保守とは「品位を保ち、節操を守る」モノでありたい
トランプさんを応援していた。大減税により米国主要株価指数の過去最高値を更新し(コロナ前の実体経済との乖離が低い2017年)、黒人の失業率を過去最低水準に下げ、特に子どもを中心とした人身売買を断つためにメキシコとの国境に壁を建設し、世界を恐怖に包んだISISを根絶し、ここ数十年で一度も戦争をしなかった大統領であり、日本の拉致被害者とも膝を合わせて耳を傾け、国連で横田めぐみさんの拉致を取り上げ北を非難し、絶対に不可能と言われた中東和平を取次、中国の実態を世間に暴露した、からだ。これらは彼の偉大なる功績の一部でしかない。
反対に彼の前大統領は、毎週火曜日に誰を暗殺しようかリストを眺めながら確たる証拠もなしに暗殺命令を出し、一般人も巻き添えにするような、広島でのスピーチの前に向こう30年の核開発に110兆円つぎ込む予算を作成した、プラハの演説とはまるで裏腹ダブルスタンダードの、怖い人であった。特に功績はない。ノーベル平和賞受賞者、誰がどう見ても逆だろう。
特に、私はアメリカの民主党が怖い。私は、というよりは、大方の日本人はそうではなかろうか。旧ソ連のコミンテルンにそそのかされて自分の「戦争はもう二度としない」との公約を破って第二次世界大戦に参戦を表明したのは民主党大統領のF.ルーズベルトだ。日系人の強制収容も彼が行った。絶好調の日本経済の中、大統領自ら日本バッシングを唱えたのはクリントン政権である。どちらの政権も、オバマ政権も含めて中国と睦み合う関係だった。別にそれ自体は結構なことではあるが、どうも大国が仲が良いと、間の日本はさぞ気に入らないのか、軍事的にも経済的にも強引な手を取る傾向がある。バイデン政権ではどうかというと、彼自身前例がある。
これらが私のスタンスだ。ふた言で言えば「トランプさんを失うのは世界にとって痛手」であることと「民主党政権だと歴史的に日本がやばい(特にメディアで大絶賛の極左カマラ・ハリス)」が中心にある、
が、根幹ではない。
武田邦彦先生がおっしゃるように、向こうの政権がどっちになるかで日本の未来が変わる、そんな“おんぶにだっこ”のふらついた姿勢ではいけない。芯をしっかりと持つためには、しっかりと情報を得なければならない。「失敗の本質」が何度も指摘するように情報不足と誤情報の盲信で日本は負けた。ただ負けただけではなく自虐史観は植え付けられ、国際社会で嘘に振り回されている。私も何度も外国で、外国人から、パール・ハーバーだの、慰安婦だの、南京事件だの、言われようのないバッシングを受けている。
私の2020年大統領選挙のスタンスの根幹は情報戦に飛び込んで見ることだった。“戦”と言う割には、プレイヤーではないので大げさではあるが、本来であれば国民国家の主権を有する有権者として、いかなる自国の選挙も同様な姿勢で望むべきである。しかし、以前の私は“眠っており”、テレビや新聞を真に受け、要は流されていた。それへの反省から今回は来ている。
正直一部の陰謀論に振り回されたりもした。一喜一憂もした。怒りもしたし(Parlerの排除)、泣いたりもした(テッド・クルーズの「Yes, it is」)。
一喜一憂は素晴らしいものだと思う。圧倒的な情報格差がある中だから、何かにすがったり、アテが外れたりして、心が揺り動かされるのはプロでない以上仕方ない。一喜一憂はしていい。駄目なのは、三喜一憂したり、一喜三憂したりと、“平均0”からどんどん乖離して、良くも悪くも自分の世界に突入して行くことだろう。いかがだろうか?
「これはデマではなかろうか?」と必死に英語の一次資料の、しかも複数のソースを探し求めた。探し当てても、それが何を意味するのかわからないから、YouTubeやTwitterの賢人たちを訪ねた。時には、大先生のおっしゃることさえも疑った。アメリカの選挙制度も少し勉強した。如何に司法が大切なのか学んだ。歴史も単なる教科書の1ページではなく、現在まで脈々と波を打っていることに感銘を受けた。隠されていた非常に人道的にショックなニュースをも処理した。
これらはトランプさんを応援していた、あるいは応援している人皆が享受した彼からの贈り物である。ハナから「バイデン」だとマスコミの御託を聞き入れているだけでは、あるいは無関心の状態では受け取ることができなかった物である。
勝ち負けの結果だけに執着してはならない。
「潔く負けを認めて謝罪しろ」という言動をよく見る。全くそんな必要はない。サービスとして対価を得ているならまだしも、無料のネットで、しかも一個人にそんな責任はない(誹謗中傷や脅迫なら責任が発生する)。そもそも「ネット上の情報をむやみに信じてはいけない」というのは小学校の教科書にも出てくる最低限の同意とマナーである。「信じる」という行為は「誰か」を対象とするのではなく、その「誰か」を参考に、自分の意見を組み立て、その判断を「信じる」のである。それを
自分が勝手に、マナーを破って信じて、それが結果的に間違いだったから裏切られた、という自分への免罪符を自分で発行し、被害者面して誹謗中傷に走る
のは全くもって節操の欠片もないではないか。
これもよく目にして残念だったのは、例えば下院議長のナンシー・ペロシーを「何死・ペロ師」だの「ペロペロBBA」だのと揶揄することだ。彼女が行っていることを鑑みれば、そう形容する気持ちは同じだが、品位というものがある。愛するものを正義のために守るには、相手をどれだけ陥れようとも構わない、とはならない。第一、日本語でしか伝わらないのだからどれだけ広がっても本人にはノーダメージだし、なんなら理解できる日本人の心に傷を与えている。反対派にポリコレの口実を与えて、さらに言論統制を強めさせる餌にしかなっていない。僭越ながら保守とは
品位を保ち
節操を守る
こうでありたい。侮蔑的な言葉を用い、その勢いだけでマウントをかける、そんな子どもの喧嘩では何も伝わらない。自分の判断ミスを「こいつに扇動された」と魔女狩りに誘導するなんてCNNみたいなこと愛国者は望んでいない。
トランプさんは別れの演説の最後「We will see you soon 」と締めていた。私は少なくとも、画面越しであるだろうけども、その時が来た時に正面から対峙できるように次の時間を過ごしたい。私は彼の夢を夢見ている。
誰もが自国に対し、誇りを持てること
活気ある真の経世済民をなすこと
マネーゲームの温床を排除し、金(あるいは銀)本位制に回帰すること
奴隷、人身売買をなくすこと
そう、太平の時代である。モデルとしては人口(活気)も教育水準も清潔度もインフラも世界一であった江戸時代といったところか。
仁・義・礼・智・信。五常が当たり前の世界を活きたい。