人生と冤罪と下剋上#012

閲覧頂きありがとうございます😊HIROKIです。

これから控訴趣意書(原文ママ)を書き起こしますが、とても長いので興味のある方以外は飛ばして下さいm(_ _)m

控訴趣意書


上記被告人に対する頭書被告事件につき、控訴の趣旨は下記の通りである。

第一
ア、原判決には、憲法31条の定める適正手続きの保障に反する違法がある。
イ、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続きの法令違反の違法がある。
ウ、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認の違法がある。
エ、原判決の量刑は、重きに失して不当である。

第二
原判決には、憲法31条の定める適正手続きの保障に反した違法がある。

犯罪捜査規範は、刑事裁判における証拠収集のルールについて厳格に定めているものである。したがって、そのルールに反していれば証拠として不完全で、証拠として採用されるべきではない。なのに、刑事訴訟法には犯罪捜査規範に反した証拠を排除しなければならないという規定はない。原判決は、証拠能力を肯定している。だとすると、不完全な証拠による刑事訴訟を原判決は許していることになり、憲法31条に反した違法がある。

第三
判示第2の事実における、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続きの法令違反の主張(刑事訴訟法第379条)

血液やDNA鑑定というものの証拠価値は極めて高く、ひとたびそれが証拠として出されれば、有罪方向に推認力が強くはたらく。それゆえに、DNA資料等の遺留物については、発見からの領置手続き、採取、保管、鑑定、それぞれのプロセスにおいて、慎重な適正手続きを経て証拠化されたうえで、はじめて証拠として提出されなければならない。憲法31条は、適正手続きの保障を定め、捜査手続もこの憲法の規制をうけるのであるが、捜査機関は時として違法な手続きによって証拠収集を行うことがある。しかし、このような証拠収集によって得られた証拠に基づいて裁判所が審理することは、その違法行為を引き継ぐことになって司法への信頼も損なうことになるし、憲法の予定する適正手続きにも反することになり(適正手続違反)、更に、そのような違法捜査を抑制するためには、それによって得られた証拠の証拠能力を否定するべきである。このような理由から、憲法違反、その他重大な違法手続きによって得られた証拠の証拠能力は否定されるべきである。
原判決は、判示第2の事実についての判示のなかで、
「関係証拠によれば、同机左側の引き出し表面に血痕ようのものが付着していたことが認められる」と判示するが、この血痕ようのものとされるものは、血液ではなかった疑いがある。その証拠は後述する通りであるが、血痕が仮にあったとしても、この血痕ようのものを巡っては、重大な憲法違反及び犯罪捜査規範の違反がある。本件においては、領置手続、すなわち、血痕ようのものを発見してから領置するまでの証拠化において、重大な違反があることは弁論においても指摘しているが、原判決はこれを見落としている、あるいは考慮していない。これは、重要な事実であるから再度指摘する。

犯罪捜査においては、証拠の収集や捜査手続に関する適正かつ適切な手法を、将来の公判に耐えうるように犯罪捜査規範という形で厳格に定めている。犯罪捜査規範第110条2項では
「前項の領置については実況見分調書その他によりそのものの発見された状況等を明確にした上、領置調書を作成しておかなければならない」と明確に定めている。しかしながら判示第2の事実においてはそのような証拠は存在していない。たまたま書き忘れた、という過失の可能性もない。なぜなら、捜査主任である引地秀徳警部補は「犯罪捜査規範や警察官職務執行法に基づいて今回の捜査も行われている」し、「それは自身(引地)に限らず他の捜査員も同様」である旨明確に法廷において証言しているのであり、また、血痕ようのものを採取したとされる長谷川忠克も、「犯罪捜査規範で定められていることには当然注意している」と証言しており、引地秀徳はじめその場にいた警察官らは

犯罪捜査規範の存在を明確に認識していながら、意図的に遺留物が発見された状況等を明確にした記録を残さなかった

のであり、その結果、この血痕とされるものが、いつ、どこで、誰が、どのようにして発見されたのかという、いわば証拠を証拠にするためのスタート地点が全く判然としないという事態になっている。ましてや、当該血痕と称するものは、守ビルの看守者Kが「事務所のなかでぼうっとしてた時、ちょうど私、正面から見て左側に引き出しがあるんですけれども、そこに血痕らしきものがあったので」「警察の方に血痕らしきものがあります、という報告をしました」と証言している。そうすると、

血痕らしきものの存否を一般人から申告されていたにもかかわらず、実況見分調書に記載するなどの適正な捜査手続きをとって適切な証拠化をしていなかった

のであり、引地秀徳をはじめとする現場に臨場した警察官らの規範意識は鈍麻しているという他ない。証拠の証拠化において、このような重大な犯罪捜査規範違反、つまり捜査の違法(憲法31条適正手続違反の違法)が裁判手続に引き継がれており、違法手続に密接に関連した本件血痕ようのものに関する全ての証拠を、証拠として許容することは、将来における違法な捜査の抑制の見地からしても相当でないから、当該証拠の証拠能力は否定され、証拠から排除されるべきなのに、原判決は違法が明らかな血痕の存在を認め、そこから派生する血痕ようのものに関する密接的関連性を有する証拠の証拠能力を認め、証拠として採用し、有罪認定の根拠としたことは、憲法31条の定める適正手続きの精神を没却するものであり、判決に明らかに影響を及ぼす訴訟手続きの法令違反がある。

判示第2の事実で血痕と認められたものは偽造(捏造)である疑いがある。現場に遺されていたとされる血痕ようのものが偽造であることを疑わせる所見は以下の通りである。

1、発見された血痕ようのものは血液ではない可能性があること。

原判決は「(血痕の)その色が赤すぎるとしても、警察の捏造を疑わせるものではない」旨判示するが、血液は一般論として、血中に含まれるヘモグロビンの酸化作用によって、時間経過に伴って黒っぽく変色していくものである。しかしながら、判示第2の事実の現場から発見されたとされる血痕ようのものは、付着(犯行時刻とみられる)から、採取まで約7時間以上もの開きがある。

    これが本当に血液ならば


7時間という時間の経過により、黒っぽい赤色に変色するはずである。ところが、血痕ようのものの写真をみると、その色調は鮮やかな赤色である。写真だけでなく、血痕ようのものを発見したKも、血痕ようのものの特徴につき

「まず赤で、もしかしたら引き出しの中に朱肉をしまっていたので、その朱肉が誤って付いてしまったのかな、と思うような、朱肉に似た赤色」

である旨述べている。つまり、血液ならば起きて然るべき自然反応が見られないのであり、論理則、経験則上このようなことは起こり得ない。したがって、血液ならば7時間以上も経ってなお鮮やかな赤色を保つということはあり得ないから、この血痕ようのものと称するものは、血液ではない合理的疑いがある。

2、血痕ようのものの遺留状況について

判示第2の事実の現場に遺されていたとされる血痕ようのものは、事務所内の引き出しに数mm程度、ごく少量付着しているのみであった。仮に、血痕が本当に発見されていたならば、これは決定的証拠であるから、1箇所から血痕が検出されれば捜査員は他にも血痕の遺留がないかどうか必死になって探すはずである。にもかかわらず、血痕の遺留が、1箇所から、ごく少量のみしか検出されなかったという状況は経験則上、あまりに不自然である。そして犯人は、器用に飛散防止ガラスのような金網の入った強化ガラスを、こぶし大の大きさに局所的に割っている。このようなことは経験則上困難であり、その割り方を見るに、犯人は、何らかの道具を用いて非常に慎重に割っていることが推察される。そして、血痕ようのものが仮に本当に犯人のものならば、ガラスを破る際、或いはカギを開けようとして中に手を差し入れた拍子に誤ってガラスで手を切ったのではないかと考えられる。しかし、このように慎重に犯行に及ぼうとする犯人が誤って手を負傷したのであれば、通常は犯行を断念するのではないだろうか。いうまでもなく、血液という重要な証拠を現場に遺してしまうからである。ケガをしてまで無理に犯行に及ばなければならなかった事情(例えば、この日の、この時間、この場所でしか犯行実現機会がなかったとか)があるのなら格別、犯行場所は何の変哲もないプレハブ小屋であり、金品狙いの犯人が犯行場所として選ぶには不適切とさえ言える。ともかく、ここで犯人がケガをしながらも犯行に及んでいれば、犯人が触れたあらゆる箇所に血痕が付着するはずである。しかしながら、犯人が確実に触れたと思われる窓のカギ部分、手提げバッグ、財布などには血痕は付着していなかったとKは述べる。そして、関係証拠からも事務所内の引き出しにしか血痕とされるものの遺留は認められない。また、現場に血痕が遺されていたのならば、証拠からして犯人が手袋をしていないことからすると、犯人は素手で犯行に及んだ、或いは手袋をしていたがその手袋を突き破るほどの勢いで負傷したということになる。だとすれば、素手であれば現場から犯人、原判決のいう被告人の指紋も検出されているはずだが、その事実はなく、手袋をしていた上で負傷をしたのならば、経験則上血痕の遺留はもっと多量かつ広範囲に及んでいるはずである。手袋をしていても、していなくても現場の状況と実際の証拠とが整合しない。したがって、血痕の遺留状況からもこの血痕ようのものが捏造であることを疑わせる。

3、捜査員には捏造動機があること

新宿警察署の盗犯係の捜査主任で盗犯捜査に10年以上携わっている引地秀徳は、階級も警部補と組織内でも上位で、立場のある人物である。そして、警察官という職業柄正義感もつよく、一人の犯人も逃がしてはならないという強い職業意識をもって職務にあたっているはずである。また、警察には厳しいノルマや目標が掲げられていることは夙に知られていることであり、その強い職業意識が時にはいきすぎたり、ノルマを達成するために時には違法に手を染めてしまう警察官はいつの時代も一定数いるのであり、過去に警察官の違法捜査を題材にした映画は話題を呼んだ。
ところで、公訴提起された3件のうち、2件は新宿における連続窃盗事件であるが、実は事件化されていないもうひとつの事件がある。これがピースビル事件であり、全ての事件はこのピースビル事件を端緒として始まっている。
平成31年4月15日午前3時46分頃、新宿3丁目のピースビルというビルから110番通報を受け、現場に駆けつけた川口拓也らが、ピースビルから出てくる男の姿を認め、職務質問を開始した。そしてこの時引地もピースビルの現場に臨場しており、引地はおそらく立会人とともに現場であるピースビル9階のバーにおいて見分などを行っているとみられる。一方、ピースビル1階付近では前述の通り職務質問を実施しており、犯人と思しき人物は被告人と同一名義の健康被保険者証を提示し、名を誤って

ホリグチユウキ

と名乗ったのちに現場を離れてしまった。そして、引地によれば「110番通報の状況で当日に容疑者として堀口くんの名前が浮上」していたのであり、ピースビル事件が発生した時点から被告人が犯人であるとの見込みを持っていたことが推察される。犯人を職務質問までしておきながら取り逃がしたとなればそれは大変な失態である。盗犯捜査の捜査主任が現場臨場していながら、犯人を取り逃がした責任は大きい。そして同日午前6時頃、判示第1の事実の犯行現場であるワールドビルからも110番通報があり、引地はここにも臨場し、判示第2の事実の現場である守ビルの被害を認めたのは午前7時頃であり、ピースビル事件の犯人と同一と思われる連続窃盗事件へと事態は発展してゆく。立場ある捜査主任である自分が連続窃盗犯の逃走を許したとなれば確実に自分が白い目で見られる。引地は焦り、なんとしてでも被告人を検挙しようと考えた。が、

現場には犯人検挙の決め手となる証拠は存在していなかった。

そこで引地は、被告人を逮捕するために証拠の捏造を思いつき、その実行を決意した。そして、それを実行に移すまでには十分な時間があった。

4、時系列からみた血液捏造の可能性

時系列を整理してみると、事件が起きた順番は、判示第1の事実が起きた午前3時12分頃、判示第2の事実が起きた午前3時30分頃、そして午前3時46分頃に起きたピースビル事件、という順序となる。判示第2の事実の現場である守ビル屋上事務所に血痕ようのものの遺留があったとされる。だとするならば、

守ビル事件が起きた後に起きたピースビルからは血痕ようのものは検出されていないのはなぜなのか。

これは、経験則上極めて不自然な状況であると言わざるを得ない。また、当時ピースビルには立会人がおり、判示第1の事実の現場にも立会人がいた一方で、判示第2の事実の現場である守ビルに捜査員が立ち入ってから立会人であるKが到着するまでには2時間近くの開きがあり、その間に判示第2の事実の現場の事務所扉が開放状態であったことは引地も認めている。すると、捏造行為を最も簡単に行えたのは判示第2の事実の現場である守ビルということになる。

だからこそ、判示第2の事実の現場でのみしか捏造行為は行えなかったため、判示第2の事実の現場から血痕ようのものが検出されたとされている一方で、その後に起きたピースビル事件の現場からは血痕ようのものが検出されていないという不合理な状況が生まれているのである。これにつき原判決は、「現場の実況見分すら終了していない段階で直ちに血痕ようのものを捏造することは考え難い」旨判示するが、前述の通り、ピースビル事件が起きた時から事件捜査に関与していた引地には、捏造を思いつき、その捏造行為を実行するまでには十分な時間的余裕と機会があった。引地としてはむしろ、立会人が来てからでは捏造行為は困難になるので、Kが到着し、実況見分が始まるまでに捏造行為を行う必要があったために、捏造行為はKが到着するまでに行われたと考えた方が自然である。なぜなら、Kが到着してから捏造行為を行ったのであれば、その行為が見咎められる可能性があるから危険であるし、もうひとつは

木村に捏造した血痕を発見させる必要性があったからである。

引地ら捜査員に捏造動機があることは既に述べた。引地らにしてみれば、将来の公判において、この捏造された血痕について争いが起きるのは自明である。そうすると、捏造動機のない第三者の証言を公開の法廷で得られれば、その信用性は極めて高くなる。だから、何ら利害関係のない一般人の証言を得る必要があった。実際、検察官は論告において、弁護人らの血痕は捏造であるという弁論への反論として、「血痕の第一発見者で、血痕採取の立会人である前記Kは、被告人と何ら利害関係のない第三者であり、被告人を陥れる動機が存在しない」と述べ、血痕証拠の正当性を主張した。捜査機関は、まさにこの主張をすべく一般人であるKを巻き込み捏造した血痕を発見させたのである。このように、事実関係を丁寧に詳らかにしていけば、なぜ血痕ようのものは判示第2の現場から発見されなければいけなかったのか、なぜ実況見分の前に捏造行為を行わなければならなかったのか、その必要性や必然性が明らかとなるのに、事実認定者たる原審裁判官は、真実を見極めようともしなかった。したがって、原判決の述べる、「実況見分すら終了していない段階で捏造行為を行うとは考え難い」という趣旨の判決は、事件の構造を正確に把握できておらず、事実関係も正確に認識できていないものであり、その論理には飛躍があると指摘せざるを得ず、公判廷において顕出された諸事情を無視した原判決の判示は、論理則に照らして極めて不合理というほかなく、その所論は完全に失当である。
以上、1〜4の所見に照らせば、現場から検出されたという血痕ようのものは血液ではない疑いがあり、また、遺留状況も極めて不自然であったことに加え、捜査員らには捏造動機がある上、事件の時系列と捏造行為には密接な関係があり、捜査機関の提示する犯人像と、実際の証拠とが全く整合しないことからすると、この血痕証拠が偽造されたものであると言う他ない。したがって、原判決が、

偽造された血痕を偽造されていないものと思い込み、その証拠能力を肯定した上、証拠として採用し、有罪認定の根拠としたことには、原判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続きの法令違反が存する。

第四
判示第2の事実における判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認の主張(刑事訴訟法第382条)

判示第2の事実において、原判決は「関係証拠によれば・・・・・・同机左側引き出し表面に血痕ようのものが付着していたこと」を認定する。が、ここには事実誤認が存する。なぜなら、前記第三で述べたように、本件血痕証拠は犯罪捜査規範の定める実況見分調書その他のによってそのものの発見された状況を明確にするなどの適正な手続を経て証拠化されていないからである。したがって、血痕ようのものが真実、そこにあったのかが分からない。そして、元々そこにあったのだということも一切立証されていない。公判廷において、証人らの証言によって立証されたかのようになっているが、証言らが口頭で、それも三年前の出来事を語るだけでは証拠として不十分。したがって、血痕が元々そこにあったのだということを客観的に裏付ける証拠がない。つまりは証拠不十分であり、そのような不完全な証拠を存在していたものとして誤認し、是認して判決へ導いた原判決には、事実誤認の違法がある。

顔貌鑑定における事実誤認
原判決は被告人が平成31年4月15日午前3時30分頃に守ビルから出てきたこと、同3時46分頃までの間に守ビル付近に所在するローソン及びその周辺にいたことが認められると判示し、その根拠として守ビル付近のローソンの防犯カメラに映る人物と、被告人の顔貌鑑定を行い、「同一人であると考えられる」と結論付けた科学捜査研究所職員の宮浦崇の鑑定を挙げる。しかし、この事実認定には誤りがある。本件においては、その鑑定の信用性が問題となる事案である。顔画像鑑定の手法は、形態学的識別法、人類学的識別法、スーパーインポーズ法などが知られているが、宮浦の証言を見るに、顔の各パーツの特徴を挙げて類似している旨を述べていることから、形態学的識別法によって顔貌鑑定を行ったとみられる。同手法においては、画像(映像)に関する専門的知見、人間の特徴に関する専門的知見、統計学に関する専門的知見が必要となる。鑑定資料は、客観的な画像データなのであるから、鑑定における評価や分析において、誰が鑑定を行っても同一の結果がもたらされるような客観的な分析方法(結果の正しさについて検証可能な分析方法)が採用されており、かつ、そのような方法により得られた分析結果についての評価のあり方が主観的ではなく、客観的にみて信用できるということになれば、そこで用いられた分析方法や評価のあり方が客観的、信用性を備えていると言え、初めて証拠として許容されうるものであることについては論を持たない。
ところで、宮浦の証言を見るに、難解な言葉で顔の各パーツを羅列し、それぞれが類似している旨述べるが、その証言はもっぱら主観的感想に終始し、抽出する類似点はいかなる根拠からどのように選定されるのか、特徴点を分類する基準はどこにあるのか(たとえば、もみあげが何cmなら「長い」という評価になるのか)、評価の客観性はどのように保たれるのか、類似性評価の統計学的根拠はどこにあるのか、これらについて客観的基準がない(述べられない)のであれば、それは宮浦が、前述の通り主観的な感想を述べているに過ぎない。したがって、宮浦鑑定につき、
「宮浦は経験豊富であり、そのような同人が、複数部位の特徴を比較した結果として同一人との判断を導いており、基本的に信用することが出来る」との判示は事実認定者としてあるまじき暴論であり、このような客観性や理論的正当性が極めて乏しい宮浦鑑定の信用性には明らかに問題があり、原判決は宮浦が経験豊富である(と称する)ことを過大に評価した結果、信用性の評価を誤った事実誤認の違法がある。

犯行実現性について

原判決は、判示第2の事実の犯行実現性、すなわち実現可能性につき「実況見分の結果によれば、守ビル壁上部には容易に手が届いたし、日没後でも周囲の状況が視認可能であったというのであるから、当時の天候や明るさが実況見分時と異なっていてもさんらくビルから守ビルへと移動することは基本的に可能であった」と認定する。
ところで、本件には直接証拠は存在せず、情況証拠、すなわち間接事実のみから被告人を犯人と推認出来るか、という類型の事件であり、それぞれの間接証拠、すなわち積極的情況証拠から間接事実を認定する段階での事実認定が、消極的情況証拠を容れてもなおその事実認定が何ら揺らぐことのないほどに確実なものでなければならないことについては多言を要しない。判示第2及び第1の事実の犯行が検察官が主張するように果たして実現可能なのかという所論を検討するに際しては以下のA〜Eのような間接事実がそれぞれ証明されたうえで、それぞれが補強し合う関係で順次推認されなければならない。

A、被告人が事件当日、バーでの勤務を終えてから犯行現場に向かったこと。
B、被告人がさんらくビルから侵入したこと。
C、被告人がさんらくビルから守ビル屋上へ飛び移って移動したこと。
D、被告人が守ビル屋上事務所のガラスを破り同所へ侵入したこと。
E、被告人が同所において現金を窃取したこと。

少なくとも、これらの間接事実がそれぞれ証明されたうえで順次推認されなければならない。ところが、第一回冒頭陳述で検察官は明確に、被告人が勤務していたバーでの勤務を終えてから犯行に及んだ旨陳述しているのに、第三回公判においては、Aの事実が立証困難だと判断したためであろうが、Aの間接事実を消去した。そして、Bの間接事実については、都内でも有数の繁華街であるという土地柄、警視庁が設置している防犯カメラをはじめ、死角が無いといってもいいぐらい街中の至るところに防犯カメラが設置されている。したがって、犯人の足取りを追うことは困難ではないのに引地秀徳は、被告人がバーでの勤務を終えた4月15日午後11時半から推定犯行時刻である同日午前3時頃までに被告人がどこで何をしていたか判らないなどと不思議なことを述べているが、それによってもAの事実は潰れる。ところで、本件につき防犯カメラの検索を行った引地、笠原、川嶋、粟野、とりわけ笠原は第8回公判において作成した速記録末尾に添付の図面通り、新宿三丁目付近の防犯カメラの位置や向きまで正確に描写しているところ、笠原は同所付近の防犯カメラの設置箇所について精通していることが認められる。したがって、ここから至近距離にある

さんらくビル周辺の防犯カメラの存在も認識し、把握しているはずである。

ところが、公判廷において、さんらくビル付近を映しているカメラについては「分からない」などと不合理な弁解に終始し、さんらくビルから至近距離の守ビルやローソン付近の防犯カメラの位置や向きについては正確に把握しているのに、さんらくビル入口付近の防犯カメラ映像については一切分からないし、収集すらしていないという笠原証言は、論理則、経験則に著しく反していると指摘せざるを得ない。また、引地は、さんらくビル1階にビルの入口を映している

TUCショップのカメラがあることは知っていたが、その映像は収集していない

旨述べる。これも、論理則、経験則上あり得ない発言である。したがって、Bの事実も潰れることになる。少なくとも、さんらくビルから犯人は侵入したのだと断定しているのに、まさにその入口に設置されている防犯カメラ映像については収集していないという事実は、さんらくビルから侵入したという推論を否定する方向に大きく傾く。そして、Bの事実を否定する合理的かつ消極的事実が存するにもかかわらず、原判決はこれを看過し、AとBを飛び越えてCの事実を認定した。そのうえで、Cの事実が認定できる前提のもとにD、Eの事実も認定したが、この事実認定の過程には飛躍と誤りがある。殊に、さんらくビル入口にある防犯カメラ映像を収集していないにもかかわらず、さんらくビルから侵入したと認定することは論理則に著しく反している。ところで、この、実は犯人はさんらくビルから侵入していないのではないかという消極的事実を容れると、検察官の立証は崩壊することになる。そもそもなぜ、捜査機関は犯人をさんらくビルから守ビルへと飛び移らせなければならなかったのかといえば、ワールドビル、守ビルは事件当時入口が施錠されていて部外者が入れる状態ではなかったと証言されているから、消去法的に誰でも屋上に自由に立ち入れる、隣接するさんらくビルからの移動だと結論付けたにすぎず、確実に移動したといい切れる程の証拠も根拠も捜査機関は持ち合わせていない。そして、そのような乏しい根拠に対して、上記の通り、さんらくビルから犯人は移動していないという蓋然性が高くなってきた。すると、Bの間接事実が潰える以上、その先にあるCの間接事実も共倒れになる。だとすると、犯人はさんらくビルから守ビルへと渡っていないわけで、そうである以上、

被告人の血液が守ビル屋上から検出されるという事情も生じ得ない。

消極的事実は、防犯カメラ映像の不存在だけでなく、弁論でも指摘している通り、当時は雨天で滑りやすく、犯人はスーツ姿であり、当時の視認状況も相当悪かったと思われ、かつ、現場は5階建てのビルであり、ビルとビルの間には転落防止用の設備等も無く、恐怖心を惹起させるには十分な高さである。そのような悪条件下で、検察官の主張を前提とすると犯人は同移動を計3回繰り返しているのであり、そうであればドロだらけの濡れた屋上を3回も往来しているのであるから、犯人の着衣は相応に濡れたり汚れたりしていなければならない。しかしながら、犯人の姿を視認状況が良好なもとで注意深く見ていた中鉢雄志、川口拓也、Yの3名いずれも、犯人の着衣に目立った汚れなどは無かった旨述べる。Yはドロで汚れているどころか、「キレイなスーツを着ていた」と述べ、中鉢雄志は衣服の上から所持品検査を行っていることからすると、やはり犯人の着衣は濡れたり汚れたりしていなかったのであり、すなわち、それは犯行実現可能性を著しく低下させるひとつの合理的かつ消極的事実といえる。
ちなみに原判決は、実況見分の結果、日没後でも周囲の状況が視認可能だったということからしても移動は可能である旨述べるが、実況見分は夕方6時頃に行われており、6時の時点で守ビルとワールドビルの近接箇所、すなわち検察官が移動経路と主張する場所付近は0.66lx(ルクス)と極めて暗く、これだけでも経験則上移動は相当困難であるといえる。加えて、犯行時刻は午前3時頃であり、なおかつ午前1時以降はさんらくビル屋上に光を届けているビルボードの照明が消えるから、0.66lxよりも照度が下がることは明らかである。しかし、犯行時間帯の視認状況については誰も知らないのであり、誰も知らないことを想像で論ずることには自ずと限界があるから、弁護人らは刑事訴訟法に基づく検証をつよく求めたが、原審裁判官は検察官の話に耳を傾けてばかりで、不完全な証拠をもって検証の必要性を斥けた。したがって、原審には審理不尽の瑕疵が存する。
以上のように、積極的間接事実のなかに消極的間接事実を容れれば、犯行実現性には合理的疑いが生じることは明らかであり、犯行実現性を疑わせるだけの客観的事実は相当存在するのに対して、その疑いを打ち消すほどの客観的事実は存在しない。むしろ、その疑いをつよくする事情もある。したがって、犯行実現性が否定されれば、犯人はさんらくビル以外から侵入したということになり、守ビルに入居する各テナントがそれぞれ屋上扉の合鍵を持っていたことからすると、守ビルに自由に立ち入れた人物は相当数いるのであるから、

犯人は守ビルの関係者であった可能性も十分に成り立つのであり

被告人以外の第三者による犯行実現が可能になってしまうことを嫌って、それを打ち消すほどの証拠も根拠も持ち合わせていない検察官は、さんらくビルから守ビルへ渡ったという主張を堅持し、原判決もこれを支持したが、以上のように原判決は論理則、経験則に、反した飛躍のある推論をしている。というより、証拠を精査せず、弁護人の的確な指摘も無視し、検察官の述べる突飛な主張に拘泥して(それしか被告人を犯人にする方法がなかったからである)安直にさんらくビルから守ビルへの移動が可能であると認めた原判決には明らかに事実誤認の違法がある。

第五
判示第3の事実における判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続きの法令違反の主張

判示第3の事実における適正手続違反の違法
判示第3の事実においても、犯行現場から血痕ようのものが検出されたことになっているが血痕ようのものを最初に発見したのはОである旨Оは証言している。しかし、その証言は不自然という他ない。なぜなら「色々見ている時にたまたま見つけ」られるような量の痕跡ではないからである。この他にも、Оの弁解には不合理な点が随所に見られ、それが事件から3年という時間経過による記憶の欠落あるいは補正か、いずれにしてもОの証言は基本的に信用できない。真実、Оが最初に血痕ようのものを発見していたのであれば、警察官浅貝朋宏も、Оから血痕の発見について報告を受けた旨証言するはずであるが、浅貝はОに、ガラスが割られている箇所を教えてもらい、そこで初めて血痕ようのものの発見に至った旨証言しているのである。したがって、これを素直に読めばОから被害現場や箇所の申告を受け、そこを確認した浅貝が最初に血痕ようのものを発見したかのような発言をしている。ともかく、浅貝かОかはさておき、警察官らは血痕ようのものの存在を明確に認識していたことになる。そして浅貝は実況見分にも携わっている。しかしながら、実況見分調書には、血痕ようのものが発見された状況を明確にした記載は一切見当たらないし、その他に血痕ようのものが発見された状況を明確にした証拠、すなわち犯罪捜査規範110条2項に則った証拠は存在せず、遺留物を領置するにあたって必要な適正手続が採られていなかった。血痕ようのものの採取に携わった名執智子も、血痕ようのものを発見した状況についての報告書等は作成していない旨述べている。したがって、判示第2の事実と同様に、ここでも適正な捜査手続が採られておらず、憲法31条違反の違法がみとめられ、警察官らの規範意識はやはり鈍麻していると言わざるを得ない。遺留物が真実、あったのであればそれを証拠化する過程において何ら適正かつ適切な措置がとられておらず、このような重大な捜査の違法、すなわち憲法31条違反の違法が公判廷に引き継がれており、違法手続に密接した関連性を有する本件血痕ようのものに関する全ての証拠を、証拠として許容することは将来における違法な捜査の抑制の見地からしても相当ではないから、判示第3の事実における血痕ようのものに関する全ての証拠の証拠能力は否定され、証拠から排除されるべきなのに、違法が明らかな血痕ようのものの存在を認めたことにはそもそも誤りがあり、そこから派生する密接的関連性を有する証拠の証拠能力を認め、証拠として採用し、有罪認定の根拠としたことは憲法31条が保障する適正手続の保障の精神を没却するものであり、ひいては訴訟手続きの法令違反がある。

判示第3の事実における血痕ようのものは偽造(捏造)である疑いがある。


発見された血痕ようのものは血液ではない可能性があること。

判示第2の事実の血痕ようのものについての所見で述べたように、一般的に、血液は時間経過に伴い黒っぽく変色していくものである。判示第3の事件が発生したのは令和元年10月15日午前3時46分頃であり、当時の実況見分調書を見るに、その実施時間が午後7時頃となっていることから、血液が付着してから警察官らが実況見分を行うまでの間に14時間もの開きがあることになる。これだけの時間が経てば、経験則上、

これが真実、血液であるならば

酸化して黒く変色する。しかしながら、血痕ようのものの写真を見ても、その色調は赤色であり、写真だけでなく、採取に携わった名執智子も裁判官からの「そのときの血痕の色というのはどんな色でしたか」との問いに対して名執智子はしばらく呆然とした後に

「・・・・・・・・・・赤。」

と答え、本件以外にも血痕を採取したこともあり、その時と違うこととしてさらに名執は

「今まで血痕を採取している中には・・・・・・茶褐色だったりしますけども・・・(今回の血痕は)赤。それを見ても赤色だった」

と明確に述べている。したがって、判示第2の事実の血痕ようのものと同様に

血液ならば起きるはずの自然反応が一切確認できないのである。

したがって、判示第3の事実の現場に遺されていたとされる血痕ようのものは、血液ではなかった合理的疑いがある。そして、これらの所見は判示第2の事実の血痕ようのものの状況と酷似している。

血痕ようのものの遺留状況について。
判示第3の事実の現場に遺されていたとされる血痕ようのものは、侵入口である窓ガラスの鍵部分にごく少量付着しているのみであった。仮に、血痕が本当に発見されたとして、これは決定的な証拠であるから、一箇所から血痕が発見されれば、他の箇所にも血痕が付着していないか捜査員らは必死になって探すはずである。にもかかわらず、証拠写真のように血痕の遺留が、ごく少量、ごく一部からのみしか検出されなかったという状況は、経験則上あまりにも不自然である。犯人は、窓の解錠を目的として、鍵の部分のガラスを局所的に割ったと思われる。そして、窓ガラスを破る際、あるいは鍵を開けようとして中に手を差し入れた時にあやまって手を負傷し、出血したと考えられる。経験則に照らせば、手を負傷し、出血した時点で犯人は犯行を断念するのではないかと思われるが、犯人は、犯行を断念しなかった。で、あれば血痕は窓ガラス以外の箇所にも当然付着するはずである。ところが、犯人が間違いなく触れたと思われる窓の鍵部分、金庫を置いていたカウンター付近、現金が入っていたロッカー、犯人が出入りした施術室の引き戸には血痕が付着しておらず、また、実際に現場で見分にあたった名執智子も窓ガラス以外に血痕が付着していた箇所はないと述べており、判示第2の事実と同様に、犯人は負傷しながら現場のいたるところに触れているはずなのに、血痕の付着が確認されたのは窓ガラスの一部だったということは経験則上あり得ない。また、現場に血痕が遺されていたとするならば、犯人は素手で犯行に及んだか、或いは、手袋をしていたがその手袋を突き破るほどの勢いでケガをしたということになる。だとすれば、現場から被告人の指紋も検出されていてしかるべきであるが、そのような事実は存在しない。手袋をしていた上で負傷したのであれば、手袋を突き破るほどの勢いで負傷しているのであるから、出血も少量では済まない。だとすれば、血痕の遺留はより多量、広範囲に及んでいなければおかしい。いずれにしても、現場の状況と、実際の証拠とが一切整合しないことからすると、真実、血痕が存在していたのかということにも疑問を抱かざるを得ない。以上の所見に照らせば、現場から発見されたとされる血痕ようのものは血液ではない合理的疑いがあり、遺留状況からして極めて不自然で、捜査機関が描く犯人像と、実際の証拠とが全く合致しないことからすると、この血痕ようのものは偽造されたものであると疑わざるを得ない。したがって、偽造されたものを偽造されていないものと思い込み、その証拠能力を認め、証拠として採用し、有罪認定の根拠としたことには、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続きの法令違反がある。

第六
判示第3の事実における判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認の主張

原判決は、判示第3の事実につき「窓ガラスの破損箇所に血痕ようのものが付着していたことが認められる」旨判示するがここには明らかな事実誤認が存する。これまで述べてきた血痕に関する所見に照らせば、この血痕ようのものは偽造もしくは捏造であると疑うに足りる相当な理由があり、また、前述したように判示第3の事実においても、犯罪捜査規範に則した領置手続きが採られていないのであるから、したがって、この血痕ようのものとされるものが、いつ、どこで、誰が、どのようにして当該物件を発見したのかということがきちんと証拠として残されていないから、血痕ようのものの出どころ、すなわち元々そこに血痕ようのものが存在していたのかどうかという極めて重要な部分が明らかとなっていない。公判廷において、Оなどは血痕ようのものが発見された状況について証言している部分もあったが、3年も前の、特段処罰感情もないОの記憶も今や定かではなく、その証言は基本的に信用することができない。やはり言うまでもなく、事件発生時に適正な手続きを経て、然るべき証拠化がされていなかったことに根本的な問題があり、だから、この血痕ようのものが真実、元々そこにあったのかが判然としないということにもなるし、検察官においてはこの血痕ようのものが元々そこにあったのだということについて、なんら立証されていない。Оが3年も前のあやふやな記憶を公判廷で語るだけでは証拠として不十分なのは言うまでもなく、だから、血痕ようのものが真実、元々そこにあったのだということを裏付ける客観的な証拠は存在しないから、だとすると、これは明らかな証拠不十分であり、このような不完全な証拠を存在していたものと誤認し、是認した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認の違法がある。

原判決は、「上記エステ店の防犯カメラによって撮影された犯人と思われる人物の容姿が被告人のそれと矛盾しないこと」も被告人が判示第3の事実についても犯人であることを支えるものといえる旨判示するが、その根拠となる防犯カメラ映像解析報告書を見れば、犯人と思しき男は、一番よく映っているものを見ても、

顔はマスクをしていて全く分からない。

このような不明瞭な写真をして、画像解析の専門家でもない裁判官が、極めて恣意的かつ直感的に加えて客観性を欠くこのようないきすぎた判示をすることは、強大な権限を持つ事実認定者たる裁判官がひとたびその事実を認めると、その事実はあったことになってしまうのであるから、このような何ら根拠もない、ただ一見して「似ているように見える」というだけで事実認定の支えとすることは危険であることは言うまでもなく、このような暴論は決して許されるべきではない。したがって、論理則経験則ともに著しく反した、写真の人物と被告人とが同一人であるかのように結論付けた原判決には、重大な事実誤認の違法が存する。

第七
刑の量定不当の主張

被告人は、令和5年1月の時点で逮捕、勾留されてから約3年2か月もの長きに亘り心身の自由を奪われている。この苦しみは筆舌に尽くしがたいものがあり、憲法第37条の定める迅速な公開裁判を受ける権利を享受できているとは到底言えない。本件は、途中で弁護人が変わったり、期日間整理手続に付されたという事情はあるが、そうであったとしても、裁判所としては期日間整理手続が約1年7ヶ月という長期に及ぶ前に、職権を以て検察官に早期の証拠開示を促すなどの必要な措置を講じて期日間整理手続の圧縮に努めるべきであった。これは刑事訴訟法第281条の6においても明確に、連日的開廷をすべきと条文規定されているのであるから、裁判所として、連日的開廷の義務を負っていることは明白である。仮にそれが困難なやむを得ない事由が存するのであれば、その旨を被告人に告知するなどして了承を得るべきであったのに、何らそういった措置や釈明はされなかった。このような経緯を鑑みれば、被告人の勾留の長期化は、被告人の責めに帰す性質のものではなく、一審裁判所の無責任かつ理不尽な訴訟運営に帰するものであるから、被告人が被った不利益は直ちに救済されるべきである。本件における未決通算の算入は620日で、これがどのような算定によるものかは判らないが、たとえば三分の二が相場だとするならば、3か月の三分の二と、3年の三分の二とでは受ける不利益が明らかに違うことについては論を持たない。本件でいえば、一審終了段階で未決勾留日数はゆうに1000日を超えており、それに対して未決通算の算入は620日のみであった。つまり、1年以上がなかったことなり、そうすると、2年6月の実刑判決と言われながらも実質的には3年6月以上の拘禁を科されていることになる。したがって、原判決が算定した未決通算は不当に少なく、原判決の判断は誤りであり、著しい量刑の不当というべきである。前述の通り、原判決の訴訟運営に瑕疵があるのは明らかであるから、未決通算は全日算入されるべきである。少なくとも、訴訟を故意に遅滞させた(連日的開廷をしなかった)期間、即ち令和4年1月12日の第三回公判から判決宣告の同年8月6日までの間の内、公判開廷日の15日間を除く日数の未決通算は全て加算されるべきである。したがって、原判決は未決通算の算入が620日としているが、その量刑は重きに失して不当である。

結論
以上の通り、原判決には憲法31条違反の違法及び、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反の違法及び、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認の違法があり、被告人を有罪とした原判決の所論は完全に失当というほかなく、その上、未決通算も不当に少なく、量定不当があるから、高等裁判所におかれては原判決を破棄されたい。

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