人生と冤罪と下剋上#011
閲覧頂きありがとうございます🙇HIROKIです。
第一審が終わり、私は全ての気力を失っていた。拒食なのか過食なのか分からないが、3日間飲まず食わずの日もあれば、狂ったように1日中食べ続けた挙句、血反吐を吐くまで嘔吐する日もあった。悲しみ、怒り、悔しさ、そういった感情は一切無く、ただただ母や友人達に申し訳ないという気持ちで一杯だった。
さしあたっての問題は、一審判決を不服として控訴するか否か。控訴の申し立ては一審判決から14日以内。悩んだ末、私はもう一度闘うことに決めた。
と、なると弁護人を誰にするか。私は押田朋大弁護士に続投してもらうことを望んだが、押田朋大弁護士は言う。
「基本的には一審と二審では弁護人は変えた方がいい。というのも、二審で一審をなぞるような主張をしても排斥されるだけ。私は長い間この事件と関わってきて自分の中で完全に主張が固まってしまっている。私は一審で全てを出し切ってしまったから、新たな主張が思い浮かばないし、私では力不足。」と。
正直に言えば、押田弁護士ならやってくれるんじゃないかという気持ちも少なからずあったが、出来ることは出来る、出来ないことはやらない、という押田弁護士の人間として真っ直ぐなところが私は大好きだった。そういうことなら仕方がないな、と私と友人たちは新たな弁護人探しに奔走することになる。
ちなみに家族や知人が逮捕されてしまって弁護士が必要だ、という場合、今のご時世インターネットから探すことが多いと思いますが、当該法律事務所のホームページに刑事弁護の取り扱いもしている、とか書かれていても、過去に取り扱った事例の端緒から結論までが書かれていないような法律事務所は十中八九、刑事弁護人として使い物にならないので気を付けた方が良いと思います。反対に、刑事弁護の実力があるところはしっかりとその実績が記載されているはず。
私たちは右も左も分からないまま、控訴審を引き受けてくれる弁護士を探し始めた。
最初に当たりをつけたのが東京ディフェンダー法律事務所の坂根真也弁護士だった。この弁護士は大阪で私が付き合いのある弁護士さんからの紹介で、刑事弁護ならこの人にしなさい、と言われ、私はすぐさま事務所に手紙を送り現状を伝え、接見を申し込んだ。すると、坂根弁護士は「近日中に伺います」と返信をし、接見予定日に訪れたのは坂根弁護士ではなく、同事務所の新人弁護士、開原早紀弁護士だった。その時点で「ここはないな」と思いつつ一通り話をしようかと思った矢先、
「ところで、110万円持ってますか?坂根先生から確認するように言われてるので、、」と。
言わずもがな、着手金はその案件によって値段が上下するもので、一応の相場はあるが定価というものは存在しない。そもそも話を聞く前から金額を提示するとはどういう了見なのだろうか。110万円を払ったとして、その金をドブに捨てる未来が容易に想像できたので私は接見を途中で打ち切り引き上げた。
次は友人たちが相談に赴き、一応前向きな反応を見せてくれていたという、ピープルズ法律事務所の森川文人弁護士。結論から言えば森川弁護士は接見に来ることすらなく、手紙で「私には出来ません」と伝えてきて話は終わった。友人たちには申し訳ないことをしたが、この弁護士を就けなくて良かったと思う。
控訴審は、控訴趣意書を期日までに出さなければ自動的に控訴が棄却され、一審判決が確定してしまうという制限がある。私には残された時間がなく、日毎焦りと苛立ちが募っていった。そんな中、最後の頼みの綱として紹介されたのが戸舘圭之法律事務所の戸舘弁護士だった。この弁護士は最近57年の時を経て逆転無罪判決を勝ち取った袴田事件の弁護団の一員として知られる。冤罪事件を争うことにおいてこれ以上の適任はいないと思われた。が、、、
接見はドタキャン、連絡は取れない、話は通じない、金の話ばかり、一言で言って刑事弁護人としての能力を疑うような弁護士だった。私は戸舘弁護士に早々に見切りをつけ、着手からわずか2週間足らずで辞めてもらった。後に聞いた話だが、私と同じように一縷の望みをかけて戸舘弁護士に依頼した被告人たちは「この弁護士にしたのは失敗だった」と口を揃える。戸舘弁護士はSNSもやっているようだが、クライアントの連絡も返さずインスタグラムで聴くに堪えない自撮り弾き語りを載せたりなんかもしていて、戸舘弁護士に依頼した被告人やその身内は呆れてものも言えなかったという。
そんなこんなでどの弁護士もまるで話にならなかったから、私は国選弁護士を就けることにし、控訴趣意書を自分で書き上げることにした。そもそも、自分の人生がかかった裁判の成り行きを弁護士という他人に委ねるということが違う気もしたし、人任せにして失敗して後悔するなら、自分の知識と思いを全てぶつけた方が、勝っても負けても納得出来るような気がした。
私は一審の期日間整理手続が始まった頃から本格的に法律の勉強を始めていた。当時の自分は、この先自分の裁判がどのような帰趨を辿るか分からない。ただ、勝つにしろ負けるにしろ、それがどのようなプロセスを経て、どのような主張や表現を用いて、そしてどのような評価がされ、判決に行き着くのか、自分に正確な知識がなければ何も分からない。その理由をただただ私は知りたかった。その為には法的知識を習得することは避けては通れない道だったのだ。本当は、一審で敗訴すれば私は自殺するつもりだったので控訴審を争う気なんてさらさらなかったが、やると決めたらやる、最後まで不恰好でもいいから全ての思いをぶつけて私は死ぬ。そんな覚悟で日々を過ごしていた。
そんなこんなで、法律の勉強をしていたから私に控訴趣意書を書き上げるだけの能力は備わっていた。しかし、論理的に主張をまとめることは出来ても、実際のところ裁判所としてはどこに着目し、裁判所に響くような効果的な書き方をすれば良いのかは分からない。
そこで、私は控訴趣意書の草案を書き上げ、押田弁護士と、友人たちが見つけてきてくれたコレクトアーツ法律事務所の戸塚史也弁護士(イケメン)にそれぞれ2回ずつ、個別に報酬を支払いスポットでアドバイスをもらい、なんとか期限までに控訴趣意書を書き上げた。