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The Ethics of Mentor Coaching(メンターコーチングの倫理)の所感

所感

私がメンターに求めることは何だろうかと、考えながら視聴。
イメージは鎌倉の大仏様かな。

私の場合、コーチングをしてもらいたいのであれば、コーチで良い。コーチではなく「メンター」という役割を選ぶときは、それを語るにふさわしい人に依頼するのだと思う。だからといって、決してメンターの方がコーチより格が上だと思っているわけでなく、用途が違う。
つまり、メンターには適切なアドバイスも期待している。だから、その分野で「語る資格のある人」を選びたい。人生のメンターであれば、自分がこうなりたいと思うライフスタイルを送っている人を選ぶだろうし、起業しようと思う人であれば、実際に起業して成功している人、子育てに悩む人のメンターであれば、そこを抜けた人やその分野での専門的な知識を持っている人、なりたいと思っている人物から見える視点や行動を得ることを目的にメンターを選ぶのだろう。

「行動や考え方を変える」

そんな意識がクライアント側により強く出る気がするし、期間もコーチングと比較し、長期になるだろう。だからこそ、倫理が重要になるのも当然。アメリカにおいて、コーチング黎明期の強引な手法は訴訟問題にまで発展し、業界全体がいかがわしいイメージになってしまった。業界の信用失墜の原因は、倫理にあったと言わざるを得ないので、倫理が大切だと殊更に主張しているように感じる。大蔵官僚によるノーパンしゃぶしゃぶ事件に端を発した、国家公務員倫理法の施行経緯にも似ているな。つまり、信用・信頼のないところに人は付いてこないということでしょう。

まとめ

  • 倫理によりコーチングという職業が正しい方法で成長し、進化し続けることが保障される。

  • メンターはクライアントを尊重し、機密性を確保し、透明性を保ち、正直なフィードバックを提供し、ヒントを与え、自身の持つリソースやツールをクライアントに提供する

  • 良い倫理的なメンターとしての資質は、専門領域の知識を持っていること、率直なフォードバックを行えること、励ましや応援するタイミングが適切であること

雑談

先日、保守的な組織の管理者層において、外部コーチが必要だと認識してもらうにはどうしたら良いか、と質問をいただいたことを思い出した。
保守的な組織の管理者層でも、民間企業と公務ではだいぶ違うのかもしれないが、保守的な組織の管理者層(国家公務員の指定職をイメージ)に対して、外部の人間によるコーチングというのは、実感として、とても親和性が低い。なぜなら、クライアント対象者は25年〜35年のキャリアに自負があり、加えて、処遇が保障され、概ね先も見えていることが多く、いってしまえばコーチングを受ける理由を感じにくい。もちろん取扱内容の機密性が高いという問題もあるが、それはどちらかというとやらない理由だろう。
保守的な組織の管理者層がコーチングを受けることで、彼らが得られるメリットを納得性を持って伝えられないと、ただの面倒な時間だとしか捉えられないと思われる。
もちろん、上位の役職者からの指示命令であれば、淡々と職務としてこなす(コーチングを受ける)かもしれないが、そんな組織の上位役職者が摩擦を起こしてまでコーチングを導入するだろうか。
希望があるとするれば、国家公務員になった人は、方向性はそれぞれあるにしろ、本気で「国のため」にはどうしたら良いのかということを考えて行動している。民間企業のことはわからないが、保守的な民間企業に入社した人もそういった思いを持っている人が多いような気がする。彼らに負けないくらい、「この国がどうしたらより良くなるのか」という命題にビジョンを持ち、この国全体(政治・社会・経済)のレイヤーを自分なりの切り口で切り込み、そこにコーチングがどういった価値を生み出すのか刺さるアプローチができたら、コーチングを受けてみたいと思うかもしれない。
(完全に個人の感想で所属組織の見解ではありません)

1.5CCE追加。20.5/30CCE

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