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僕のこれまでと、僕のこれから。伝統工芸品のEC運営からコンテンツマーケにたどりつくまで

社会に出て、他人と関わっていく中で、人は色々なラベルを背負って生きていきます。「いい人」「新卒」「有名大学卒」「親」「子ども」「会社員」「フリーランス」などなど...

そんなラベルの中には、ひどい重荷になり、そっと外して捨てたくても、ずっとついて回るネガティブなラベルもあれば、堂々とふりかざして武器にできる、戦闘力高めのラベルもあります。

ぼくは人一倍そんなラベルが多く、

「伝統工芸品の越境EC運営者」
「10歳で折り紙世界チャンピオン」
「ムッシュ」
「独学トリリンガル」
「フリーランス」
「翻訳者」
「破滅界隈」
「不登校」
「アメコミオタク」
「パーティ料理人」
「ビジネス交流会主催」
「SEOコンテンツライター」... 

などと、自分でもよくわからないくらい一風変わったラベルをたくさん背負っています。情報量が多い。

今日は、そんな自分のラベルを「仕事」という枠からふり返ってみようと思います。

*こちらの文章は、2019年11月の「転職note」をすこし編集して読みやすく加筆・修正したものです。


20歳。はじめての飲食バイトで「コミュ障」というラベルを捨てた。

僕は高校、大学と学校にいっておらず、10年ほど「独学」で英語にフランス語、デザインに音楽と、興味のむくままに勉強してきました。兄弟はいましたが基本的にひとりで勉強していたので、コミュニケーションは得意ではなく、とくに初対面の人と話すことが死ぬほど苦手でした。

ただ勉強はできたので「仕事できて実力さえあれば問題ないでしょ!」とイキがっていました。そんなに社会は甘くはなかったですが... 若いっていいな。

でも上手くしゃべれないことを、非常にもどかしく感じていたので、なんとかしないと... とは思っていました。

コミュ障を解消するなら、出来るだけ短期間で効率的に武者修行したい!と思ってたどり着いたのが、大型レストランでのウェイターです。効率大事。

最初のうちはボロボロでした。。。注文が聞き取れなかった時に怒られるのが怖くて聞き返せず、間違ったオーダーを届けて怒られまくったり、学生のノリの空気が読めずに同僚のバイトとまともに会話できなかったり。

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*バイトで新しい制服になり、ベストがいたく気に入ったので休憩中に記念でとった写真。あれ、だいぶ痩せてる…??いまはデスクワーク中心なので、体重が心配なかのうです。ジム行かなきゃ。

1年半ほど、滅多打ちになり、「オウチカエリタイ...」と心のなかで呟きながら必死にがんばって人一倍はたらいた結果、ほとんどの仕事を覚え、バイトの序列で中堅ぐらいにはなれました。

そしていつの間にか、どんな人に話しかけられてもスムーズに会話できるようになっていました。(今でも、知らない人に自分から声かけるのは苦手ですが。。。)

一番課題だったコミュニケーションの課題もそれなりに克服し、もう簡単に「コミュ障」と呼ばれることはないだろう、と自分なりに納得が出来たところで、今度は昔からやりたかった、「英語を使う仕事」に就こう、と思い次のステップに踏み出します。
21歳の冬の事でした。

*独学時代の話については、Career Plantsさんという、あたらしい働き方との向きあいかたを提案しているメディアに取りあげて頂いたので、興味がある方はぜひ!↓↓↓


はじめての職場、伝統工芸品の海外向け通販サイトで、Webマーケティングにであう。

1年半ほどの飲食店でのバイトを経て、最初に雇っていただけたのは横浜のとあるホビー問屋さんでした。

「中卒」「未経験」「TOEIC985点」という、どこの馬の骨かわからない僕を雇う、という勇気ある決断をして下さった部長&採用担当の方にはめちゃくちゃ感謝しています。ありがとうございます。

ここで担当する事になったのが、伝統工芸品の海外向け通販サイト「A-Janaika Japan(ええじゃないかジャパン)」の翻訳でした。さいしょは商品情報の「日→英」翻訳をするバイトスタッフとして入社したのですが、徐々に仕事の幅をひろげ、

・翻訳
・カスタマーサービス
・職人さんの取材
・サイトのデザイン
・動画コンテンツ作成(YouTubeチャンネル)
・SNS運営(Facebook、Twitter, Pintrest)
・SEOコンテンツの執筆

など運営全般を任せて頂けるまでになりました。

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その頃にやったプレゼンの1つ。すごい緊張しました。時々蝶ネクタイつけています。

そしてこのプロジェクトで、はじめて「Webマーケティング」に触れて「マーケター」というラベルに憧れを持ちました

当初売上が伸び悩んでいた事業部には、マーケティングの視点が圧倒的にかけていて、無駄にあさっての方向にエンジンをふかしているような状態だったのです。

外部の「越境EC専門」のコンサルティング会社にマーケティングを依頼し、戦略の部分から見直しをおこないました。

当時のインタビューがこちらです。

これがきっかけとなり、最初は低迷していた売上も、すこしずつ右肩上がりのグラフを描きはじめます。

その後、少しずつ売上も伸びていたので、当時の上司とともにMBOという形で部門ごと独立。プロジェクトの頭文字をとり、「株式会社AJJ」として鎌倉にオフィスをうつしました。

鎌倉は歴史ある神社もあれば、開放感あふれるビーチもあり、外国人の観光客もおおく、たのしい街です。ただ日々のご飯が観光客プライスなのは痛かった。必然的に自炊マンになりました。

昼休みにはビーチまで歩き、お弁当をねらってくるトンビを避けながら海を眺め、一人でのんびりと息抜きもできます。

場所柄なのか、ふしぎと都会よりおだやかな人がおおく、友人も増えました。鎌倉いいとこ。

当時のインタビューがこちらです。2018年なので23才ぐらい。若いな。

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ご覧のとおり、在庫のダンボールに囲まれた小さな部屋で、社長(元部長)と二人ではたらいていましたが、まだまだ僕が実力不足だったこともあり、売上は思ったように上がらず、自分の力のなさと不甲斐なさに悶々としていました。


いろいろな仕事を受けはじめ「フリーランス」に。

引っ越しや事業の方向性でぶつかりあったりと紆余曲折あり、フルリモートの社員となった僕は、本業はこなしつつ、東京によく出るようになります。それまで「横浜〜鎌倉」と、神奈川県内で行動していた僕の大きな転換点でした。

すこしでも興味を引くビジネス交流会や勉強会、セミナーがあれば、どんどん参加していました。昔から強かった「知識」への欲がいろいろな意味で開花したころだったと思います。

学んだ知識で書いたSEO記事が、ねらいどおり検索で1位を取ったときはめちゃくちゃ嬉しかったです。

おもちゃのECサイトや、輸入ハイヒール事業、翻訳や通訳、企業のウェブサイト制作や記事執筆まで、とにかく経験を積みたかった僕は、報酬は後回しでさまざまな仕事をうけていました。

その頃に書いた記事がこちら。AmazonやeBayの通販サイト運営や、商品の発送業務も行なっていました。

今考えると、よくあそこまで色々なプロジェクト受けて、働いていたな... と思います。

自分でビジネス交流会を主催したりと、本当にいろいろな活動をしていましたが、徐々に忙しさに飽きてきます。自分の戦闘能力が100だとして、常に5つぐらいのプロジェクトに平行して取り組んでいたので、1つ1つにかけられる力は20にしかなりません。

目まぐるしい変化にあふれた、刺激的な環境をたのしんでいる自分がありつつも、1つのプロジェクトの成果はイマイチ納得がいきませんでした。もっとやれるはず。

いつからか、

「何か一つのプロジェクトに自分の全てを集中したい」

と思うようになりましたが、自分のすべてを賭けて注力したいと思える「何か」が見つからず、日々の仕事に忙殺されながら悶々としていました。

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広島の伝統工芸品の「熊野筆」がある、筆の里工房にて。


何か熱中できるものが、欲しい。

そう思い続けていた僕は、つい最近やっと自分が「これだ」と思えるものに出会いました。

最初の通販サイトのプロジェクトで売上が上がらず、どんな手を打ったらいいのかも分からず悶々としていた僕らの部門にいい衝撃を与えてくれた、Webマーケティングの世界にそれはありました。


コンテンツマーケが今、最高に楽しい理由と僕のこれから。

伝統工芸品の通販サイトの運営で一番モヤモヤしていた疑問は「なぜこれほどいいものを扱っているのに、お客さんがたくさん来ないんだろう?」と。

商品を基軸に考えていた為、マーケット、お客さんが全然見えていない状態だったのです。

マーケティングには色々な手法がありますが、その中でも僕に一番響いたのは、コンテンツ制作をベースにお客さんに商品のいいところを丁寧に伝えていく、「コンテンツマーケティング」でした。

コンテンツマーケが好きになった理由の一つは、僕のこれまでやってきた事があます事なく生きてくるからなんです。

・昔から好きだった読書の延長線上の、記事を書くという仕事。
・数年間のカスタマーサービスで鍛えられた、お客さんの課題を丁寧に解決する姿勢。
・自分の知りたがりの性質を満足させられる、マーケティングリサーチ。
・おもしろいもの好きの自分が試される、記事の企画を考える仕事。
・すごい先人達がたくさんいて、学びがいがある

僕がこれまで集めてきた色々なラベルがすべて活きてくる、そんなジャンルの仕事がある。

衝撃でした。これをもっと極めて、上を目指したい。

同じ頃、#マケスタセミナーで株式会社カラス代表/エードット取締役副社長の牧野さんの「ブランド・ジャーナリズム」に触れた影響も大きいです。

コンテンツはアイディアと見せ方次第で、世界に衝撃を与えられる。昔と違って皆がSNSで繋がっている2019年の今は、数億なんて予算がなくても、熱量高いアイディア一つで、世の中へ強烈なメッセージを届けられる。

時代の文脈を読み、社会の課題を解決するようなアイディアを考え、考え、考え抜けば、たった銅像1つ、ポスター1つ、SNSの投稿1つ、記事1つで世界を舞台に戦える、という時代が来た実感は、計り知れない衝撃でした。

これまで、学歴の王道レールを外れ、社会の端っこにポツンといた自分でも、世界に衝撃を与えられる。

これはもう、やるしかない。

という訳で、コンテンツマーケティングにしばらくは全力投球で取り組んで行こうと思っています。

そこで、3年ほど前から最初はお客さんとして、その後も記事を寄稿したり、社内のキックボクシング会に誘って頂いたりとお世話になっていた、世界へボカン社に入社する事にいたしました!

コンテンツ・マーケターとして、英語圏に向けたコンテンツを、企画から制作、公開、拡散までを設計していきます。

まだまだこれからドンドン勉強して、数年以内にはどこかのニュースの一面を飾るような、大きなムーブメントを作っていけたらな、と思っています。

頑張るぞ!

Twitterで日々の考えを呟いていくので、フォローして頂けるとすごく嬉しいです。


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