりました。それから、話題探しですね。日本文化(地理、歴史、経済、国語)って何だろう、英語でなんて言うんだろう、って。

それまで学校で言われたことをやり、いい点数を取ることを目標というなのアリバイにし、自分がやりたいことを未来に棚上げしていた自分。浪人して初めて勉強とはなんたるかを発見しました。

新聞を読めば、ビジネスマンと仲良くなれるでしょう。

バスケを頑張れば、チームのメンバーあるいは相手チームと仲良くなれるでしょう。

料理を覚えれば、友達を呼んでホームパーティーできたり。そこにコミュニケーション能力もあれば、見ず知らずの人を招待できたり。

ぼくはまだその境地には至ってないのですが、どうやらさらに勉強を極めると、その仲良くなる、友達になる対象が人間ではないものまで拡張されるようです。

例えば目の前の現象が数式、化学式で見えたり、着ているものからその人の仕事や性格がわかったり(「王様の仕立て屋」大河原遁)、入り口からカウンターまでの歩き方でその人の悩みがわかったり(「バーテンダー」城アラキ)。言葉なしのコミュニケーションですね。このレベルは知識の勉強よりも経験の勉強がものを言うのでしょう。孔子先生も

学而時習之、不亦説乎。
有朋自遠方来、不亦楽乎。
人不知而不慍、不亦君子乎。

と言ってますし。もしかして孔子先生はさらに太古の偉人たちとコミュニケーション取れていたんじゃないか、と考えさせられます。

勉強すると、共に頑張る友人ができ、
さらには、その勉強対象と仲良くなる。

ぼくはそれが「Hello World」なんじゃないかって信じています。

Hello World. Thank you for leading me the right way. How are you? 

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小さなテーブルに花束を/神長広樹
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