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安斎勇樹と働くことのしんどさと、冒険の「手綱」を握ることの大切さ
こんにちは!MIMIGURIのダン、こと小田です!
MIMIGURI アドベントカレンダー2024 も残すところ今日を含めてあと3日です。早過ぎませんか?
今年のテーマは #わたしたちの冒険
安斎さんの1月刊行の新著、『冒険する組織のつくりかた「軍事的世界観」を抜け出す5つの思考法』に合わせて、それぞれの「冒険」について書いていきます。
2024年は、個人的にも大きな動きが沢山ある年でした。
5月には、初の単著となる『アイデアが実り続ける「場」のデザイン』を出版。そして同月には、合同会社co-nel:(コーネル) という会社を設立しました。
まだ詳細はお話しできないのですが、個人的にも大きな決断をした年でもあります。
側から見れば、無茶苦茶順調な一年のようにも見えるかもしれませんが、個人的にはあまりイキイキとできていない自分と向き合った1年間でもありました。結構苦しみの1年でした。
2024年を振り返って、その苦しさはどこからきていたのか、探ってみたいと思います。
安斎勇樹という、強大すぎる存在の前に
結論から言えば、今年最も苦しんだのは、安斎さんと比較してしまうという自分の存在です。
いやはっきり言っておこがましいわけです。あんな努力もできて頭も切れる天才と比較する方がおかしいんです。笑
ただ、例えば書籍にしても、安斎さんと池田さんの『チームレジリエンス』の書籍との刊行が被ったこともあり、否が応でも数字や反応の比較が目に入ってきてしまう日々… (ちなみに『チームレジリエンス』は、読者が選ぶビジネス書グランプリ」にノミネートされているので、こちらはなんの躊躇もなく投票してください!)
加えて安斎さんの新しい書籍の伸びようと言ったら、とんでもないものがあります。社内の熱量も凄まじい!(これはほんといいカルチャーだなと思います)その分、自分の発信との盛り上がりの熱量の差を感じて気にしてしまうという、しょうもない自分に嫌気がさしてしまいます。
外でお話しさせていただいたり、モデレーターさせていただく機会も、ありがたいことに増えましたが、ほぼ最初のコミュニケーションは安斎さん関連の話であることがほとんどです。(今年のVoicy開始はMIMIGURIにとっても大きなハイライトだったはず)
あと、これはたまにですが、講演等に対する感想でも、「安斎さんのような話を期待していたが…」と言った声もいただくこともあります。
もちろん、率直に感謝いただける機会も少なくはありません。(本当にありがたいこと)書籍の話も共感してもらえることは多いですし、なんとか執筆し切ることができてよかったと思っています。
それでも、なぜだか自分のことをうまく肯定できず、探究したいという気持ちがどんどんと枯渇していってしまっている。なんでこんなにも苦しいのか、自分でもうまく言語化できない。そんな日々がずっと続いているような状況でした。
苦しさはどこからくるのか
自分のモヤモヤはどこからくるのか。見えてきたのは、安斎さんが面白がるようなコンテンツを作れていないのではないか、ということと、考えていたことを全て安斎さんに上回られてしまうというものでした。
前者ははっきり言って自分がまだ未熟なんだろうとは思います。新著の内容について、安斎さんに言及してもらえた、という機会は正直そこまで多くないようにも思います。『チームレジリエンス』と出版が重なっていましたし、その後も『冒険する組織のつくりかた』の執筆に執念を燃やしていたことを考えれば、仕方ありません。
また組織サイズも大きくなりましたし、安斎さんと話す機会も極端に少なくはなりました。これ自体には全く不満はないんですが(そもそもそういうものだと思います)この本を書いた内容は、安斎さんからどう見えていたのか、ものすごく不安になってしまうところもありました。
加えて、自分の発信したり、本で書いたりした内容のさらに上にいくような話を、安斎さんはものすごい勢いで発信していきます。自分が何かを言語化したところで、安斎さんがそれ以上にハッとさせられるような内容を多くの人に届けているのであれば、自分が何をしても意味がないのではないか、と思ってしまうこともありました。
勘違いしてもらいたくないのですが、これは安斎さんに何か原因があるとか、不満があるとか、そういうことでは全くありません!
自分の中に生じてきてしまうやり場のないモヤモヤとうまく向き合うことができず、組織に迷惑をかけてしまったり、組織の動きに強調できないところもあったんじゃないかなと思います。
この辺りは本当に社会人として未熟だなと痛感しています。
だからといってやり過ごすわけにもいきませんし、このままでは本当にどこか衝動や活力が枯渇してしまう感覚がありました。
ここからは、そんな中で内省してみて見えてきたことを、いくつかまとめてみたいと思います。
自分の可能性を認めることを、他者に委ねてはいけない
ダンさんって、誰かに評価されると、すぐ「そんなことはない」って反応するよね
今のチームメンバーのイイテンさんに、この前の1on1で言われたことです。思い返せばもっと昔から同じようなことは色んな人に言われていたと思います。
素直に喜ぶのが下手くそな人間だなと自分でも思います。謙虚と言えば聞こえはいいですが、過度な謙遜は褒めてくれた人からも嫌われますし、失礼な話です。褒めたとて、口を開けば他者との比較。次第にまた声をかけようとも思えなくなるでしょう。
その上、誰かが本の内容とかに言及してくれないと寂しがるようなやつです。こんなやつと誰が仲良くしたいと思うんでしょうか。めんどくさ過ぎますよね笑
誰かにポテンシャルを見出してもらいたい、そう思っていたんだと思います。もっと言えば安斎さんにそれを言語化してもらいたかったのかもしれません。
ポテンシャルフェチとして、メンバーのポテンシャルを見出してあげること。この重要性はMIMIGURIでも散々言及しているところです。でも、ただそれを待っているだけでは何も起きないのは明白です。
自分の可能性やポテンシャルを自分自身で認め、見出してあげること。こうした自分へのケアを怠ってしまえば、自分がワクワクする冒険と出会うことはできないでしょう。こうしたケアを怠っていたこと、他者に認めてもらうことを期待してしまっていたこと、そしてその他者からの称賛でさえ自分軸で受け止めることができていないこと。こうした点を見つめ直さなければなりません。
もちろん、他者と共にあるからこそ、見えてくるポテンシャルはあります。ですが互いのポテンシャルを共に引き出し合えるようになるためには、それぞれが自分のポテンシャルを認められる力を身につけていかないといけないのだと思います。
わたしの冒険を描き続けることを、疎かにしてはいけない
そもそも、より良い「わたしたちの冒険」が実現するためには、まず「わたしの冒険」に自分自身が向き合えているかどうかが大事になります。
よく安斎さんはこんな図で説明していますが
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冒険的世界観では、会社の中での活動というのは、その人の人生の冒険の一部分に過ぎません。そしてそれは、誰かが自分の冒険を描いてくれるわけではないことを意味します。自分自身で言語化することが求められます。
ワンピースだって、「海賊王になる」という目標に影響されつつも、それぞれがそれぞれの冒険と向き合っています。それぞれの冒険を持たない人を仲間に加えることはないでしょう。
こんな話を書いてたら、ちょうど昨日のアドベントカレンダーで、弊社の夏川真里奈が同じような記事を書いてました。
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もっとも、それぞれの冒険の良し悪しを判断するのも自分です。そこに優劣があるわけでもなく、自分がその冒険に向き合うことに人生の時間を使う意味を見出せているかどうかが大事。
さらに言えば、自分の冒険は何かは、定期的に見直す必要があります。自分の冒険に飽きてしまっている状態は、アイデンティティクライシスにつながっていきます。
自分はどんな冒険に向き合っているのか、熱量を持って語り続けられるよう、見つめ直し続ける必要があるということ。その手綱を手放してはいけないわけです。そう言えば安斎さんもそんなコンテンツを沢山出してますね…(クソッ、なんで全部あるんだ)
小田裕和の冒険は何なのか
改めて自分の冒険はなんなのか、振り返ってみました。
結論から言えば、テーマ自体はある程度見えています。
僕自身の根源にあるのは、試行錯誤する時間の楽しさです。ああでもないこうでもないとやっている時間。気がつけばあっという間に過ぎていくような時間で1日が満たされている時ほど、満足感を感じているような気がします。
また、そうした試行錯誤が広がるような場に関われることも大好きです。ワークショップをやっているのも、大学で授業をやっているのも、こうした時間に関われていることが楽しいという気持ちが根本にあると思います。
僕自身のテーマは「考えたり作りたくなる気持ちが孵化する、場や道具のデザイン」です。このテーマは自分の中で大切にしたいと思えています。
一方で、内心今やっていることに飽きているところ、物足りないところもあります。ワークショップに関して言えば、正直どんなテーマでもある程度はなんとかできるようにはなりました。反面、ただそれだけをやっているだけではあまり面白いと感じられません。
また、手を動かして何かを形にしていくプロセスにもっと関わりたいという思いもあります。先輩や同世代、あるいは後輩が、かっこいいなぁと思えるようなアウトプットを形にしていくことを目にする機会も増えました。友人もさまざまなフィールドで、試行錯誤しながら面白い活動を仕掛けていっています。
自分が良いなと感じたものを並べてみると、共通点が見えてきます。
1つは土着性があること。その土地だからこそのストーリー、その土地に根ざすからこその意味。そうしたものが感じられるような取り組みは本当に良いなと感じることが多いですし、一方で今の自分の土着性の無さに、つまらなさを感じてしまいます。
そしてもう1つは、自分の手で試行錯誤して、生きていくために必要な対価を得ようとしていること。どの取り組みも、そう簡単に儲かるビジネスではありません。小杉湯なんかはなおさらそうですが、今あるものを維持していくためにも、日々試行錯誤し続けられています。覚悟が違うなと感じますし、一方で覚悟を持ちきれていない自分をダサいなと感じてしまうのです。
ナリワイをともに練る
今年設立した、co-nel:(コーネル)という会社名は、「ともに練る」ことに向き合いたいという思いから名付けました。
ただ、何を「ともに練る」のか、自分でもわかっていないところがありました。一旦個人に依頼いただいた講演などをこなしながら、自分は結局何がしたいんだろうとモヤモヤし続けた半年間でした。(それもあってか、色々事務側が追いついてなくてやばい笑)
そんな中で見えてきたのが「生業」というキーワードでした。先日ご協力していた、Think Local Academy のあるチームの発表で出てきたキーワードだったのですが、これだという感覚があったのです。
土着性を持って、自分の生業に向き合うこと
かっこいいなと思う友人たちは皆ここにむきあっているし、自分もそんな人になりたい。少なくとも、そうした人たちの力になれるような存在になりたい。改めてそう思いました。
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そんなこんなで、自分の実験場として、「ナリワイネリネリ」という名前で、Voicyの番組を立ち上げることにしました!(書いてたら申請通りました!)
年明けから配信していこうと思うので、ぜひチェックしてみてください!
冒険の手綱を自ら握った先に、さらなる冒険との出会いがある
ちょっと個人の話が膨らみすぎましたが、改めて冒険的世界観の組織とは何なのかという観点に立ち返ってこのnoteを締めたいと思います。
そもそも良い組織とは何か。僕自身MIMIGURIで働いてきた中で感じているのは、組織立っているという豊かな現象のある状態の有無だと考えています。私たちが何に力を合わせていくかは、常に合意され直され続けるもの。その合意や対話の前提には、一人ひとりの豊かな衝動や探究心があります。それはある種の「資本」と言っても良いものでしょう。そして、それらが組み合わさり合い、互いに触発しあって力を発揮している状態こそ、本当の意味で組織立っている状態と言えるでしょう。
そして、その資本を常に耕し続けること、それを起点とした冒険を広げていくことの手綱は、常に一人ひとりが持っている必要があります。今回のnoteの根源にあったモヤモヤは、この手綱を持とうとしきれていなかったことが、根本にあるのだろうと思います。
同時に、それぞれの「資本」や「冒険」は、他者の基準で優劣を判断すべきものではありません。もちろん周囲を観察して、冒険を訂正していくことは必要ですが、その手綱も自ら持っておかなければならないのだと思います。
安斎さんの先日のVoicyで、人は「できそう」なことしか「やりたい」とは思えないという話がありました。これも自分が持てる手綱とは何か、ということにつながるのだと思います。(ああ、ここでも安斎さん)
それぞれが自ら手綱を握った人たちが集った時、初めてそこに「私たちの冒険」が見えてくる。それこそが「冒険する組織」という現象なのだと思います。
だからこそ、一人ひとりが自分の冒険の「手綱」を自らケアし続けること。明間さんの「ジャーナリング」の記事も、徳田さんの「余白」の話も、そうした手綱をケアするための営みだったんだと思います。
私の冒険はなんなのか。私はどんな手綱を握っているのだろうか。ぜひそんなリフレクションを、年末年始にゆったり考えてみていただければと思いますし、私自身も改めて向き合っていきたいと思います。
最後になりますが、noteを書いてみて、改めて安斎さんという存在の大きさをひしひしと感じさせられました。安斎さんに拾ってもらっていなければ、今の自分はいないわけで、本当に感謝しています!
そんな安斎さんの中にも考えたくなる気持ちが湧いてくるような、そんな知を編み出せるよう、じっくり向き合って考えてみたい。。。とはいえ、そのハードルは鬼のように高い… でもある意味そこに囚われていては、本当の意味で辿り着くことはできないのだろうなと思います。そのためにも、まずはちゃんと自分の冒険を言語化せねばと改めて考えています。
書籍落ち着いたら、また1on1してもらえたら嬉しいです!
さて、残すところあと2日の MIMIGURIアドベントカレンダー
明日は、MIMIGURIの組織を耕し続けるなべさん
そして明後日は、いよいよ安斎さんです!
ぜひお楽しみに!
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