見出し画像

詩「瓶の中の小蝿」(掌編小説?)

20240715

『まじまじと見つめて 挙動不審になった虫を笑う
 小蝿を捕まえると 空き瓶に入れて観葉植物の横に置く
 悪い趣味と思えば思うほど 何故だか楽しくなってきて
 部屋にはゴミと 小蝿の入った空き瓶だらけ』

そんな物語が好きな少年が 面白そうだと真似をして
子供部屋のちょうど良い隙間に 小蝿の入った空き瓶を詰め込んだ
羽の擦れ合う音で夜中に起きてしまったり 謎の高熱が出たり
色々あったが 少年は小蝿を大事に大事に閉じ込めておいた

数週間経った 少年がいつものようにうなされながら眠っていると
大きな影が顔の上に重なり 少年に語りかけた
「やあ こんばんは おチビさん よく眠れているか?」
少年は叫び声をあげそうになったが 驚き過ぎて叫び方を忘れてしまった

影は 真っ黒な服を着た男だった
目がギョロリと大きく 小さな口で微笑みかけられ やけに気味悪かった
声はとても低く 一度聞いたら鼓膜に張り付いて剥がれなそうだ
男は 少年がいつも絵を描く時に使う小さな椅子に座った

「君は とても悪い子だ わかるね? どうしてだと思う?」
少年はポカンと口を開けながら 頭の中では小蝿のことを考えていた
「あなたは誰?」
男は笑って 少年を見つめ返した

「質問をしているのは私だ 君は答えなさい」
「うん わかった」
「悪いことをしていると想像しただろう? それを言ってみなさい」
「それは……」

少年が懺悔を始めようとした途端 子供部屋の扉が勢い良く開いた
「おい!しっかりしろ! 大丈夫か! 母さん!母さん! 起きて!」
少年の兄が異変を察知して入ってきたのだ
男はいつの間にか消えていて 少年は激しく痙攣していた

少年は病院に連れて行かれたが 至って健康だった
少年の兄は心配してたくさんお菓子を買ってくれた
少年が青年になる頃に そんな優しい兄を亡くした
今まで優しかった母と父は 残された弟にキツく当たるようになった

少年が病院に連れて行かれた翌日に 小蝿の入った瓶はゴミ置き場に捨てた
全て割っておいたので 中に入っていた小蝿たちは逃げていった
しかし 耐えきれなかった小蝿は死骸となって瓶の底に張り付いていた
低い声が聞こえた気がして 振り返ったが誰もいなかった

そんなことを思い出しながら 電車に乗って故郷へ帰った
かつて住んでいた家に辿り着くと 不思議なほど巨大に見えた
(こんなに良い家に住んでいたんだな)と思いながら
親戚に渡された鍵でドアを開け 中に入った

そこには数えきれないほどの小蝿が飛んでいた
父と母は リビングで溶けて死んでいたらしい
夏場なので状況は最悪だったと聞いた
ただ 何も思わない そうだったのか と納得しただけだった

両親に与えられた屈辱のせいで 家族への信用はゼロになった
世間との関わりでさえ 必要がないと遮断し続けた
彼を面白がる連中に瓶の中に入れられて ニヤニヤと見つめられた
小蝿になった彼は いつか底に張り付くことを待つだけだった

彼の目はあらゆる方向を監視したくて大きくなった
口数が減ったので 口は小さく変形していった
彼を知る者は 大抵 彼を馬鹿にしていた
少年の頃 小蝿を馬鹿にした報いだと 彼は思っていた

「ただいま」彼は小さな声で呟いてみた
久々に自分の声が聞こえた気がした 鼓膜に張り付いて剥がれなそうだ
声を殺し過ぎて 声帯は沈んで 声色はどす黒くなった
黒い塊のような日常的な言葉が 誰もいなくなった部屋に散乱した

彼はかつて自分が過ごしていた子供部屋に行ってみたかったが
その前に殺虫剤で小蝿を殺そうかと考えていた
しかし リビングに不自然に置かれたソファに座っていると
面倒になってしまって やめておくことにした

階段を上がり 子供部屋の前まで辿り着いた
廊下には 至る所に殴った跡やぶつかった跡があった
(クソ親父め せめて地獄へ行け)
そう思いながら ドアノブを回した

中に入ると 空気が一変した
暖かで 優しくて 懐かしい匂いがした
(兄ちゃん?) 彼は振り返った
隣の部屋で 兄の好きだった音楽が流れていた

ベッドの方に目を向けると
かつて不気味な男に遭遇した日の自分が眠っていた
(そうか やっぱりそうだったんだな)
彼はそう思いながら 絵を描く時に使っていた椅子に座った

やるべきことはもうわかっているが 束の間
兄の気配に寄り添いながら目を閉じた
記憶が溢れ出して 脳内はパニック状態になったが
心は温かく濡らされて 頬に大粒の涙が溢れた

(そういえば キャンプに行った時
 遭難しかけた俺を最初に見つけてくれたのは兄ちゃんだったな
 あの時は泣き続ける俺の背中を摩りながら
 好きだった絵本の物語を 思い出して聞かせてくれたよな

 兄ちゃんは俺が好きな本を知り尽くしていて
 たくさん買ってきてくれたっけな
 なんであの時 死んじまったんだろうな
 馬鹿な親も 兄ちゃんがいてくれたら良い親だったのかな?

 そろそろ時間だ 感傷に浸るのはやめておこう
 言わなければならないセリフは まだ鼓膜にこびり付いている
 寝顔をよく見てみりゃ 何も知らず 幸せそうなアホ面だな
 何で小蝿を閉じ込めたんだろうな? ただ馬鹿だったんだろう)

「やあ こんばんは おチビさん よく眠れているか?」
兄の好きだった音楽はまだ聞こえていた
物語が進行し 兄がこの部屋に入り込んでくる瞬間
彼は振り返って 兄の姿をほんの少しだけ確かめられた

彼は 全ての物が古くなった子供部屋に居た
この部屋を出て行った時のレイアウトから何一つ変わっていなかった
埃だらけなので窓を開けて空気を入れ替えた
その時に 死角に起き忘れて 捨てられなかった小蝿の入った瓶を大量に見つけた

瓶を開けて 中の死骸を窓の外に捨てた
彼の心は一層 固く閉ざされた
掃除なんてするつもりはなかったのに 綺麗にしたくなってきた
忌々しい実家のはずなのに ここで暮らすのも悪くないと思った

それから 彼は数日かけて家の掃除をした
兄の部屋だけは 亡くなってから一つも変わらずに残してあった
遺品の保存を両親から引き継ぐことになったわけだが
ろくでもない奴らの 唯一の善行だと思えた

小蝿はどうしようかと悩んで やっぱり殺すことにした
かわいそうな奴らだが 瓶に詰めるよりはマシだと思えた
殺している間中 ずっと兄の好きな音楽が聞こえた気がした
殺し終わったあと 兄の部屋に向かった

大きな映画のポスターに阻まれて まだ掃除されていないところを見つけた
そこに 大量の瓶が詰め込まれていた
中には まだ生きている小蝿たちがひしめき合っていた
彼は (なんだ 兄ちゃんも同類じゃないか!)と思いながら笑い転げた

「何でそんなに笑っているの?」 幼い声がした
振り返ると 五歳の兄がちょこんと立っていた
「な 何でって いや それは」
彼は突然のことに 驚き過ぎて叫び方を忘れてしまった

幼い兄は人懐っこく彼に近付いて来た
「僕はね 虫が大好きでね 瓶に入れてね 眺めるんだよ」
彼は膝の上に兄が乗るのを静止できないまま固まっていた
兄の部屋にあった椅子は 当時の物に変わっていた

「そうか それは良い趣味だな」彼は落ち着こうと声を出した
「うん! おじさんもやってみてね!」兄は満面の笑みを浮かべた
そして 突然閃いたように彼の膝の上から飛び降りて
机の引き出しの中に入れてあったノートを持って来た

「おじさん! 弟が生まれるんだ! だから絵本を書いて!」
彼は 彼自身のことを書くしかなかった
自分と同じように 兄が残酷な子供だったことにショックを受けながら
それでも 唯一愛すべき家族との時間を堪能しながら 書くしかなかった

『まじまじと見つめて 挙動不審になった虫を笑う
 小蝿を捕まえると 空き瓶に入れて観葉植物の横に置く
 悪い趣味と思えば思うほど 何故だか楽しくなってきて
 部屋にはゴミと 小蝿の入った空き瓶だらけ』

「おじさんも 虫が大好きなんだね!」兄は笑っていた
「ああ 狂ってしまうほど好きなんだ」彼も笑っていた
「弟が生まれたら たくさん読み聞かせしてあげるんだ!」兄は元気に言った
「それは良いな 良いお兄ちゃんになりそうだ」彼はもう 兄の顔を見れなかった

彼は泣いていた 一人きりで 誰もいなくなった 兄の暮らしていた部屋の中で
物語の辻褄を合わせることしか出来なかった 何かすれば未来が変わったのかと考えた
しかし不思議な現象は それ以降起こらなかった
彼は 瓶に小蝿を集め 眺めながら それからの人生を 生まれ育った家で過ごした

彼が死んだ時 小蝿たちは彼を弔うことにした
何故そうしたくなったかはわからなかった
自分達を閉じ込めて 毎日眺めるような相手を
好きになれるわけがなかったが 嫌いになれるわけでもなかった

小蝿たちは瓶の蓋を開けた
逃げ出そうと思えばいつでも逃げ出せたんだ
彼は孤独に殺されてしまったから
生き残った小蝿たちは 孤独にならないようにした

彼と彼の家族の家が 一つの大きな瓶のようになり
みっちりと小蝿で埋め尽くされ 人に気付かれることもなく
真空になった彼と彼の家族の記憶が 上書きされることもなく
小蝿たちはその記憶をまじまじと見つめて 悪い趣味を一つ覚える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?