人生と冤罪と下剋上#010
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2019年11月の逮捕から約3年。
第三回公判(罪状認否)から約1年7ヶ月という長期の期日間整理手続を終え、2022年1月18日から本格的に私の公判が進行してゆく。
公判の模様は事細かに描写はしないが、私が罪に問われていたような、共犯者なき少額窃盗事件としては異例の、19人もの人間が証人として出廷する長期の公判期日だった。
当時私の事件を扱ったとされる警察官らは警視庁新宿署から奇妙なことに全員飛ばされており、証人尋問をしていても肝心なところは
「記憶にありません」
「ちょっとわかりません」
「、、、、、、、、、、、、」
という体たらくだった。そのくせ、検察官からの質問にはびっくりするほど詳細に、本人曰く【鮮明な記憶に基づく事実】を淡々と喋り続ける。そうして、検察官が描く立証ストーリーに沿った完璧な証言を積み重ねてゆき、反対に私達の反対尋問には、わからない、知らない、記憶がない、で逃げ続ける。
そんなに何回も裁判を受けたことがないから分からないが、明らかにおかしい事実はたくさんあるのに、これは流石に看過出来ないんじゃないか、しっかり現実を見てくれるんじゃないかと、どこかで淡い期待を持っていた自分がいた。しかし、実際に裁判が進行していくなかで、真実が埋もれ、事実が歪曲されていき、なにがホントか嘘か分からなくなっていった。そうして、あるべきものを隠し、ないはずのものを引き出し、裁判官は誤判に至った。
第一審判決は懲役2年6月。
野澤裁判官は、途中、血痕についての尋問の中で、一般人の証人が述べた
【朱肉のような赤色でした】
という発言に強い興味を持っており、野澤裁判官ならあるいは、、と私達は俄に期待したが、任期の問題なのか、圧力をかけられでもしたのか、野澤裁判官は審理の途中で私の公判の担当を外れることになった。検察官も4人目の交代となり、当初は一人だったのが公判が本格的になろうとする時には2人組になっていた。これも、少額窃盗事件ではそうそう起こらない事態といえる。どこか相手方も緊張感を持っているように思えた。
無罪を争う否認事件においては途中で合議体に切り替えられると無罪になる可能性が高まると言われるが、私の場合は最後まで一人だった。
私を裁いた鎌倉正和裁判官は、判決で
仮に血痕ようのものの発見から採取に至る過程に不適切、不適正があったとしても、DNA鑑定結果の信用性は揺らがないし、捏造の可能性もない。
と、述べ、私達が繰り返し訴えた侵入経路であるSビル入口の防犯カメラ映像の不存在という怪奇には一言も触れなかった。なぜなら、触れてしまえば無罪にするしかなくなるからだ。
そうして、極めて恣意的で不条理な、気の遠くなるような長期の第一審公判は幕を閉じた。