女王 メアリ・スチュワートと,その周りで死んでいった男たち
女王さまと言いますと,日本では18世紀のフランス女王マリー・アントワネットが有名でしょう.漫画や舞台でも盛んに扱われてきました.しかし16世紀のスコットランドにも,なんだかドラマチックな運命をたどった女王さまがおられたようです.
そのメアリ・スチュアートは1542年の生まれらしいですので,徳川家康とほぼ同い年ということになります.そのころにはウイスキーの原形となる,穀物を原料とした蒸留酒はあったようです.しかし樽で熟成して現在のような色や香りのものになるのは,その後さらに200年ぐらいたってからです.
とかく歴史というものは不確かなもので,後の発見で変更されたり,捉え方しだいで人物やできごとの印象が変わったりしますので,わたしはあまり信用しないようにしています.以下の文章も,わたしより詳しい人も多い中,わたしなりに浅い知識に想像を交えて書くものですので,あまりあてにしないでください.
メアリ・スチュアートという人は,スコットランドの女王さま兼フランスの王妃さま兼ひょっとしたらイングランドの女王さまでもあったかもしれないという,大変な人のようです.ただ,この人の周りでは,やたらと男が死にます.
生まれて6日後に国王だった父親が急死します.危険な国情を避けてフランス王家に嫁ぎ,現地で王妃になったと思ったらすぐにフランス国王である夫が病死.
しかたないので結局母国スコットランドに女王として戻り,再婚して新しい夫とエジンバラの宮殿で暮らし始めます.この夫婦はどうもうまくいかず,メアリ女王がイタリア人の音楽家と仲良くなってしまったところ,その音楽家は宮殿内で惨殺されます.どうやら,やきもちを妬いた夫のしわざのようです.
そんなことにもめげないメアリは,すぐに別の伯爵と付き合い始めるのですが,今度はラッキーにも夫の方が怪しげな事故で爆死.ここでしばらくおとなしくしていればいいものを,すぐに晴れて伯爵と再々婚してしまいます.なんだかミステリーロマンスの世界ですね.
しかし,これではさすがに話がうますぎると週刊誌もワイドショーも騒ぎ始めるわけで,宗教改革の影響も加わって,追い込まれた二人はバラバラに逃亡することになります.伯爵は精神的に参ってしまって逃亡先のデンマークで例によって憤死.メアリ自身は南の隣国イングランドに逃げ込みます.
両国の王家は親戚関係にあり,王位継承権とやらによるとメアリにはイングランドの王位に就く権利があったようです.しかし,ときのイングランド女王エリザベス1世からしますと,そんなのに逃げ込んで来られては厄介で始末に負えません.メアリは幽閉され,やがて反逆罪で処刑されて生涯を終えます.
「恋に生きた悲劇の女王」と捉える人も多いようですが,わたしのような小市民から見ますと「国政をほったらかして男関係ばかり派手だったアカン女王さま」にも見えます.実際,その直後からスコットランドはイングランドに体よく飲み込まれ,事実上の支配下に置かれます.ようやく近年になって独自の政治が認められ,2014年の国民投票では独立する可能性もありました.
エジンバラのホーリールード宮殿を訪ねたことがあります.わたしが見比べた限りヴェルサイユ宮殿やショーンブルン宮殿より規模が小さく,それほど豪華なものではありません.そういうお国柄なのでしょう.
一か所,床が紅く染まっているところがあり,あの音楽家が殺された現場だと言うことです.「本物の血かなぁ?」と近くにいたスタップのお姉さんに訪ねますと,ニッコリ笑いながら「18世紀に床を張り替えたのでニセモノよ.当時の人がそれっぽく色を付けて,見せものにしてお金を取ったのね」とのこと.さすが経済学の父アダムスミスを輩出した街の人は,しっかりしておられるようです.
(ひろかべ)
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