見出し画像

長くVtuber活動をやっているとキャラに人格が喰われるという話


近年、日本文化の学術研究で一番ホットなのがVTuber研究なんですが、人間は自らが被るペルソナの影響を受けるので(例えば警察官は日常生活も警察官的な視点と振る舞いになっていく)、vtuberのイデアル(理想)の姿に引っ張られる形で自我が変容するという研究、面白いので注目されてほしい
これは昔から指摘されていること、ユングのフロイト批判点でもある。自我が行動を起しているのではなく、人間は行動によって自我が形成、成長するという論点。善行を行っていれば心優しくなるし、悪行を行っていれば残酷になっていく
上記に関しては、山野弘樹「VTuberの哲学」(春秋社)、VTuber研究論文集「VTuber学」(岩波書店)ご一読お勧め。VTuber(の中の人)はVTuber(Vの姿)を演じることでそのVTuberの姿にあった内実そのものになっていくという変容の論点凄く面白い。ぺこーらはぺこーらを演じることでぺこーらそのものになる
余談だけど、昨日、姫森ルーナさんの配信みていたら、新人ぽい人が「ルーナイトになりたい」って言って、「ルーナイトになりたいと思ったとき既にルーナイト」と返されていて、面白すぎた。まさに山野弘樹「VTuberの哲学」で書かれていたことの実践(倫理的アイデンティティ形成)を見てしまったぜ

mofure@kemohure

Vに限った話ではないが、役者さんがキャラに飲まれて性格とか喋り方が変わったというのは割と聞くパターンだ。

この記事では「主権を自分ではなくキャラクターに奪われてしまって、キャラクターとしての自分を拒否する気持ちが大きくなり、生活に支障をきたすこと」「キャラクターに喰われる」としている。

最近では大手Vtuber事務所、ホロライブのメンバーの体調不良による相次ぐ休止が注目されたが、たぶんこれも答えの一つにあるんじゃないかと思う。

メタバースという言葉が流行り始めたとき、「理想のアバターで精神を解放」という決まり文句が飛び交っていた。しかし、現実世界でのコンプレックスを克服するために理想のアバターを求めることは、必ずしも有効な手段とは言えないのではないか。むしろ、理想と現実のギャップから新たなストレスや不安を生み出し、精神的な負担を増大させる可能性も孕んでいる。

アバターを通して自己表現やコミュニケーションを楽しむ一方で、理想のアバターになってもコンプレックスの克服にならないばかりか、反ってメンタルが悪化してしまうのではないか、というメタバース批判の精神的な影響についても冷静に考えることが重要だろう。

Vtuberの活動者にかかわらず、一般の人もいえることだけど、多くの人間は社会で自分の素顔を隠してアバターでRP(ロールプレイ)をして活動をしている。

RPとは端的に言えば「なりきり」のことだ。

心理学ではこの「なりきり」のことを指して、男女の間であれば女を演じるとか、会社の中であれば上司を演じるとか、世間から求められた役割のことを総じて「ペルソナ」(直訳すると仮面)と呼んでいる。

vtuberに夢を見る女性活動者の多くは、容姿や体型にコンプレックスがあって、何らかの加工やアバターを造って周囲から評価を得ようとするケースが多いわけだけど、それは「本当の自分の評価」ではなく、あくまでRPを通じたペルソナ(仮面の人格)が受けた成果だから、ファンが求めるキャラクター像を上手く演じられるようになったとき、ふとモニターから離れて鏡の顔をみると、自分の素顔に耐えられなくなって、アバターや加工した顔面に近づけるために、頂いたスパチャで整形に走る、という話を聞いたことがある。

未成年の「心の美容整形」


気になったのは小中学生を対象にしたアンケートで「なりたい職業」のうちvtuberが過去最高の人気になった、というニュースがあったことだ。


仕事とプライベートを切り分けられる社会人とは異なり、自我が確立していない若者ほどオンオフの切り替えが難しいから、自我境界が曖昧になってメンタルがやられやすいのではないか、と危惧している。

特に人気配信者を目指そうと長時間配信に精力的になるほど、そのキャラクター像に引っ張られやすい傾向にある。

「喰われる」のは活動者だけではない。ルーナイトの例も挙げられていたが長時間配信を追っているファンも同様、続けていくうちにペルソナの雰囲気に飲まれていく傾向にあると思う。余所の界隈からみたら「なんだこれ」という違和感があるんだけど、ファン同士だと気が付きにくい。

それとコメントにあるけど、休止が多くてメンタルが病みやすいのは若手のホロメンに多い気がする。社会人経験のあるベテランのストリーマーにこういうメンタル系の話はあまり聞かない。Vtuberが一大ビジネスとなって周囲の評価を気にするか否かが差となっているのだろうか。それとも家族や恋人の有無といった周囲の人間関係もメンタルに左右されるのかもしれない。

SNSでのフォロワー獲得や承認欲求を満たすため、理想的な自分像を演じ続ける行為は、いうなれば「心の美容整形」である。周囲の期待に応えようと、本来の自分を覆い隠して、偽りの仮面を被り続けることで、真の自分と向き合う機会を失い、やがてはアバターの人格に支配されて自分が「喰われて」しまう。心が美しくなるということは、一見魅力的に思えるかもしれないが、その裏には自己喪失という深刻な問題が潜んでいる。

【推しの子】で「嘘はとびきりの愛だ」という台詞があったけど、アイは”偽りのアイドル像”を自覚してステージに立っていたのと、ペルソナを剥がした双子のルビーとアクアの存在があったぶん、まだマシといえるのかもしれない。

バーチャルアイドルの世界は、まるで「お面」を被って遊ぶようなもので、お面を被ると、誰でもかっこよく、可愛く見えるけど、お面を外すと、やっぱり元の顔に戻っちゃう。

その反動からか、最近はガワのRPを脱いで自分の素をアピールしていくというVtuberの脱Vtuber化みたいな現象がおきて、「Vtuberの定義」が再議論されているのも興味深い。

敢えて理想の仮面の人格をインストールするというハックもあるかもしれないが、だれもが釈迦やキリストになれるはずもない。

長く活動する上で大切なのは、お面の下の自分の顔を受け入れることなんだろう。


いいなと思ったら応援しよう!

HIROKI
よろしければサポートお願いします!<(_ _)> いただいたサポートはクリエイター活動に使わせていただきます!