JICA海外協力隊が執筆した記事を綴るマガジンです。
(ヒジャブを纏った2人が羽根つきを楽しむ、ザ・異文化体験。青少年には遊びが受ける) アジアと日本を紹介する講座を開きました。 どれだけ来てくれるかは「ンシャアラー」(神頼み)でしたが、結果指導員も合わせて20名近く参加してくれました。 アジア、と主語が大きいのは、これまでここのブログに書いてきたことを伝えるためです。 1.ニーハオは中国人しか言わない 2.ching chang chongは挨拶ではなく差別用語なので使わないで 3.合掌で挨拶する国は一部だけ というこ
(舗装し直された道路。まだ半分残っている…) 日付も変わった深夜に、外からの轟音で意識が戻されました。 何事⁉️ と思いましたが、まさかの道路工事です。 数日前から路面のアスファルトが剥がされていたので、近いうちに工事があるのは予想できたのですが、それがまさかの深夜でした。 早く終わって…と思いながらも、結局工事は5時ごろまで続きました…😱🤢 滅多にない出来事ですが、相当体力を削られました。。大家さんも一家揃って眠れなかったようで、さすがにしんどそうでした。 深
首都でチャリティ団体主催のマラソン大会に出た後、スポーツ用品店でシューズを買いました。 売値の53%引きですが、「お得感は薄いけど🇹🇳なら妥協できる範囲かな」と思い購入しました。 というのも、これは2世代前のモデルで、日本なら1世代前でもこの4割弱の値段で買えてしまうからです…インターネットがあると、知らない方が幸せなこともこの通りです😅 チュニジアのランニング用品事情 チュニジアのランニング市場は小さいため、入手できる用品の種類は限られています。 選り好みをしない
(右はダビデの紋章。アンダルシアから逃れたユダヤ系移民によるもので、モスクに刻まれるのは世界的にも珍しい) 先日紹介したテストゥールには、アンダルシアから逃れたユダヤ系移民のコミュニティがあります。 モスクに刻まれたダビデの星は、共生の象徴でもあり、地元民の誇りとなっているようです。 しかし、パレスチナ紛争のこともあり、今のユダヤ系住民はどんな状況にあるのか気になったので調べてみました。 チュニジア在住ユダヤ人の今 チュニジア在住のユダヤ人は、古くは紀元前から定住して
(祭りは5日間。年に一番賑わいを見せる) 所属長に誘われ、隣町テストゥール市のザクロ祭りに行ってきました。 任地のテブルスーク市とは、車で20分弱の距離にあります。 首都チュニスへの道中にあるため、町は毎月のように通り過ぎていましたが、実際に歩くのは今回が初めてです。 昨年のこの時期は首都で研修中だったため、任地以外の祭りを見ることも初めてでした。 アンダルシアが残る町 テストゥール市は、17世紀にスペインのアンダルシアから逃れてきたイスラム系難民が建設した、という
(喜ぶ支持者。France24より拝借) チュニジアの大統領選は、事前の予想通り現職のサイード氏が約9割の票を獲得し再選しました。 大家さんも投票後に手の黒い跡を見せてくれました。 (投票済の印として、1日程度消えない塗料で付けられるそうです) ただ、全体の投票率は約28%と、前回の半分程度に低迷しています。 苦しくなる生活と成果の見えない現実に、国民の不満が蓄積していることの現れでもあります。 勝利の祝賀ムードは一部のみで、再選した大統領は引き続き難しい舵取りを迫ら
10月17日で、チュニジアに到着してから一年が経過しました。※配属先一周年は来月です。 到着時は、ここで人生の新しい一歩を踏み出すんだ、というやる気とともに、初めての海外長期滞在で、ここで上手くやっていけるのか不安がありました。 しかし、蓋を開けてみると… 活動は試行錯誤しながらも軌道に乗り、水や食事なども問題なく、心身共に健康で過ごせています。 語学の伸びが今ひとつなのが課題ですが、ここまでは、合格点と言って良いと思っています。 これには自分で努力した面もありますが
(時折急勾配。平坦ではない道はまだ続く) 修了試験を開催した日の夜、参加した子のお母さんから、所属長へ電話がありました。 曰く、英語力が伸びて自信になったことはもちろんのこと、「あの子が変わったことが何よりも嬉しい」とのこと。 詳しく聞くと、複雑な事情がありました。 彼女は養子で、産みの親は物心つかないうちに難民として欧州に渡り、彼女は取り残されてしまったそうです。 縁あって今の両親が引き取ることになったものの、周囲には馴染めず、肌の色が少し違うことから心ない扱いを
先日、初級英会話クラブの修了試験に、クラブ常連の3名が挑みました。 お題は、「1分間の自己紹介」です。 所属長をはじめ、多くの同僚にも彼らの成果を見てもらいました。ご参集頂き感謝です。 試験は「1分間」というのがポイントです。 名前と年齢だけでは数秒で終わってしまうので、様々な表現・単語を知らないとクリアできません。 チュニジアでは、英語は10歳から必修です。 しかし、学校教育では話せるようにはならず、多くの中高生はアルファベットの読みから怪しいです(フランス語と混ざ
(夜に続いた雷。不穏な空気が漂う) 10月6日はチュニジアの大統領選挙です。 アフリカの選挙は混乱と政情不安に繋がることが多く、このために派遣国が変わった私としては無事に終わって欲しい一心で状況を眺めています。 今回は、現職のサイード氏が勝利すると言われています。 というのも、強権を発動して野党の有力な候補者を色々な罪状を付けて逮捕や候補資格を剥奪し、他に決め手がないまま選挙に持ち込んでいるからです。 一部でデモも予定されていますが、今のところ限定的です。 サイー
JICA海外協力隊の秋募集が10/1より始まっています。 チュニジアは長期派遣で10件と少ないのですが、私の後任要請がありました。 (リンクは割愛。気になる方は上から調べてみて下さい) 後任の派遣は総合的に判断されますが、そのうちの一つに現職隊員へのアンケートがあります。 赴任後半年頃に、事務所から送られ各隊員が回答するのもので、忌憚ない意見を書けるようになっています。 私も回答しましたが、その結果がこうなるのか…と思うと感慨深いです。 ここで話せることは限られてい
(緑のラベルが炭酸水。約2ヶ月ぶりに入荷し、瞬殺…再び不在が始まる) 日本では、少し前に米の品薄がニュースになっていましたが、ここチュニジアでは、気がつくと何かしらの食物が品薄です。 では、どんな品が足りなくなるのか、これまで見てきたものをご紹介します。 ※季節の野菜や果物は除きます。 1.牛乳 品薄は昨年冬から春にかけてが顕著でしたが、現時点で再び不安定になっています。 原因は、政府の対応が大きいと言われています。 飼料の高騰にも関わらず、牛乳価格が統制されてい
(石から熱を伝える伝統的なポットで湯を沸かす) 任国外旅行の手土産に、現地のアジア系スーパーで見つけた日本(風)の手土産を、日頃からお世話になっている配属先と大家さんに持っていきました。 荷物預け料金とロストバゲージを防ぐため、手荷物のみで旅をしていたため、何なら嵩張らないか、喜ばれそうか、それなりに悩みました。 その結果、持っていったのはこれです。 緑茶は粉末タイプで急須はありませんし、餅はクリームが入っており製造元も中国企業です(海外ではよくある、なんちゃって日本
(路地のATMは極力使わないよう言われているが、任地では路地にしかない…) 久々にトラブルです。。 ATMで200DTを引き出そうとしたところ、出てきたのは100DTのみ。 「あれ、金額間違えた?」と思いアプリを確認するも、しっかり200引かれています😨 その銀行窓口に補償を求めたものの、「口座元の銀行で修正してもらえ」の一点張りで埒があかない状態でした。 機械の故障や、自分が半分しか受け取っていないことを後日に証明するのは困難です。 しかし、差額の100DT(約
(荷台一杯の赤ピーマンは今が旬) 9月16日より、学校の新年度が始まりました。 この時期は、いつにも増して青少年の来館が流動的です。突然空いた空き時間に来る子も居ます。 新年度と言うと、日本では多忙なイメージですが、ここチュニジアでは長い夏休みの反動から、遅刻や休む子、時間を間違える子が後を絶たないそうです。 しかも、これが生徒に限らず教師も同じというところが、実にチュニジアらしいです。 教師が授業に来ないことはこの時期に限らずあるようですが、授業に遅れる・前年度の
任国外旅行より、無事戻りました。 行先が欧州ということもありますが、「野良犬を気にせず街中を走れる」「肌の色で注目されなち」ことの開放感を改めて感じました。 (※緩やかに差別を感じる時もあります) チュニジア暮らしもこれから後半戦、気持ち新たに頑張ります。 海外旅行は、多くのチュニジア人には「贅沢」です。費用面はもちろん、欧州は基本的にビザが必要なので、近くても気軽に行ける場所ではありません。 そのため、周囲には多くを語っていないのですが今回の旅行で「初見殺し」とも言