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反効率的学習のための法律学入門 「信用供与の不可欠性」 互酬関係と権利義務関係② #2

1 はじめに


前回に引き続き,互酬関係についてみていきたいと思います。

*前回の記事はこちら


前回述べたように,互酬関係は,人間社会の所与たる各個人間の諸力の差、人の心の闇,集団形成力,時間・資源・エネルギーの希少性と余剰性・過剰性及びこれらの偏在,信用供与の不可欠性,病気や災害などの非人為的リスク等から必然的に発生します。

今回も,この点を別の角度から観察していきます。



2 物語「農家Xにおける費用果実連関」

【物語「農家Xにおける費用果実連関」】
 農家であるXは,自宅とは別に二か所に土地を持っています。その一か所は水田として自分の弟に稲作をしてもらい,もう一か所は果樹園として自分でリンゴを作っています。二人はこれらの農作物を出荷して生計を立てているのです。
 この水田については長年の懸念があり,隣地の農家Zとの間で境界争いをしてきて,いまだ解決をみていないのでした。境界争いは,双方の父親の代から勃発したもので,農地相続により引き継がざるをえなかったものです。

 ある年,長雨という予期せぬ自然災害でリンゴが大不作となって,Xの収入は激減してしまいました。市場価値のある充実したリンゴの育成には肥料が欠かせません。その肥料が買えないのです。次期にリンゴが出荷できなければ,Xは土地を切り売りしなければ生活できないかもしれません。水田にも長雨の被害が出たので,農業に見切りをつけたXの弟は,都市部で就職することになって,出て行ってしまいました。

 さいわいに長雨被害を免れた隣町の農家Yに,Xは助けを求めることにします。両者は以前から知り合いなのです。Yは周囲の農家から信頼されており,困っている農家をいくつも助けてきました。こうした助けを受けている中の一人にあのZもいます。
 Yは,「うちもそれほど余裕はないんだけどな」と言いながらも,Xへ手を差し伸べることを約束します。YはXに対し必要な分の肥料を売りますが,その代金の支払いは,次期のリンゴ出荷によりXに売上げができてからでよい,ということになりました。Yが言うには,「代金後払いだから代金額は少し上げたいところだが,Xも大変そうだから,むしろ割安にしておくよ」とのことです。

 ところが,水田と果樹園の二か所で一生懸命に農作業をしたXは,心労もたたり体を壊してしまいます。稲作の方は諦めざるを得ませんでした。リンゴ栽培は育成の手入れさえすることもできず,次期に出荷するめどが立たないことが明らかとなりました。当面の生活費も苦しくなってきました。

 すると,YがXを訪ねてきます。Yが言います。「肥料の代金はどうしてくれるんですか。支払う見込みは全く立たないではないですか。うちだって苦しかったけど,肥料代金を割安にした上に後払いにしてあげたのですよ」。そう言われてもお金はありません。困ったXは,土地の一部をYに渡すことにします。“どのくらいの土地をYにあげなければならないのだろうか”,Xは思い悩みますが,Yと対等な立場で交渉できる状況ではありません。何しろ,代金後払い,かつ低額という優遇を受けたのです。さらには,当面の生活費を貸してもらいたいと,重ねてYにお願いしてみようともしているのです。さらにXが気がかりなのは,最近,Zが頻繁にYと会っているようだという噂話です。



3 費用果実連関と信用供与の不可欠性


この物語の経緯で設定されるYとXとの関係は,またもや「不定性・不定量な互酬関係」です。


リンゴ(その出荷・売却代金)という「果実」を得るためには,果樹園という「躯体」(基盤資源)へ,農作業及び肥料という「費用」を投下することが必要です。「果実」を得たら,それで次なる「費用」を得て,再度「躯体」に投入し,次なる「果実」を得ることができ,こうして生活が成り立っていきます。これを,「費用果実連関」といいます。

しかし,当面の「費用」がなければ,こうしたサイクルが始動しません。そこで,まずは他から調達する必要があります。今回のように,XはYから「費用」たる肥料を調達したのです。

そして,これは広い意味で「信用供与」であったといえます。Yは代金後払いで肥料を渡すのですから,Xに時間的猶予を与えています。これが「信用」です 。信用供与を受けたXは,これをYに返さなければなりません。しかし,体を壊してしまい返せません。ここから,両者は非対等な関係となり,程度は別として「支配従属関係」に入ってしまいます。



4 希少性と余剰性


信用供与というメカニズムをさらによく認識するため,経済の基礎知識に属するかと思いますが,「希少性と余剰性」という概念を知る必要があります。


あらゆるものが無限であれば,誰でもがそれらを入手して活用できるので,その場合,経済学はおそらく必要ありません。しかし,物事には「希少性」があります(「経済学の最初の教訓は希少性である」トーマス・ソウェル)。

例えば,土地は有限の資源です。海や湖沼を埋め立てて土地を広げることもありますが,とても簡単に増やせるものではありません。土地といってもいろいろあって,人が住むに適した平地,農業に適した豊かな土壌,それらには適さないけれども材木を得られる山林などがあり,それぞれ限りがあり,つまりは,希少な資源です。

労働力もそうです。知的な能力もあり頑強な人がいる一方,そうでない人もいます。知能や健康も限られて偏在しており,希少性があります。労働生産性の高低というのは,否定しがたい現実です。

お金も,この世の中には無限にあるわけではなく,限りがあります。そして,それらは偏在しています。偏って分布しています。

他方,限りがあるということ,偏在しているということは,多くある場所があったり,多く持っている人もいることを意味します。つまり,物事には,「余剰性」があります。

「余剰」がある人,例えば,土地が余っている人は,これを人に貸して地代(賃料)を得ます。お金が余っている人は,人に貸して利息を得たり,銀行に預けて預金利息を得たり,株に投資して配当利益を得たりします。銀行は,余剰なお金は預けてもらい,それを必要とする企業に貸したりします(厳密には預かったお金を貸すのではなく,銀行の信用創造機能によりお金は創出されるのですが)。「余剰」は,何も使われずに眠っていることはなく,通常は,常にその投下先を求めています。すなわち,投資先を探しています。

これが信用供与がなされる背景です。



5 農家Xの場合


Xが有する資源は,土地,自分と弟の労働力,稲作とリンゴ栽培の知識と経験,売却前の農作物などになります。当然,無限に有しているものはありません。

しかし,自然災害という誰のせいでもないことが原因で,危機が訪れます(すなわち,この危機は誰でも遭遇しうる危機だということです)。

そこで,Yが出てくるわけです。自然災害を免れ,肥料を後払いで売ることができるYは,Xと比較すれば,「余剰」を有する者です。そこで,肥料の後払いによる売却というかたちで「信用供与」がなされます。

しかしながら,ここでもXは,健康毀損→労働力喪失,という危機に瀕してしまいます(この危機も,病気や怪我という誰でも遭遇しうるものであることに再度留意が必要です)。

Yも黙っていることはできません。相応の対応をXに求めます。特段,Yがアクどいことをしているのではありません。しかし,優位な立場に立ったYは,Xとの土地譲渡交渉において,どのような態度をとるでしょうか。ここぞとばかりにZが何か絡んでこないでしょうか。確証の限りではありません。



*以下の記事につづく




【参考文献】
木庭顕『法学再入門 秘密の扉 民事法篇』(有斐閣,2016)
木庭顕『ローマ法案内-現代の法律家のために』(羽鳥書店,2010)

【雑多メモ】
「「財の稀少性」は、すべての人の欲求と必要を充足できるほどの十分な資源が社会に存在しないという単純で基本的な社会認識を表現する経済学上の観念である。禁断経済学においては、資源が無尽蔵ではない有限であるからこそ学問としての経済学が必要とされるのだという基本認識から出発する。」(松浦好治『法と比喩』117頁,弘文堂,1992)


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