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ある哲学者の生き様について

プラトン『ソクラテスの弁明』

どうも!いずれカエサルを超え厨二病の王になる漢、阪本弘輝です!

写真はソクラテス先生が毒杯を仰いだという独房です。この写真を撮った後、感極まり過ぎて思わず「哲人王に俺はなるッ!!!!!」と大声で叫んでしまいました。哲人王、プラトンの思想であって、ソクラテス先生はあんまり関係ない説もあるんですけどね。笑

弟子が描き出す、西洋哲学のゴッドファーザー

今回ご紹介する本は皆さんご存知、西洋哲学の産みの親たるソクラテス先生の裁判を描いた本です。とは言ってもソクラテス先生は議論が好きすぎたのか、殆ど何も書き残していない人なので、弟子であるプラトンが記したものになっています。一応ソクラテス先生が主人公ですし、ソクラテス先生が裁判にかけられたのも史実ですが、本書のどこがフィクションで、どこがノンフィクションなのかは、正確にはわかりません。

これはプラトンの著作全てに関して言えることで、どこまでが師匠の考えで、どこからがプラトンの意見なのかは、ハッキリと分離できないのです。古典文献学者でもあったニーチェは、プラトンの著作に登場するソクラテスを形容して、「前がプラトーン、後もプラトーン、中がキマイラ」と揶揄しています。いや、キマイラて。笑

いずれにせよ、本書に描かれるソクラテス先生の生き様が、人類史に計り知れない影響を与えてきたということは、間違いありません。

ソクラテス先生、シンプルに不審者説

さて、本の内容に入っていきますが、ではそもそもどうして我らがソクラテス先生は、裁判なんかにかけられ弁明する羽目になったのか。訴状の内容が読み上げられます。

”ソクラテスは不正を行い、また無益なことに従事する、彼は地下ならびに天上の事象を探求し、悪事をまげて善事となし、かつ他人にもこれらの事を教授するが故に”

要するに、悪いこととか意味のないことばっか研究する上に、人にそれを教えるから訴えられた、ということになります。なんともまあ随分な言われようですね。

でも考えてみてください。学校へ行く途中、得体の知れないおっちゃんから突然「君、悪とは何だと思うかね?」なんて話しかけられたら、どう思います?

しかも、「そうですね、良くない事、ですかね...」などと下手に答えようものなら、「では良いとは何だ?それは状態か?保持できるものなのか、あるいは保持できないものなのか?」なんてヤヤコシイ議論が矢継ぎ早に飛んで来るわけです。え、フツーにダルくね?笑

なのでソクラテス先生が訴えられること自体はぶっちゃけわからんではないのですが、今回の訴状の主張はやはり間違っています。何故ならソクラテス先生は、自分が人に何かを教授できる存在だなどとは、夢にも思っていないからです。

愛すべきKY野郎

古代ギリシャ全土からの信仰を集めていた大聖地デルフォイ(ちなみに僕のアイコン写真はデルフォイで撮りました)。当時世界の中心とされたその場所で、友人のカイレフォンが巫女へ伺いを立てた時の話を、ソクラテス先生が始めます。(かっこ内は僕の注釈)

”彼は、私(ソクラテス)以上の賢者があるか、と伺いを立てたのである。ところがその巫女は、私(ソクラテス)以上の賢者は一人もないと答えた。”

これだけ聞くと「はいはい、イキリト乙」となりかねない話ですが、ソクラテス先生は続けます。こんな大したことのない自分が、何故そんなふうに神から言われたのだろうと。

”私が吟味している際に次の如き経験をしたのは、政治家の1人であったー 彼と対談中に私は、なるほどこの人は多くの人々には賢者と見え、なかんずく彼自身はそう思い込んでいるが、しかしその実彼はそうではないという印象を受けた。それから私は、彼は自ら賢者だと信じているけれどもその実そうではないということを、彼に説明しようと努めた。その結果私は彼ならびに同席者の多数から憎悪を受けることとなったのである。”

いやいや。笑 そら嫌われるやろ。笑 ホンマにただの空気読めへんやつやん。笑

とまあツッコミどころ満載でお茶目なソクラテス先生はさておき、重要なのは次です。

無知の知

”しかし私自身はそこを立去りながら独りこう考えた。とにかく俺の方があの男よりは賢明である、なぜといえば、私達は二人とも、善についても美についても何も知っていまいと思われるが、しかし、彼は何も知らないのに、何かを知っていると信じており、これに反して私は、何も知りもしないが、知っているとも思っていないからである。

これがあの有名な、「無知の知」のエピソードです。だからソクラテス先生からすれば、人に何かを教授するなどという大それたことは、出来るはずがないわけです。さらに先生は神託の話を続けます。

”それから私は、前者以上に賢明の称あるもう一人の人をたずねたが、まったく同様の結論を得た。かくて私はこの人からも他の多くの人達からも憎悪せらるるに至ったのである。”

やっぱ空気読めてね〜。笑

裁判勝つ気ZERO杉事案

以降もソクラテス先生の弁明は続きます。続くのですが、読み進めて行くうちに、ある衝撃の事実に気付かされます。

「先生、アンタ、あんま助かる気ないやん...」

本書を読んだ人なら誰もが抱く感想だと思います。そう、ソクラテス先生には、助かる気などハナからないのです。

金欠だから罰金払えねぇ、道行く人との議論は止めれねえ、牢屋生活は受け入れねえし、家族引き連れお涙頂戴はダセェ、てか俺悪くねえから妥協とかあり得ねえ、と。

こんな態度を取られると、そりゃ裁判官からすれば「喧嘩を売っている」と捉えられても仕方ないですよね。最終審判ではプラトンたちから借りるからと罰金刑も提案しますが(弟子から取んなよw)時すでに遅く、死刑宣告が為されます。

己が信念を貫くということ

どうしてソクラテス先生は助かろうとしなかったのでしょうか。

本書の中盤で、ソクラテス先生は以下のように言っています。

”もっともこういう人があるかも知れない。「ソクラテスよ、君は今現にそのために死の危険を冒しているような職業を職業とする事を恥辱とはしないのか、」と。しかし私はその人に対して、正当な理由をもってこう答えるであろう。「友よ、君のいうところは正しくない。君がもし、少しでも何かの役に立つほどの人は生命の危険をこそ考慮に入れるべきであって、何を為すに当たっても、その行為がはたして正であるか邪であるか、また善人の所為であるか悪人の所為であるか、をのみ考慮すべきではないというのならば。」"

そして古代ギリシャ人の必須教養であった『オデュッセイア』の逸話を例に挙げた後、こう締め括ります。

”アテナイ人諸君、真実をいえばこうなのである。思うに、人はいかなる位置にあっても、それが自ら最良と信じたものであれ、もしくはそれが指揮者によって指定されたものであれ、そこを、危険を冒しても、固守すべきであり、恥辱に較べては、死やその他の如きは亳も念頭に置いてはならないのである。”

そう。ソクラテス先生が頑なに守ろうとしていたのは命ではなく、自らの信念だったわけです。自らの信念は、ソクラテス先生にとって、命よりも重い物だったのです。

真に生きるということ

"人間の最大幸福は日毎に徳について、ならびに、私が自他を吟味する際それに触れるのを諸君が聴かれたような所他の事柄について語ることであって、魂の探求なき生活は人間にとり生き甲斐のなきものである。"

この箇所を読んだ時、コードギアスファンであれば、ルルーシュがC2の眼前でこめかみに銃を突きつけるあのシーンを思い出すこと必至でしょう。

”俺は、お前に会うまでずっと死んでいた。無力な屍のくせに、生きてるって嘘をついて。何もしないない人生なんて、ただ生きてるだけの命なんて、緩やかな死と同じだ。”

ソクラテス先生にとっても、己が信念の下に生きれないなんてことは、死んでいるも同然だったのでしょう。だからこそ、先生は死を選んだ、僕はそう解釈しています。

我々がこの本から得られることは何か?

ここまで長々と本の中身を紹介させていただきましたが、結局のところ僕たち現代人がこの本を読む価値はどこにあるのでしょうか?私見ながら3つ挙げさせていただきます。

1.たった56ページで「無知の知」ハラスメントを防げる

「マズローの5段階欲求で言うと...」このフレーズ、よく聞きません???絶対マズロー読んでないような人にかぎって使いたがりますよね???あれなんでなん???

でも実際マズロー読むの若干ダルいんですよ。500ページ超えな上に、完読したところでそこまで新しい発見ないんで。笑(こんなこと言うとマズローファンに怒られるので一応断っておくと、『人間性の心理学』は本当に素晴らしい本です。僕も大好きです。スキナーとか踏まえて読むと感動も一塩です。ただ500ページ読んでも5段階欲求ピラミッド以上の発見がないのは個人的にはツラかったっていう...さーせん...)

このマズローほどじゃないですが、「無知の知」ってフレーズもやたら使いたがる風潮あるんですよね、"意識高い系"の人達が。

「うーん、やっぱ無知の知がないよねー?」「このスキームって無知の知踏まえて討論出来てる?」「無知の知レベルのメタ認知、君は出来てる?」的な。

すみませんソコソコ適当に言いました。こう言うフレーズ聞いたことあんまないです(真顔)。でもマジで「無知の知」はボチボチ出てくるフレーズなんですよね。有名なんで。なので登場した時は是非

「あー、デルフォイの神託ね笑」「はいはい、弁明ね。マジ名著。」

とカマしてやりましょう。岩波版でたった56ページに過ぎずとも、破壊力は抜群です。大抵読んでないんで。

もし読んでいる上にプラトンオタだった時のことも踏まえて、『国家』ぐらいは追加で読んでおいても損はないかもしれませんね。でないとカウンター喰らわせたつもりのコッチが爆死不可避なので。笑 

そんな人の為に次回かその次ぐらいは『国家』について解説させていただきますね!読んでね!←

2. たった56ページでプラトンの代表作が読める

職場だろうが合コンだろうが聞かれることランキングベスト5に入るであろう「趣味」。とりあえず読書とか音楽鑑賞とか言っておけば無難に過ごせるしなんとなく知的に振る舞える今日この頃。

ですがそこに待ち構える恐るべき罠、「へー!どんな本読むんですかぁ!?」

いやちげーんだよ。こっちは無難に終わらせてえからそういう趣味にしといたんだよ。僕みたいなスーパー陽キャでもない限りはそう思うこと必至だと思います。ではそこでカマしてやりましょう。

「色々読みますけど、最近だとプラトンですかね.... 」

嘘ではありません。たったの56ページしか読んでいないわけですが、嘘ではありません。そう、間違いなく、プラトンの代表作の1つを読みきっているわけです。たったの56ページしか読んでいないなどと夢にも思っていない相手は、これだけでもう話題を切り替えること必至です。

それでもやはり、運悪くプラトンオタに当たることもあります。やはり保険として『国家』ぐらいはおさえておいた方が良さそうですね。

そんな人の為に次回かその次ぐらいは『国家』について解説させていただきますね!読んでね!←(2度目)

てか真面目な話、この本に描かれるソクラテスの姿は、プラトンの思う理想の人間そのものを表象していると僕は思います。イデア論など中期以降の重要なプラトンの概念がまだ立ち現れていないといえども、いつだって彼の理想の人間像は、『ソクラテスの弁明』で描かれるソクラテスその人だったことでしょう。

ホワイトヘッド曰く、「西洋哲学の全歴史はプラトンの膨大な注釈である」とまで言われた大哲学者の重要な関心事が、たったの56ページで学べるなんて、コスパの鬼ですよね?

3. たった56ページで人類史トップクラスの人生を学べる

伝記というのは物にも寄りますが、ソコソコ長いのが常です。僕が人類史で最上の尊敬を払うカエサルのなんかは、塩野七生さんの書いた物でいうと1000ページ近くあります。まあ意味不明なぐらい面白くて二晩で読みきったので、どれだけ長くても問題なかったわけですが。

僕がカエサルに軍配を挙げたところで、恐らく世間一般ではソクラテス先生の方を推す人が多いという現実の中で、その大偉人を最もよく現すエピソードが、たったの56ページで読めてしまうわけです。いや、マ・ジ・で、コスパ良過ぎません?むしろどうして読まないんですか?騙されたと思って読んでみましょ?短過ぎて騙されたとかわからへん内に終わりますよ?一旦読みませんか?あ、空気読めへんやつの話は聞きたない?じゃあやめといて正解だと思います。

ですが本当に、たったの56ページでこんなに厨二病な人生を知ることができるなんて最高です。熱量が足りてない人は是非読んでみてください。

てなわけで、本当に『孫子』レベルのコスパを誇る本なので、是非読んでみてくださいな!γνῶθι σεαυτόν!(汝自身を知れ!)

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