見出し画像

詩📓「アンチアザトイ」

20240722

可愛いものは 俺が 感じ取ったものでなければ 可愛いと思わないから あざといということが 俺にとって マイナスでしかない 笑顔も ダンスも こちらに向けて 行われていると冷める 可愛いでしょ? という感じが とても苦手だ TikTokで 誰にでも出来そうな 中途半端なダンスとか見ると 虫唾が走る そういう理由で あざとい人が嫌いだけど あざといキャラで 頑張ってる人が 素になる瞬間は 可愛い 可愛いと感じる人は 大体あざとくないから そういうギャップで 誰かに興味を抱くことは 少ない 可愛い人は 可愛いから 可愛い子ぶらなくても 可愛いので あざとい人は 本当は可愛くないとか 暴論を吐いてみる 誰に対してとか 思い浮かべているわけではないけど あざとさというものを 武器だと思ってたら 歳をとった時に 若さに頼り切りだったことを 後悔して めんどくさくなりそうだ 私のことを 誰も 可愛いと言ってくれない! なんて言われても 可愛くないので 仕方がない 自分にも 当てはまる 例えば 若さや 容姿で 自分を格好良いと 思っていたとしても それは何にもならない 持つのであれば 一生物が良い 一生物の可愛さ 一生物の格好良さ それは 意識や 思想や センスや 言動や 所作なんかに現れる そして特に 格好良さは 生き方に現れる 月並みな表現だとは思うけど 俺は創作活動を通して その生き方を貫きたい そうすれば 格好良いジジイになれるはずだ 格好良いジジイは何も 容姿が良くなくても良い 見てくれなんて関係ない 俺はそんなジジイになるために 創作活動を諦めないのかも知れない それがあざといと言われたら 好きに 嫌いになられて 構わない あざとさが 嫌いな人は 結構いると思うので 嫌われ者になったとしても 俺は貫くだろう その芯が いつか俺を押し上げて 今では考えられない ステージへと連れていくと信じて 継続は力なりとか その通りだと思う ただ 間違った方向に 行き続けた時に 指摘してくれる人は 欲しかったりする おい!どこいくんだ! と言われたら すぐに引き返せる人間でありたい あざとさを貶してしまったけど 好きな人も あざといということをステータスとしている人も 好きにすれば良い 要はセンスが合わないだけ 最近センスの合わなさを 実感する機会が多い 俺の考えとは違う むしろ真逆で 大嫌いな人間を どれだけ愛せるだろうか? 愛するべきなのだろうか? それは多分 年単位でも 日にち単位でも 秒数単位でも 変わってくることだとは思うから 今言ったことを 明日 否定することもあり得る あざとさ大好きっ子になって 可愛さを振り撒く 女の子を追っかけるかも知れない いや それはないかな でも好きと 嫌いは やっぱり同じようなものだ 多分憧れとかもあるのだろう 素直に受け取れることも 羨ましがっている あざとさ 難しい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?